2022年08月13日
ビュッケブルグ歳時記 278
女性のサッカー競技について
酷暑の今年の夏7月には、「ヨーロッパ女性サッカー・ナショナルチーム大会」が、英国中にあるサッカー競技場を回って行われていました。そしてその全てが中継され、太陽の残る長い夏の宵を、多くのサッカーファンがTVの前でその模様を楽しんでいた夏風情をお伝えしてみます。
日本のプロ野球のように、ドイツではサッカー(Fussball)が国民競技で、長い間、”男性の競技”としてみなされていました。重要なリーグ戦のある日は、夜の車の交通量が少なくなるほど多くの男性が家や、ビストロなどでTV観戦しているためです。今は女性の観戦も多くなっていますが、昔はサッカーは、競技するのも、観るのも、”男性のもの”で女性の観戦は極々少数だったということです。
こんなことから、うっかりサッカーの発祥地はドイツだとばかり思っていたのですが、今年の”女性全国選手チーム”の中継で、英国では男性だけではなく、子供から大人の女性までがファンだと知って、調べてみたところ、英国が発祥地であることを学びました!
既に15世紀に、村対村という広大なフィールドで戦われた、野蛮な、小さな戦争のような形で発足した競技ということも知りました。
サッカーの歴史はさておき、時代の推移が見える”女性サッカーの成り立ち”も、とても興味深いので、今回はその過程をお伝えしてみます。
1930年に初めてフランクフルトに女性チームが作られ、競技をしたところ、”男みたいな女たち”と蔑まれ、石を投げられる結果となったため、女性サッカー興行は中止。
1955年にはDFB(ドイツサッカー連盟)から公的禁止令が出る。「サッカーをする女性の姿は女性としての優美さや、端正な態度を失って、体だけではなく精神的にも、そして遂には子供を産む機能にも害がある」が理由として挙げられていたようです。ただ、禁止令が出ても私的には同好女性が集まって競技は続けられていたということです。
1970年に禁止令が解除される。ただし、競技時間は35分間を2回、スパイクのついた靴は履かない、ボールの大きさも小にする、冬は休暇などの条件付きだったようです。
1980年から国際試合が開始。このような経過を経て1989年にドイツ女性チームは EM(ヨーロッパ優勝) 杯を受けたのですが、そのご褒美がコーヒー・セットとアイロン台であったと、今は笑い話になっているのです。
そして今回のEM大会中継の間の関係者の説明や懇談の折りに Sexismusという表題のもとに、女性サッカーに関するいろいろな問題が検討されていたのです。
女性サッカーの社会的位置承認を確立しようとの意図です。
まず報酬賃金の差として、1974年の男性世界選手権勝利には35900ユーロが支払われた。1989年の女性ヨーロッパ優勝には、上記のコーヒーセットとアイロン台の差。
そしてサッカークラブの一員としての給料の差、男 2500ユーロ、女750ユーロ。
このような差から、今の女性サッカー選手たちは練習、競技の他に学生として学んでいるか、何かの職に就いて生活費を得ているという差についての議論です。
日本の「なでしこジャパン」も、最近強くなっていると聞きました。強くなった選手だけではなく、全部の女性サッカー選手の社会的位置が1日も早く確立することを願いながらのブログです。
最後に、今年の夏のEMではドイツは決勝戦で開催国英国に2:0で負けてしまいました!
酷暑の今年の夏7月には、「ヨーロッパ女性サッカー・ナショナルチーム大会」が、英国中にあるサッカー競技場を回って行われていました。そしてその全てが中継され、太陽の残る長い夏の宵を、多くのサッカーファンがTVの前でその模様を楽しんでいた夏風情をお伝えしてみます。
日本のプロ野球のように、ドイツではサッカー(Fussball)が国民競技で、長い間、”男性の競技”としてみなされていました。重要なリーグ戦のある日は、夜の車の交通量が少なくなるほど多くの男性が家や、ビストロなどでTV観戦しているためです。今は女性の観戦も多くなっていますが、昔はサッカーは、競技するのも、観るのも、”男性のもの”で女性の観戦は極々少数だったということです。
こんなことから、うっかりサッカーの発祥地はドイツだとばかり思っていたのですが、今年の”女性全国選手チーム”の中継で、英国では男性だけではなく、子供から大人の女性までがファンだと知って、調べてみたところ、英国が発祥地であることを学びました!
既に15世紀に、村対村という広大なフィールドで戦われた、野蛮な、小さな戦争のような形で発足した競技ということも知りました。
サッカーの歴史はさておき、時代の推移が見える”女性サッカーの成り立ち”も、とても興味深いので、今回はその過程をお伝えしてみます。
1930年に初めてフランクフルトに女性チームが作られ、競技をしたところ、”男みたいな女たち”と蔑まれ、石を投げられる結果となったため、女性サッカー興行は中止。
1955年にはDFB(ドイツサッカー連盟)から公的禁止令が出る。「サッカーをする女性の姿は女性としての優美さや、端正な態度を失って、体だけではなく精神的にも、そして遂には子供を産む機能にも害がある」が理由として挙げられていたようです。ただ、禁止令が出ても私的には同好女性が集まって競技は続けられていたということです。
1970年に禁止令が解除される。ただし、競技時間は35分間を2回、スパイクのついた靴は履かない、ボールの大きさも小にする、冬は休暇などの条件付きだったようです。
1980年から国際試合が開始。このような経過を経て1989年にドイツ女性チームは EM(ヨーロッパ優勝) 杯を受けたのですが、そのご褒美がコーヒー・セットとアイロン台であったと、今は笑い話になっているのです。
そして今回のEM大会中継の間の関係者の説明や懇談の折りに Sexismusという表題のもとに、女性サッカーに関するいろいろな問題が検討されていたのです。
女性サッカーの社会的位置承認を確立しようとの意図です。
まず報酬賃金の差として、1974年の男性世界選手権勝利には35900ユーロが支払われた。1989年の女性ヨーロッパ優勝には、上記のコーヒーセットとアイロン台の差。
そしてサッカークラブの一員としての給料の差、男 2500ユーロ、女750ユーロ。
このような差から、今の女性サッカー選手たちは練習、競技の他に学生として学んでいるか、何かの職に就いて生活費を得ているという差についての議論です。
日本の「なでしこジャパン」も、最近強くなっていると聞きました。強くなった選手だけではなく、全部の女性サッカー選手の社会的位置が1日も早く確立することを願いながらのブログです。
最後に、今年の夏のEMではドイツは決勝戦で開催国英国に2:0で負けてしまいました!
aokijuku at 00:30│コメント(0)│