2022年08月27日

ビュッケブルグ歳時記 279

この国の国技 Fussball についての歴史と余談


 連日の30度を越す今夏に疲れてしまいましたので、今回は先回の続きのFussball についてのよもやま話をお伝えしたいと思います。
 女性Fussball の成り立ちが先になってしまいましたが、今回は大雑把なサッカーの成り立ちをお知らせしてみます。

 最古の記録としては紀元前3世紀に中国で Cuju という競技があり、軍人の体力育成に使われていたとの記録が残っているが、100年後にはこのスポーツはすっかり忘れられたそうです。

 次に残っている記録としては、1845年に英国の Eton College などの私立学校や大学で体を鍛える訓練としてなされていたスポーツが Fussball の前身だということです。その当時はボールを手で掴むことは許され、ボールを持っての移動は不許可という記録が、当時のラグビー・スクールの記録に残されているということと、1863年に Football Association が作られたということが Fussballの起源が英国と言われる所以ということです。

 1870年から74年の間に、ゲームの仔細、チーム団員数は11人、手の使用はゴール・キーパーのみ、ボールの大きさ、審判についての規定が決められ、2年後の1876年に夜光灯の下での試合が許可され、今のゲームの形が成り立ったということです。
 その後サッカーのヨーロッパ大陸への上陸が始まったわけですが、この先頭はスイスだったということです。
 30年後の1900年にドイツでは DFB ( ドイツFussball 連盟)が結成され、1904年に世界的スポーツと認められた、というのが大体の歴史ということです。

 よもやば話の最初はファン・クラブについてです。この国には18の Liga (一定地域のチーム)があるのですが、そのチームのファンは同じ地域の出身者であることは当然ですが、多くのファンが何らかの理由でその地域に居住していないことが多いことも当然だと思います。次の例はそのような場合の例です。
 首都ベルリンのある街角の一角に「Rossle」という名の、見栄えのしない居酒屋があります。そこは Liga Stuttgart のアジトで、約150名のファンが、一年に30ユーロを払って経営しているのです。この国では試合のTV中継は、特別料金を支払わなくてはならない場合が多いのです。
 週末には、南ドイツのStuttgart地域の出身者でベルリン居住者のファンが集まって、夏なら冷たいビールを、冬ならワインなどを片手に録画や実況を楽しむのです。
 Stuttgart のある B. W 州の総理大臣や農林大臣も時々、訪れるということです。
 最後に、キャプテンは日本人の ワタル・遠藤 さんです。「このテームは試合中につまずくと放棄してしまうという傾向があるのだが、遠藤キャプテンはそれを最後まで頑張らせる力を持っているから」がこの選抜の理由ということです。

 よもやま話の2は:今夏、7月22日に訃報が伝えられたある一人の選手についてです。Liga Hamburg の センターホワワードとして1946年から1972年までこの団にとどまって活躍した Uwe Seeler という選手が85歳の人生を閉じたのです。途中に Inter Mailannd からの莫大な契約金の誘いにも乗らず、HSVにとどまって競技をした”足が地についた人間”として、ハンブルグの名誉市民として愛されていた選手です。”彼のハンブルグの競技場” で追悼式が行われ、中継されたので全国のファンが別れを惜しむことができたのです。

 爽やかな話で、猛暑を過ごしやすくするブログでありますように・・・




aokijuku at 00:30│コメント(0)

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