2021年05月08日

ビュッケブルグ歳時記 248

議論の的になっている「区別される生活」

 接種済みが国民の8%を超えるようになったこの国では、感染者の数も減ってLock-down も緩和されているのですが、そこで問題になっているのが、「接種した人たちと未接種の人たちの生活に起こりうる「権利差別」に対する論争が盛んになっているのです。

 この意味は、接種を受けて病魔から守られることになった人たちが得ようとしている、パンデミーによって奪われた自由な生活への権利を取り戻そうとする努力 ー 例えば、自分たちには、外出禁止令や人間間の交際制限が緩和され、また買い物及び文化的催しものの訪問も許可されるという個人権利が与えられる(戻る)のが当然と考える既接種者と、まだ接種を受けられないため感染の不安もあって以前のような自由な生活を送れない未接種者たちが持つ、自由な生活は接種を受けられる日まで待たなければならないという不公平な状況や期間へのギャップをどう処理するかが議論のテーマになっているのです。
 健康大臣が接種奨励を行った時には、その結果に、「例外法」ー 既接種者と末接種者の間に起こり得る、基本的権利のなかの、「個人の持つ自由権利(国民の誰もが、人に迷惑をかけない枠の中で個人的に成長する権利)を侵害することになるかもしれない場合についての考慮をわすれた結果だというのが未接種者からの指摘です。 

 既接種者と未接種者の二つの意見は次のとおりです。
 「標準的なことは特権ではない! 接種を終えたということを特権だと勘違いして、禁じられたことを取り戻す用具の様に思うのは大きな間違えである。接種が近辺への危険をもたらさないことがわかって、昔の生活が戻ってきただけの話である。接種者が危険者でなくなった場合には、持っていた今までの自由な生活を続ける生活の権利は直ぐさま返されるべきである。それに今のところ、既接種者の多くは80歳以上の老人、ホームでの看護人、緊急病棟の医師など、コロナ騒動が始まってからの1年以上の期間を、患者と向き合って看病したり、病人のために尽くした貢献人たちだと思えば、彼らに自由な生活権利を与える(返す)ことは難しいことではないのでは・・」
 というのが賛成者の意見です。

 次に反対派の主張を挙げてみます。
 「ここで必要なのは団結する連帯感が必要だ!」というのが未接触者のモットーで、「すでに接種を受けられたということは単なる得点であり、特権と間違えてはいないか。得点と特権は違う意味を持っていることを知らなければならない。特権などという間違った解釈が出てくると往々にして不満になる可能性が強くなる。
 我々に与えられている民主国の基本権は、価値の上で誰にでも同じ権利を与えていて、時と場合によってその意味が違ってくるというものではない。
 こう考えるとパンデミーによる自由な生活にたいする要求には既接種者の再考が必要で、個人の自由が謳われている自由な生活は、全国民が団結して接種完了後に祝うべきではないか」 

 まあ、なんと理屈、議論好きな国かと驚くのですが、一方では議論は民主主義には欠かせない必要なことかとも思わされます。 
 言論(と思考)の自由が行われていると分かるからです。 

 先回のブログでお知らせしたこの国の連邦制は今回の基本法の考え方には良い解決法を出しているようにも思えます。というのは、16の州によってパンデミーの被害が多い州と少ない州があるのですが、その程度によってこのような事件の解決をし始めているのです。感染者の少ない州では既接種者には自由な生活が許されているように思えるのです。

 こう書くと「自由な生活の権利」があやふやになるなあという感じもあるのですが・・・

 ドイツ国は議論好きの国です。


aokijuku at 10:50│コメント(0)

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