【ウィーン国立音楽大学ピアノ科留学中】
2012年03月04日
ウィーン留学体験記 その2
初めてウィーン留学記を書かせて頂いてから、あっという間に2カ月が経っていた。1月中旬頃までは、友達とも「今年は暖冬だねー」と毎度話題になるほど暖かく、珍しく快晴が続く過ごしやすい毎日であったが、2月になって、急にマイナス14度まで冷え込む日々がやってきた。マイナス10度を超えると、寒いを通り越して、痛い。
さて先日、そんなウィーンで、まさにウィーン!という催しもの“舞踏会”に参加してきた。私が今回お誘い頂いた舞踏会は、1862年から続く“Blumenball(花の舞踏会)”という歴史あるもの。貴族の時代から続くだけあり、規模も大きく、当日は約3000人が訪れていたそうだ。
舞踏会が開催されたのは、ここ、ウィーンの市庁舎(左写真参照)。
中に入ってみると、まさにシンデレラの世界。(右写真参照。)着飾った貴婦人、殿方たちであふれていた。そして、踊りの舞台となるホールへ入ると、これまた息を飲む広さと荘厳さ。舞踏会とは当たり前だが“踊る為の会”にも拘らず、私はお上りさんのようにカメラが手放せなかった。
さて、夜の10時。ソプラノ歌手の歌声と共に舞踏会の始まりだ。(左写真参照。)
いきなり、一般の方がホールに出て踊るのではなく、まずは、ダンススクールに通っている若者たちのお披露目から始まる。はにかみながら踊る姿は、真っ白なドレスがとてもよく似合っていた。
きっとワルツを踊る事が出来るというのは、ワルツ発祥の地であるこの国では、ある意味当たり前のことであり、一種のステータスなのかもしれない。
そして、ワルツ特有のあの拍子の感覚は、日本人ではなかなか習得しにくい。音楽にも、ワルツ曲は沢山あるが、私も昔から感覚がいまいち掴めず苦労していたが、こうして、目の前でワルツを踊るウィーンの人たちを見ていると、気持ちだけだが少し理解できたような気がする。(本当にほんの少しではあるが・・・)
さて、若者たちのお披露目が終わると、ようやく一般の人たちがホールに出てきて踊りだす。ホールは全部で大小含め3、4ホールほどあるが、3000人程が一斉にホールに出て踊るわけだから、大変なことになっていた。肩と肩がぶつかっても、お構いなし。皆、心から踊ることを楽しんでいた。
しかし、見ていると本当に驚くことが沢山ある。まず、ワルツという踊りは思った以上に激しいものだということ。「ワルツ」と聞くと、優雅な踊りを想像していたのだが、それはスローワルツと言って、日本では主流であるらしい。しかし、世界的には、アップテンポのウィンナーワルツが主流らしく、男性が女性を持ち上げるくらいの勢いで回し、男性が軸となってクルクルと回り続ける。ワルツの激しさにも驚いたのだが、もっと驚くのは、そんな激しいワルツを踊っている大半がお年を召された方々だったということだ。
我先にとホールに入り、汗を掻きながら踊る(いや、踊りまくっているという表現の方が正しいかもしれない)その姿は、ここはまさにウィーンなのだなー、としみじみと感じる姿でもあった。
毎日、ウィーンで普通に生活しているだけでも、前回の記事にも書かせて頂いたように、「音楽の都ウィーン」を感じることは沢山あるのだが、今回は普通の生活からちょっと離れた独特のウィーンらしいことを体験することが出来、幸せな限りであった。
そして、この幸せな時間は、驚くなかれ、なんと朝の5時まで続くのであった・・・。
皆さまも舞踏会の時期にウィーンにいらっしゃる事があれば、是非、一度、本場ウィーンのワルツをご堪能あれ。
さて先日、そんなウィーンで、まさにウィーン!という催しもの“舞踏会”に参加してきた。私が今回お誘い頂いた舞踏会は、1862年から続く“Blumenball(花の舞踏会)”という歴史あるもの。貴族の時代から続くだけあり、規模も大きく、当日は約3000人が訪れていたそうだ。
舞踏会が開催されたのは、ここ、ウィーンの市庁舎(左写真参照)。
中に入ってみると、まさにシンデレラの世界。(右写真参照。)着飾った貴婦人、殿方たちであふれていた。そして、踊りの舞台となるホールへ入ると、これまた息を飲む広さと荘厳さ。舞踏会とは当たり前だが“踊る為の会”にも拘らず、私はお上りさんのようにカメラが手放せなかった。
さて、夜の10時。ソプラノ歌手の歌声と共に舞踏会の始まりだ。(左写真参照。)
いきなり、一般の方がホールに出て踊るのではなく、まずは、ダンススクールに通っている若者たちのお披露目から始まる。はにかみながら踊る姿は、真っ白なドレスがとてもよく似合っていた。
きっとワルツを踊る事が出来るというのは、ワルツ発祥の地であるこの国では、ある意味当たり前のことであり、一種のステータスなのかもしれない。
そして、ワルツ特有のあの拍子の感覚は、日本人ではなかなか習得しにくい。音楽にも、ワルツ曲は沢山あるが、私も昔から感覚がいまいち掴めず苦労していたが、こうして、目の前でワルツを踊るウィーンの人たちを見ていると、気持ちだけだが少し理解できたような気がする。(本当にほんの少しではあるが・・・)
さて、若者たちのお披露目が終わると、ようやく一般の人たちがホールに出てきて踊りだす。ホールは全部で大小含め3、4ホールほどあるが、3000人程が一斉にホールに出て踊るわけだから、大変なことになっていた。肩と肩がぶつかっても、お構いなし。皆、心から踊ることを楽しんでいた。
しかし、見ていると本当に驚くことが沢山ある。まず、ワルツという踊りは思った以上に激しいものだということ。「ワルツ」と聞くと、優雅な踊りを想像していたのだが、それはスローワルツと言って、日本では主流であるらしい。しかし、世界的には、アップテンポのウィンナーワルツが主流らしく、男性が女性を持ち上げるくらいの勢いで回し、男性が軸となってクルクルと回り続ける。ワルツの激しさにも驚いたのだが、もっと驚くのは、そんな激しいワルツを踊っている大半がお年を召された方々だったということだ。
我先にとホールに入り、汗を掻きながら踊る(いや、踊りまくっているという表現の方が正しいかもしれない)その姿は、ここはまさにウィーンなのだなー、としみじみと感じる姿でもあった。
毎日、ウィーンで普通に生活しているだけでも、前回の記事にも書かせて頂いたように、「音楽の都ウィーン」を感じることは沢山あるのだが、今回は普通の生活からちょっと離れた独特のウィーンらしいことを体験することが出来、幸せな限りであった。
そして、この幸せな時間は、驚くなかれ、なんと朝の5時まで続くのであった・・・。
皆さまも舞踏会の時期にウィーンにいらっしゃる事があれば、是非、一度、本場ウィーンのワルツをご堪能あれ。
2012年01月07日
ウィーン留学体験記
今月から新たに、現在「ウィーン国立音楽大学ポストグラデュアーレコース(ピアノ)」在籍中の石井絵里奈さんの「ウィーン留学体験記」がはじまります。
今年の3月には帰国されるとのこと。これからのご活躍が楽しみです。
ウィーンに音楽留学して一年半。ウィーン便りを書いてみませんかと河辺さんからお誘い頂き、文章を書くという音楽家にとって一番縁遠いものに、今チャレンジしている私は、パソコンに向かいながら、本当に人生とは不思議なものであると感じている。
4歳からピアノを始めた私は、ピアノがうまくなりたいというただその一心で弾き続け、気付けば、東京芸大、そして大学院へと進み、その後ウィーン音楽大学に留学したわけだが、ここまで来てまさか、夜中にパソコンに向かって原稿を書くことになろうとは予想だにしていなかった。しかし、元来、私は新しいことにチャレンジするのが大好きで、人とのご縁で自分の人生は広がっていくと思っているので、拙い文章になるのは覚悟で、(皆様もご覚悟のほどを・・・)ウィーンの様子が少しでも皆様に伝わるように、書いてみたい。
音楽の都「ウィーン」。よく耳にする言葉であるが、住んでみて本当にぴったりの言葉であると感じる。まず文化レベルの高さに驚いた。初めて国立オペラ座にオペラを観に行った時のこと。人気の演目だと、まず立見席のチケットを買うために数時間前から並ぶわけだが(立見席はなんと3〜4ユーロと破格のお値段!!)、かなりご高齢の方も椅子を持参して並んでいた。そのことだけでも驚きだったが、終演後、全く知らない人同士がその日の出来について、あの場面の歌いまわしがどうやら、あの歌手の音楽性がどうやら・・・と感想を言い合っていたのだ。また、その日の主役の歌手の方は世界的に有名な方だったのだが、その日は調子が良くなかった。その代わり、あまり名前を知られていない歌手が非常に素晴らしい出来であったため、最後のブラヴォーは、その主役には全く出ず、その無名な歌手に贈られたのだ。有名、無名に左右されず、その日の出来で判断するのは、「本物」を知っているウィーンならではのことだろう。日本との違いに、またも驚いた私であった。他にも、大道芸人のヴァイオリンのうまさに驚嘆したり、駅のホームに貼ってあるポスターがほとんどクラシック関係だったことにも驚いた。こういう所を見ても、いかにウィーンでは、クラシック音楽が国民に根付いているかがよく分かる。
また、ちょっと気分転換にと散歩するのでも、この道をシューベルトも歩いたのだろうか・・・この景色をベートーヴェンも見たのだろうか・・・などと思いを馳せながら歩くだけでも楽しい。素晴らしい音響効果を持っている教会での合唱を聴けば、バッハの音色に対しての考えも深まるというものだ。毎日、素晴らしい体験をして、日本では絶対に味わうことのできない感動を知り、日々感性が研ぎ澄まされていく。また、逆に海外で生活してみてこそ分かる、日本という国や日本人の素晴らしさに気付くこともできた。こんなに幸せなことは他にないと思うが、やはり、初めての海外一人暮らし、はじめは慣れないことも多く、寂しさに負けそうになった時も多々あった。常々、私は「人は一人では生きられない」と思っているが、その想いは留学してみて一層強くなった。親元を離れてみて初めて分かる愛の大きさだったり、ウィーンで右も左も分からない私を、嫌な顔一つせず支えてくれた友人たちには感謝してもしきれない。残り僅かの留学生活ではあるが、日々感謝の気持ちを忘れず、日本人としての誇りを持ち、音楽のみならず異国の地で触れ、見て、聴いたものすべてを吸収し、毎日を生きていこうと思っている。
皆様も是非一度、音楽の都ウィーンへ・・・。
次回は、私が経験したウィーンでの行事や、感動したことについてお話できればと思っている。
今年の3月には帰国されるとのこと。これからのご活躍が楽しみです。
ウィーンに音楽留学して一年半。ウィーン便りを書いてみませんかと河辺さんからお誘い頂き、文章を書くという音楽家にとって一番縁遠いものに、今チャレンジしている私は、パソコンに向かいながら、本当に人生とは不思議なものであると感じている。
4歳からピアノを始めた私は、ピアノがうまくなりたいというただその一心で弾き続け、気付けば、東京芸大、そして大学院へと進み、その後ウィーン音楽大学に留学したわけだが、ここまで来てまさか、夜中にパソコンに向かって原稿を書くことになろうとは予想だにしていなかった。しかし、元来、私は新しいことにチャレンジするのが大好きで、人とのご縁で自分の人生は広がっていくと思っているので、拙い文章になるのは覚悟で、(皆様もご覚悟のほどを・・・)ウィーンの様子が少しでも皆様に伝わるように、書いてみたい。
音楽の都「ウィーン」。よく耳にする言葉であるが、住んでみて本当にぴったりの言葉であると感じる。まず文化レベルの高さに驚いた。初めて国立オペラ座にオペラを観に行った時のこと。人気の演目だと、まず立見席のチケットを買うために数時間前から並ぶわけだが(立見席はなんと3〜4ユーロと破格のお値段!!)、かなりご高齢の方も椅子を持参して並んでいた。そのことだけでも驚きだったが、終演後、全く知らない人同士がその日の出来について、あの場面の歌いまわしがどうやら、あの歌手の音楽性がどうやら・・・と感想を言い合っていたのだ。また、その日の主役の歌手の方は世界的に有名な方だったのだが、その日は調子が良くなかった。その代わり、あまり名前を知られていない歌手が非常に素晴らしい出来であったため、最後のブラヴォーは、その主役には全く出ず、その無名な歌手に贈られたのだ。有名、無名に左右されず、その日の出来で判断するのは、「本物」を知っているウィーンならではのことだろう。日本との違いに、またも驚いた私であった。他にも、大道芸人のヴァイオリンのうまさに驚嘆したり、駅のホームに貼ってあるポスターがほとんどクラシック関係だったことにも驚いた。こういう所を見ても、いかにウィーンでは、クラシック音楽が国民に根付いているかがよく分かる。
また、ちょっと気分転換にと散歩するのでも、この道をシューベルトも歩いたのだろうか・・・この景色をベートーヴェンも見たのだろうか・・・などと思いを馳せながら歩くだけでも楽しい。素晴らしい音響効果を持っている教会での合唱を聴けば、バッハの音色に対しての考えも深まるというものだ。毎日、素晴らしい体験をして、日本では絶対に味わうことのできない感動を知り、日々感性が研ぎ澄まされていく。また、逆に海外で生活してみてこそ分かる、日本という国や日本人の素晴らしさに気付くこともできた。こんなに幸せなことは他にないと思うが、やはり、初めての海外一人暮らし、はじめは慣れないことも多く、寂しさに負けそうになった時も多々あった。常々、私は「人は一人では生きられない」と思っているが、その想いは留学してみて一層強くなった。親元を離れてみて初めて分かる愛の大きさだったり、ウィーンで右も左も分からない私を、嫌な顔一つせず支えてくれた友人たちには感謝してもしきれない。残り僅かの留学生活ではあるが、日々感謝の気持ちを忘れず、日本人としての誇りを持ち、音楽のみならず異国の地で触れ、見て、聴いたものすべてを吸収し、毎日を生きていこうと思っている。
皆様も是非一度、音楽の都ウィーンへ・・・。
次回は、私が経験したウィーンでの行事や、感動したことについてお話できればと思っている。