2020年04月11日

ビュッケブルグ歳時記 224

コロナ の続き


 感染者の数が減って、社会的コンタクト制限が緩和され、普通の日常生活が一日も早く戻って来ることを望む市民が多いと思われるドイツです。ことに、今週末はキリスト教での2番目に大きい、救世主の蘇りを祝うOstern(イースター)と呼ばれる4日間の祭休日となり、親族再会祝賀会を期待する国民も多いと思われます。

 のに、今朝の新聞記事「驚くほどクールなドイツ人たち」という、ある調査機関の結果には少し驚きました。この記事の副表題は「国民はコロナ・ヴィルスよりも景気後退の方を心配している」なのです。内容を簡単に書いてみます。
1. 市民は自国の健康管理制度を信用していることからかコロナに対する心配は老若を問わず、少ない。
これに反して
2. 不景気に対する心配は大きく上まって、これから来る経済暴落を恐れている市民が多い。
3. 現在の政府の政策に対する採点数は、1−5までの点数にすると3で普通、ということです。

 もう一つ、興味を引いた記事をお伝えします。
 「この危機の後は? 全てが反対意見を持ってぶつかり合う世界となるか、それとも今よりも住み良い社会となるか」についての、一教授の意見です。
 「グロバリスムの終わりは各国が独立して競い合う社会となるのか、という問いには二つの答えがあると思われる。一つはすでに実施されている様に、米国はドイツの細菌学者を拒否し、中国は薬品の輸出を中止し、ヨロッパは国境を閉鎖した。これらの行末はネオ国家主義の興隆である。そこで、もう一つの希望の持てる新しい様式を考えてみよう。それは、国、連邦、地域を同等の権利を持つ構成とし、一機構が権利を持つのではなく集中を排除する分権様式で、物産市場でも会社経営でも局地的にもグロバール的にも使える様式を使うことになれば、全てがぶつかり合う社会となることは避けられると思われる。発展しつつあるデジタル化がこのための手段になるだろう」

 この様な未来計画構想はわたしには難しすぎます。わたしが考える未来は次の通りです。読んでいただけると嬉しいです。 

 3月末のメルケル首相の国民に向けてのTV声明以来、この地の人々は実によく一致団結して規律を守っているという印象があります。また先週の英国女王の声明にも団結という言葉があった様で「大きな困難も皆が一緒に立ち向かえば乗り越えられる」と知ると、この団結ということの意味が大きく聞こえる様な気になります。「皆で一緒に」ということの意味を思わされるのです。
 コロナ発生以来、ニュースはコロナ関係に満たされ、他のニュースはほとんど姿を消しています。その中には、中近東の、シリアのなんとかという街にトルコからの爆弾が落ちて孤児となった子供の哀れな姿が映されることや、ロシアから独立した国と世界大国との争いなどのニュースがなくなったことに気がつきました。
 もちろん、コロナは人間の生命を脅かす恐ろしいヴィルスですから、この敵に皆が一緒に団結して立ち向かうことで、昔と同じ普通の生活を取り戻すべく、今は世界中の人がこの敵に立ち向かっていると思いますし、必要なことだとも思います。 

 わたしの頭に浮かぶのは、「今は世界中の人が一緒に何かをしている」ことから、その他の争い、国と国との戦争、外国人蔑視、宗教の違いから来る争い、核兵器の実験、自分の国に居られない避難民の救助等々が二の次になって行われていないということに思いが向かうのです。
 そこから、今回は闘争する相手がコロナという恐ろしい病魔ですが、これを「平和」に置き換えることも出来るのではないかと思うのです。「平和」に中には「共生」「平等」なども含まれます。
 団結して立ち向かう相手を、病魔という「悪いこと」から、平和という「良いこと」に置き換えて努力をすると、このパンデミーの去った後の世界を、皆が少しでも住み良い世界にできるのではないかと思うのです。完全にでは無くとも、少なくともミサイル実験や、人種が気に入らないからといってする武器による暴力が無くなればいいと思うのです。

aokijuku at 12:37│コメント(0)

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