2020年02月22日
ビュッケブルグ歳時記 221
Schluss(終わり)、Ende(最後)、Vorbei(過ぎ去った)
これは2月15日の新聞の注視点欄の表題です。これが今世界の恐怖になっているコロナヴィールスに対する終局コメントであれば良いのですが、残念ながらそうではなく、対象は今この国の市民を驚かしている3つの”引退”事件なのです。
第一は、CDUキリスト教民衆同盟党の党首であるAk-K(長すぎる名前のため、縮小形で呼ばれることが多い)女史。第二はカトリック教派の最高顧問のM.司祭。
第三はベルリンのヘルタ・サッカー団のトレーナー K. 氏の引退です。
順を追ってお知らせしてみます。
月始めに行われた旧東のテュウリンゲン州の選挙の結果は、ダム崩壊のような事件になってしまったのです。この州はペギダ・グループで反難民デモをしたり、
AfD(ドイツのための選択肢党)を支持する州民が多い、一言で言うと東西合併に
満足していない州のような感じが強いのです。今まではLinke (左党)のR 氏がうまく政治をしていたのですが、今回の選挙の開票結果で議員長を決める段階になった時、赤( SPD)ー赤(Linke 左党)ーみどりの党 の3党連合をしても議員長になるためには3票が不足となったのです。そして2回目の議長決めにはAfD から立候補が出ての選挙になったのですが、R. 氏の票はここでも足りませんでした。そして3回目の選挙となった時に、FDP (自由民主党)からもう一人 K. 氏が立候補したのです。そして開票の結果はK. 氏が議員長となったのです。ただこの事実はAfDの議員は、自分の党の候補者に票を入れず、FDP候補者に票を入れたということになる(そう)です。政権獲得のための汚いやり方なわけです。
そして CDU議員*も、 FDP議員もこれに同意し、K. 氏の議員長承諾宣言となり、これが騒動を巻き起こす原因となったのです。というのはCDU もFDP も民主主義政治の党であるのに、AfD という最右翼の、テュウリンゲン州ではナチ党であるとみなされる党と連合して政治をするつもりなのかとの両党に対する政治方針が問われることとなり、その結果は、選出された議員長 K. 氏の引退となり、再選挙となりました。
ここで問題になるのが*印の同意で、州の議員だけでなく、西側の最大党CDUの役議員も同意したことは党としての自覚が足りないとされ、メルケル首相から譲られたCDU党首席にあったAKーK氏の党に対する引率力不足が指摘されて、彼女の引退となったのです。今後は彼女は軍事大臣だけとなるわけです。
この引退事件はいろいろなことを含んでいることに気づきます。
全く違った思想の二つの世界をある日統合することの難しさや、統率者のもつ引率力や責任感の重大さなどです。
わたしにとって初めてだったのは、ナチ党はこの国には存在しない、させない、ということでした。AfDという党が最右翼の党で、他国排斥で自己重大視の党だとは思っていたのですが、今回の事件で、AfD党がはっきりナチ党と決まっている場合は、断固として受け入れないということを学びました。2次大戦での過ちを再現しないために警戒線が常に厳しく引かれているわけです。
2月半ばにフランクフルトで行われていたカトリック派改革会議の真っ最中に、
議事長であり、6年間教皇の席にあったM. 司教が引退を表明したのです。
現代は教訓の厳しいカトリック派の改革が強く叫ばれています。女性の聖職位
任命権許可、Zolibat と呼ばれるカトリック聖職者の独身制の緩和などが要求されているのですが、今までの法王に比べて近代的と考えられているバチカンのフランテイスクス法王も、これらの改革には積極性を示さないということです。
教義を固く守る旧派カトリックの改革にサジを投げたような教皇引退は市民を驚かせたショック引退です。
サッカーが国民スポーツのこの国では、リーグの成績結果は重大事です。ベルリン・ヘルタ団の振るわない成績のため、昨年からこの国が誇りとするクリンツマン
がアメリカから呼ばれてトレーナーになっていたのです。この招聘には80Million ユーロがかかったということです。その彼が、突然引退を発表し、サッカー界を煙に巻いたのが第三の引退事件です。
この3つの引退事件が今この国の人々の話題のトップにあるのです。
第二と三はさておいて、第一の引退の後に来るドイツの政権変化が、EU 結束に
揺るぎを齎せないようにとの忠言は大切だと思います。
これは2月15日の新聞の注視点欄の表題です。これが今世界の恐怖になっているコロナヴィールスに対する終局コメントであれば良いのですが、残念ながらそうではなく、対象は今この国の市民を驚かしている3つの”引退”事件なのです。
第一は、CDUキリスト教民衆同盟党の党首であるAk-K(長すぎる名前のため、縮小形で呼ばれることが多い)女史。第二はカトリック教派の最高顧問のM.司祭。
第三はベルリンのヘルタ・サッカー団のトレーナー K. 氏の引退です。
順を追ってお知らせしてみます。
月始めに行われた旧東のテュウリンゲン州の選挙の結果は、ダム崩壊のような事件になってしまったのです。この州はペギダ・グループで反難民デモをしたり、
AfD(ドイツのための選択肢党)を支持する州民が多い、一言で言うと東西合併に
満足していない州のような感じが強いのです。今まではLinke (左党)のR 氏がうまく政治をしていたのですが、今回の選挙の開票結果で議員長を決める段階になった時、赤( SPD)ー赤(Linke 左党)ーみどりの党 の3党連合をしても議員長になるためには3票が不足となったのです。そして2回目の議長決めにはAfD から立候補が出ての選挙になったのですが、R. 氏の票はここでも足りませんでした。そして3回目の選挙となった時に、FDP (自由民主党)からもう一人 K. 氏が立候補したのです。そして開票の結果はK. 氏が議員長となったのです。ただこの事実はAfDの議員は、自分の党の候補者に票を入れず、FDP候補者に票を入れたということになる(そう)です。政権獲得のための汚いやり方なわけです。
そして CDU議員*も、 FDP議員もこれに同意し、K. 氏の議員長承諾宣言となり、これが騒動を巻き起こす原因となったのです。というのはCDU もFDP も民主主義政治の党であるのに、AfD という最右翼の、テュウリンゲン州ではナチ党であるとみなされる党と連合して政治をするつもりなのかとの両党に対する政治方針が問われることとなり、その結果は、選出された議員長 K. 氏の引退となり、再選挙となりました。
ここで問題になるのが*印の同意で、州の議員だけでなく、西側の最大党CDUの役議員も同意したことは党としての自覚が足りないとされ、メルケル首相から譲られたCDU党首席にあったAKーK氏の党に対する引率力不足が指摘されて、彼女の引退となったのです。今後は彼女は軍事大臣だけとなるわけです。
この引退事件はいろいろなことを含んでいることに気づきます。
全く違った思想の二つの世界をある日統合することの難しさや、統率者のもつ引率力や責任感の重大さなどです。
わたしにとって初めてだったのは、ナチ党はこの国には存在しない、させない、ということでした。AfDという党が最右翼の党で、他国排斥で自己重大視の党だとは思っていたのですが、今回の事件で、AfD党がはっきりナチ党と決まっている場合は、断固として受け入れないということを学びました。2次大戦での過ちを再現しないために警戒線が常に厳しく引かれているわけです。
2月半ばにフランクフルトで行われていたカトリック派改革会議の真っ最中に、
議事長であり、6年間教皇の席にあったM. 司教が引退を表明したのです。
現代は教訓の厳しいカトリック派の改革が強く叫ばれています。女性の聖職位
任命権許可、Zolibat と呼ばれるカトリック聖職者の独身制の緩和などが要求されているのですが、今までの法王に比べて近代的と考えられているバチカンのフランテイスクス法王も、これらの改革には積極性を示さないということです。
教義を固く守る旧派カトリックの改革にサジを投げたような教皇引退は市民を驚かせたショック引退です。
サッカーが国民スポーツのこの国では、リーグの成績結果は重大事です。ベルリン・ヘルタ団の振るわない成績のため、昨年からこの国が誇りとするクリンツマン
がアメリカから呼ばれてトレーナーになっていたのです。この招聘には80Million ユーロがかかったということです。その彼が、突然引退を発表し、サッカー界を煙に巻いたのが第三の引退事件です。
この3つの引退事件が今この国の人々の話題のトップにあるのです。
第二と三はさておいて、第一の引退の後に来るドイツの政権変化が、EU 結束に
揺るぎを齎せないようにとの忠言は大切だと思います。
aokijuku at 00:30│コメント(0)│