浅野恵巳
2012年03月25日
銀座のちかごろ
最近銀座の中央通りに人があふれ、かつてないにぎわいを見せている。
16日にオープンしたユニクロ銀座店のせいらしい。オープン初日には朝から人が行列をつくりその長さが半端ではないから驚いた。
整備の人たちが何人も声をからして懸命に誘導し、列をみださないようにと懸命であった。
世界一の売り場面積ということで、インテリアもガラスをふんだんに使いコンテンポラリーな感じで若者たちの趣向にあわせたものと思われる。しかしこんなにも人々を誘導する力っていったい何なのだろうと考えてみた。
とても大胆な戦略をもちグローバルな人材を育て日本発の新しい企業としてアジア市場でナンバーワンになる、しかし日本的な精神がバツクボーンにあり日本で育った日本の企業として日本人のDNAを捨てない、、とある。
「服を変え、常識を変え、世界をかえてゆく」という企業理念はかなり危険をともないながら痛快である。
銀座の老舗といわれる店やレストランやクラブやバーが姿を消し、コンピューター時代にふさわしい新しい世代が台頭してゆくのだろうか。私も小さいながら銀座に仕事場を30年以上持っているのでその移り変わりを目にする度に感慨がある。どのような理由にせよ人々が行き交い賑やかになるのは活気がありいいことだと思う。
16日にオープンしたユニクロ銀座店のせいらしい。オープン初日には朝から人が行列をつくりその長さが半端ではないから驚いた。
整備の人たちが何人も声をからして懸命に誘導し、列をみださないようにと懸命であった。
世界一の売り場面積ということで、インテリアもガラスをふんだんに使いコンテンポラリーな感じで若者たちの趣向にあわせたものと思われる。しかしこんなにも人々を誘導する力っていったい何なのだろうと考えてみた。
とても大胆な戦略をもちグローバルな人材を育て日本発の新しい企業としてアジア市場でナンバーワンになる、しかし日本的な精神がバツクボーンにあり日本で育った日本の企業として日本人のDNAを捨てない、、とある。
「服を変え、常識を変え、世界をかえてゆく」という企業理念はかなり危険をともないながら痛快である。
銀座の老舗といわれる店やレストランやクラブやバーが姿を消し、コンピューター時代にふさわしい新しい世代が台頭してゆくのだろうか。私も小さいながら銀座に仕事場を30年以上持っているのでその移り変わりを目にする度に感慨がある。どのような理由にせよ人々が行き交い賑やかになるのは活気がありいいことだと思う。
2012年03月14日
沈黙は金、、、?
日本ではしゃべらないことが(沈黙は金なり)といわれ価値がありおくゆかしいことといわれてきた。
しかし、西洋では沈黙は死だとおもうことが多い。話すことがその人の自己表現であり言葉で語ることがすべて、と思うことが多い。画家や彫刻など芸術家といわれる人たちも作品の内容を論理的に説明されることにより何となく高尚で深みあるものだと思えたり、とにかく論争とまでいわないが大体の日本人は議論することが得意ではなくとことん意見を述べ合う、ところまで行かないことが多い。感情的になって気まずい思いで終わるのが通常ではないだろうか。
言葉が足りず誤解されることもあり、案外ながい時間をかけてしゃべることは無駄なようでいて相手に対して心を開くことでもあるからそこから真実が見えてくることがある。喋らなくてだまっていても相手は分かってくれるだろう、、というのは今の時代通用しないと思う。
常識といわれるものも時代とともに変化しているからである。
先日も或る造形家とつきあいができその人の作品が素晴らしく新鮮であったしぜひ紹介していきたいとの思いから展覧会の話になった。具体的な条件などまずお知らせしたほうがいいと考えて大体の条件を記した覚書を送ったところ彼の考えていた条件と私の条件がほとんど反対であり仰天したものだった。
このときも交渉という余地があるのにいきなり相手から「やめましょう」という返事となり、このあっさり感にも驚かされたものである。
私自身、相手と辛抱強く交渉を重ねて形を整えていくしたたかさが不足していて学ばなければならないことだと思う。
しかし、西洋では沈黙は死だとおもうことが多い。話すことがその人の自己表現であり言葉で語ることがすべて、と思うことが多い。画家や彫刻など芸術家といわれる人たちも作品の内容を論理的に説明されることにより何となく高尚で深みあるものだと思えたり、とにかく論争とまでいわないが大体の日本人は議論することが得意ではなくとことん意見を述べ合う、ところまで行かないことが多い。感情的になって気まずい思いで終わるのが通常ではないだろうか。
言葉が足りず誤解されることもあり、案外ながい時間をかけてしゃべることは無駄なようでいて相手に対して心を開くことでもあるからそこから真実が見えてくることがある。喋らなくてだまっていても相手は分かってくれるだろう、、というのは今の時代通用しないと思う。
常識といわれるものも時代とともに変化しているからである。
先日も或る造形家とつきあいができその人の作品が素晴らしく新鮮であったしぜひ紹介していきたいとの思いから展覧会の話になった。具体的な条件などまずお知らせしたほうがいいと考えて大体の条件を記した覚書を送ったところ彼の考えていた条件と私の条件がほとんど反対であり仰天したものだった。
このときも交渉という余地があるのにいきなり相手から「やめましょう」という返事となり、このあっさり感にも驚かされたものである。
私自身、相手と辛抱強く交渉を重ねて形を整えていくしたたかさが不足していて学ばなければならないことだと思う。
2012年03月11日
石の彫刻と水と、イサムノグチ
メトロポリタン美術館の日本館の入り口を入るとやさしげな仏像が迎えてくれる。つねに訪れるひとたちになにかしら敬虔な気持ちを抱かれるのではないだろうか。心が騒がしいとき、こころ迷うとき美しい仏像のお顔をみることでこころがなぐさめられることは誰でも経験があるのではないだろうか。
他の国とはまた異なり日本の仏像はふくよかでやさしく人を包み込むようなおだやかさがあり惹きこまれることが多い。
日本館の半ば近くにイサムノグチによる石の彫刻があり人の足をしばし止めさせる。
イサムは晩年石に大いに興味を持ち彫刻として石を扱う時自分の思うようにいかない石と格闘したという。香川県の牟礼というところで仕事をし現在はイサムノグチ庭園美術館となっている。メトロポリタン美術館にある石の彫刻は日本からはこんだという石を敷きそこに水平におかれた石の彫刻の中心が噴水の原理で水が湧き出すことにより磨かれた石の表面から流れ落ちる水が音をたてて流れ落ちるさまを見ることができる。
私たちが山深く渓流でみる流れがそこにあるようにも思える。イサムに関する本はたくさんでているので彼のことを知ることはできるがこの作品は彼の最晩年の仕事としてなされたという。、、
他の国とはまた異なり日本の仏像はふくよかでやさしく人を包み込むようなおだやかさがあり惹きこまれることが多い。
日本館の半ば近くにイサムノグチによる石の彫刻があり人の足をしばし止めさせる。
イサムは晩年石に大いに興味を持ち彫刻として石を扱う時自分の思うようにいかない石と格闘したという。香川県の牟礼というところで仕事をし現在はイサムノグチ庭園美術館となっている。メトロポリタン美術館にある石の彫刻は日本からはこんだという石を敷きそこに水平におかれた石の彫刻の中心が噴水の原理で水が湧き出すことにより磨かれた石の表面から流れ落ちる水が音をたてて流れ落ちるさまを見ることができる。
私たちが山深く渓流でみる流れがそこにあるようにも思える。イサムに関する本はたくさんでているので彼のことを知ることはできるがこの作品は彼の最晩年の仕事としてなされたという。、、
2012年03月03日
ロツクの女王と言われた人
パテイスミスは1970年代に活躍して話題になったミュージシャンであり詩人、そしてパーフォーマー。
この人の新しい本の出版を記念してのイヴェントがストランドブツクストアーであることを知り参加した。昼間ストランドに立ち寄り最近出た彼女の本「woolgathering」を買ったときこの本を買うことが夜7時からのエヴェントの入場券になるという。
本当に小さなポケツトに入るくらいの80ページのかわいらしい本、表紙はミレーの作品,「ひつじ飼い」。パテイが45歳の誕生日に初版が出てそれを改訂したもので回想を加え新しい詩も加えられている。
少し遅れて到着したので一番後ろで彼女の詩の朗読をきくことになった。300人くらいの人たち、主に若い世代の人たちが今も彼女に関心があることに感動を覚えた。彼女はロバートメープルソープと出会い同居しながらそれぞれの創作活動を始めた時代のことを書いた「Just Kids」ガベストセラーになり多くの人たちがより彼女を知ることになった。
後に写真家として有名になったメープルソープの写真展が日本でも紹介されたり写真集も沢山でているから彼の名前を知る人は多いとおもう。おもにモノクロームの花やヌードをテーマにした作品は官能的でさえあり衝撃的でもあった。彼は1989年にエイズで亡くなっている。
メープルソープと別れた後結婚した夫がなくなりその後1990年代後半から再びパテイは活動を始めたという。私の初めて見たパテイは年齢を経た今もしぶい宝石のような輝きをはなっていた。
この人の新しい本の出版を記念してのイヴェントがストランドブツクストアーであることを知り参加した。昼間ストランドに立ち寄り最近出た彼女の本「woolgathering」を買ったときこの本を買うことが夜7時からのエヴェントの入場券になるという。
本当に小さなポケツトに入るくらいの80ページのかわいらしい本、表紙はミレーの作品,「ひつじ飼い」。パテイが45歳の誕生日に初版が出てそれを改訂したもので回想を加え新しい詩も加えられている。
少し遅れて到着したので一番後ろで彼女の詩の朗読をきくことになった。300人くらいの人たち、主に若い世代の人たちが今も彼女に関心があることに感動を覚えた。彼女はロバートメープルソープと出会い同居しながらそれぞれの創作活動を始めた時代のことを書いた「Just Kids」ガベストセラーになり多くの人たちがより彼女を知ることになった。
後に写真家として有名になったメープルソープの写真展が日本でも紹介されたり写真集も沢山でているから彼の名前を知る人は多いとおもう。おもにモノクロームの花やヌードをテーマにした作品は官能的でさえあり衝撃的でもあった。彼は1989年にエイズで亡くなっている。
メープルソープと別れた後結婚した夫がなくなりその後1990年代後半から再びパテイは活動を始めたという。私の初めて見たパテイは年齢を経た今もしぶい宝石のような輝きをはなっていた。
2012年02月22日
拝啓 中央区長さま
拝啓 中央区長さま
中央区の広報、そのほかで貴方様のお顔を拝見するたびに何と雅なお顔の方だろうと思いを馳せておりました。ご先祖はお公家さんかしら、ゆったりとしたふくよかなお顔は庶民から親しまれる将軍か、、、とも。
私は1970年代から30数年ものながきにわたり中央区にお世話になってまいりました。京橋に始まり銀座2丁目、8丁目、そして現在は7丁目と。小さな画廊を始めまして社会の変遷も見てまいりました。戦後、人々のたゆまざる努力でちいさな島国であり貧しかった日本が世界第2の経済大国になろうとは誰が想像したでしょうか。
日本の人びとは本来そのような大きな力を持ち世界に比してまいりました。心の繊細さ、相手を思いやる気持ち、義理人情、謙虚さ、忍耐力など素晴らしいものを個々の人びとは持ち日本を支えてきたのではないでしょうか。
経済面でも科学の面でも、そして私が携わる美術の世界でも他の国にはない特殊な美を作り出してまいりました。工芸の世界で職人といわれる熟練した業を培ってきた人びとにより作られてきたものを日常の道具として私たちはごく最近まで生活の中で使用していました。
しかし、これらの道具はいまはガラクタとして捨てられて誰からも見向きもされません。私は度々ニューヨークに行く機会がありブルクリンにある"渋い“という骨董店をそのたび訪れるのですが。ここには日本でかつて使われた生活用具などが所狭しとならべられています。
竹籠、商店の看板、ボロとよばれる労働着、火鉢、たんす、陶器類、番傘、下駄,漆器類、神棚、灯篭、あげれば枚挙がありません。
ここで昨年とても可愛らしい大正時代につくられたという針箱を買いました。
その昔、人びとが着物を日常着としていたころ、女性は誰もが着物をぬうことができたそうな、、そういえば私の母も新しく反物を買うとよく針仕事をしていたものでした。
今は全てが便利になりそして人々の絆はうすれ味わいの薄い環境となってきたように思うのは私だけでしょうか。
最近銭湯をよく利用させてもらうようになりました。銭湯もいきつけますと店主とけつこう親しくなり話をするようになるものですが私は日本古来の銭湯の継続が危ぶまれていると感じるのです。
常に入浴者が少なく最近とくに子供に会うことがありません。子供たちは銭湯で大人に混じり作法も学んだものだときいています。
とくに子供は自分の身体の変化を知りゆく課程で銭湯でいろいろな年代の人びとを見ることにより人間としての成長も学び安心するようにおもいます。浮世絵などにみるお風呂は色々な年齢のひとびとが交わり賑やかで話し声まできこえるようです。楽しく人との出会う場所でもあったのでしょうか。
どうか、区長様もときどき銭湯にいかれてはいかがでしょうか。そしてどうか銭湯の灯を消さないでいただきたいのです。
区長さまのバツクグランドはジャーナリストでいらっしゃるとお聞きしています。銭湯のことなど政治の世界からいいましたら小さなことかもしれませんが古くから伝承されてきた素晴らしい日本の文化の賜物だとおもうのです。
銀座にも金春湯というのがありますがご存知でしょうか。150年の歴史があると先日店主の方からお聞きしたばかりでした。私は銀座は和光などをのぞいて
全て戦火で焼かれ灰燼に帰したのかと思いましたら焼けなかったのだそうです。
銀座には老舗といわれる店が沢山ありましたがそんな店さえも時代とともに姿を消してゆくのを見るのは悲しいことです。
区役所は築地ですから銀座まで歩ける距離にあります。そして確か午後1時から金春湯は開いていますのでどうかお時間をつくられてお越しいただけたらと思います。
私はもっと多くの人に銭湯のこと特に地元の金春湯の事を知ってもらいたく、区長さんにお知らせしたいと考えました。もし金春湯を体験していただいて何かのおり区役所の広報などにそのことが語られていることを知ることになればどんなにかうれしいことでしょう。
2月の半ばをすぎましたが厳しい寒さがつずきます。どうかご自愛くださいまして政務にお励みくださいますよう、そしてお健やかをお祈りいたしております。
敬 具
中央区の広報、そのほかで貴方様のお顔を拝見するたびに何と雅なお顔の方だろうと思いを馳せておりました。ご先祖はお公家さんかしら、ゆったりとしたふくよかなお顔は庶民から親しまれる将軍か、、、とも。
私は1970年代から30数年ものながきにわたり中央区にお世話になってまいりました。京橋に始まり銀座2丁目、8丁目、そして現在は7丁目と。小さな画廊を始めまして社会の変遷も見てまいりました。戦後、人々のたゆまざる努力でちいさな島国であり貧しかった日本が世界第2の経済大国になろうとは誰が想像したでしょうか。
日本の人びとは本来そのような大きな力を持ち世界に比してまいりました。心の繊細さ、相手を思いやる気持ち、義理人情、謙虚さ、忍耐力など素晴らしいものを個々の人びとは持ち日本を支えてきたのではないでしょうか。
経済面でも科学の面でも、そして私が携わる美術の世界でも他の国にはない特殊な美を作り出してまいりました。工芸の世界で職人といわれる熟練した業を培ってきた人びとにより作られてきたものを日常の道具として私たちはごく最近まで生活の中で使用していました。
しかし、これらの道具はいまはガラクタとして捨てられて誰からも見向きもされません。私は度々ニューヨークに行く機会がありブルクリンにある"渋い“という骨董店をそのたび訪れるのですが。ここには日本でかつて使われた生活用具などが所狭しとならべられています。
竹籠、商店の看板、ボロとよばれる労働着、火鉢、たんす、陶器類、番傘、下駄,漆器類、神棚、灯篭、あげれば枚挙がありません。
ここで昨年とても可愛らしい大正時代につくられたという針箱を買いました。
その昔、人びとが着物を日常着としていたころ、女性は誰もが着物をぬうことができたそうな、、そういえば私の母も新しく反物を買うとよく針仕事をしていたものでした。
今は全てが便利になりそして人々の絆はうすれ味わいの薄い環境となってきたように思うのは私だけでしょうか。
最近銭湯をよく利用させてもらうようになりました。銭湯もいきつけますと店主とけつこう親しくなり話をするようになるものですが私は日本古来の銭湯の継続が危ぶまれていると感じるのです。
常に入浴者が少なく最近とくに子供に会うことがありません。子供たちは銭湯で大人に混じり作法も学んだものだときいています。
とくに子供は自分の身体の変化を知りゆく課程で銭湯でいろいろな年代の人びとを見ることにより人間としての成長も学び安心するようにおもいます。浮世絵などにみるお風呂は色々な年齢のひとびとが交わり賑やかで話し声まできこえるようです。楽しく人との出会う場所でもあったのでしょうか。
どうか、区長様もときどき銭湯にいかれてはいかがでしょうか。そしてどうか銭湯の灯を消さないでいただきたいのです。
区長さまのバツクグランドはジャーナリストでいらっしゃるとお聞きしています。銭湯のことなど政治の世界からいいましたら小さなことかもしれませんが古くから伝承されてきた素晴らしい日本の文化の賜物だとおもうのです。
銀座にも金春湯というのがありますがご存知でしょうか。150年の歴史があると先日店主の方からお聞きしたばかりでした。私は銀座は和光などをのぞいて
全て戦火で焼かれ灰燼に帰したのかと思いましたら焼けなかったのだそうです。
銀座には老舗といわれる店が沢山ありましたがそんな店さえも時代とともに姿を消してゆくのを見るのは悲しいことです。
区役所は築地ですから銀座まで歩ける距離にあります。そして確か午後1時から金春湯は開いていますのでどうかお時間をつくられてお越しいただけたらと思います。
私はもっと多くの人に銭湯のこと特に地元の金春湯の事を知ってもらいたく、区長さんにお知らせしたいと考えました。もし金春湯を体験していただいて何かのおり区役所の広報などにそのことが語られていることを知ることになればどんなにかうれしいことでしょう。
2月の半ばをすぎましたが厳しい寒さがつずきます。どうかご自愛くださいまして政務にお励みくださいますよう、そしてお健やかをお祈りいたしております。
敬 具