2022年03月12日

ビュッケブルグ歳時記 268

Internationaler Frauentag (国際婦人デー) の歴史

 この日 ー 国際婦人デー ー のことは日本ではあまり聞かれないように思いますが、数 年前からドイツでは盛んに聞かれるようになっています。そして昨年の選挙の結果の老若を問わず女性議員(議員数736人のうちの約35%の256人が女性議員)の擡頭をみると、この「日」の働きの結果が顕著に現れているなあと感じるのはわたしだけではないように思われます。

 100年以上の歴史を持つ、労働女性の抗議社会運動というべき意味を持つ「この日」のことをお伝えしてみます。

根源 ー 1858年に米国で行われた、女性繊維労働者の、男性労働者と同等権を持ちたいとの要求から行われたデモとストライキが元で、この同等権を要求したのは常にアメリカの紡績工場の女性達であったということです。

1909年 ー 2万人のお針子が N.Y. でデモを起こし、多くの女工が逮捕される結果となったが、それにもめげず2か月間のストライキの結果、女性雇用人の要求が受け入れられる結果となった。これが 1909年2月20日の米国の Nationalen Frauentag となった。

1910年 ー ヨーロッパでは17カ国による第二回国際社会主義女性協議会が開かれ、その席でドイツ人セルキン女史により 国際(=International)Frauentag の設立が提案される。

1911年 ー 3月11日に第一回目の Internationalen Frauentagが、デンマーク、ドイツ、オーストリア、スイス、USA の国々の 参加で開催される。百万人という今までにない最高人数のデモとなる。
ここでの政治的要望の第一は、 aktiv (選挙ができる人)と passive (選出される人)の両方の選挙権が女性にも与えられることであった。
 
1912年 ー フランス、スエーデン、オランダ が加入。

1913年 ー ロシアが加わる。

1917年 ー 3月8日に St. ペータースブルグで繊維工場の行員たちによるストライキが行われたが、そこに他の商業関係の従業員も加わり9万人になったデモが、12日には ”女性革命” となり、それまで国政をとっていたZar( ロシアの皇帝)の退位を促し、臨時政府が政治をするというある種の革命とまでなった。この時より国際婦人デーは3月8日となる。

(1946年) ー この項に(  )をつけたのは旧東ドイツでは少し違った形の3月8日の習慣があったということからです。多くの女性が仕事についていた旧東ドイツでは、全ての仕事の報酬は男性より低く、その上家事と子供養育は母親の仕事とされ、女性の労働は相当に厳しかった当時、1年に一度だけ、3月8日には勤め先の上司から贈り物をもらうとか、食事に招待されるとか、役割が反対になる日ということで、この日には女性が気分の上では男性と同等になれる日という意味での特殊な婦人デーだった、ということです。

2019年 ー ベルリン州では休日となる。  

 このような歴史を経ての国際婦人デーですが、日本でこの日のことをあまり聞かないのは、日本が加入していないことが原因かなとも思われます。 
 色々と違う政治の制度がある中で、デモクラシー制度では男女平等が大切な要素となっているので婦人デーの成長発展を願うのは間違っていないと思われます。
 依然として男女の給料平等問題はこの国でもまだ解決されていませんし! 



aokijuku at 11:17│コメント(0)

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