2019年03月23日

ビュッケブルグ歳時記 199

3月8日!

 今年の3月8日はビックリした日でした。
 この日が仲の良いお友達の誕生日であることと、世界女性日だとは知っていたのですが、今年からベルリン市(都市国家、一都市が州の資格を持つ)ではこの日が法定の休日となったことを知ったからです。

 まず最初の驚き、祭日となった過程を調べてみました。
 この国ではキリスト教の旧教の州と新教の州によって休日数が違うということは
すでにお伝えしました。例えばバイエルン州ではベルリンよりも3日多い休日があったのです。この不平等を質すためだけではないと思いますが、昨年から新教の州でも10月31日の宗教改革記念日を休日とした州もあるのです。その煽りのように急遽、生産企業などの反対を振り切ってベルリン市も3月8日を休日にしたのです。

 第2の驚きは国際女性日という事物に対してです。今までは名前だけのものだったのですが、調べる程に、また現況からも意味が深くなってきましたので、皆様にお知らせしたいと思います。特に分割されていた歴史を持つドイツの今に、潜在する大きな影響があるように思えるのです。
 この女性のための日(ここまでに3種の言い方をしましたが、以下、女性日とします)は、一次大戦が始まる年の3月に、ドイツの社会民主党員であったZ.女史の案、男女平等、女性の選挙権獲得、労働女性の同権化を目的として、女性のための重要な社会機構として始められたのです。1921年からは毎年3月8日がそのための日と決められ、1975年に国連に承認され、世界の女性日となったのです。

 このような歴史を持っている記念日でも、自由な国、例えば西ドイツのように
女性が選挙権も、平等権も得、仕事を持つことも当たり前になった国では、ある意味でこの日の真意を実感として考える機会が少なかったのではと思えるのです。
ですから女性日を祝う習わしはほとんど聞いた覚えが無いのです。
 それに引き換え社会主義国であった東ドイツでは「社会主義国での母の日」として、この日は労働に就く女性に花束を贈り、憩いの日として家庭や職場で女性の日頃の労をねぎらっていたそうです。

 今年の3月8日はこのような経過を持つ女性日が祭日となった事をきっかけに、この日の意義が見直されたように思われるのです。
 その理由は、話が飛躍しますが、最近のこの国の政治現場を見聞きするとき本当に驚く程、女性が進出しているのです。連邦議員709人の内、31%の222人が女性議員ですし、16人の大臣のうち6人が女性ということだけでもこのことの証明になると思います。その他、現在のベルリンでは大学の教授数は男女ほとんど同数ということも挙げられると思います。
 そしてこの現象は東西統合後に起った事なのです。先日あったTVの東出身の女性達のトークショウでは、色々と新しいことを知り、また学ばされました。
 例えば男女平等という一語でも、東西の女性の受け取りかたが違うのです。東の女性は家庭でも、職場でも、社会でも男性と同じに働かなければならなかったのです。ここで注目しなければならないのは、地位が上がる希望は最初から無いのです。そのような環境で、脇目もふらず自分達の役目を果たして来た女性達の強さは、平等を超える強さに成長したという感じがしました。それと、東の女性は向学心が強く、勉強する機会は逃さないということも知りました。 

 少しの誇張を許していただければ、東からの女性の持つこの強さ、持った信念にまっしぐらに進む精神、学びたいという意志が土台となって、統合30年後に男女平等が昔よりずっと行き渡った現代ドイツ社会を造った、との印象を与えられたのが今年の世界女性日3月8日だったのです。
 

 



aokijuku at 00:30│コメント(0)

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