2019年01月26日

ビュッケブルグ歳時記 195

素晴らしい若い人達 2                                  

 第2の例はスゴイ(!)意見だと思いますので全文を読んでいただきます。

”「代議士」に民意を背負わせよう” アルバイトの麦太君21歳の意見です。
「世論とは流され易いものだし多数意見が常に正しいとは限らない。そんな民意の不完全さを少しでも補うため、民主主義は熟議を前提としている。だから,出来る限り多くの人が意見を述べ、出来る限り多くの人の合意を得るのが基本だ。結論より、議論の過程を重視する。それが民主主義だ。
 しかし、わたしたちが選挙で代表を選ぶ時、その基準はどうなっているのだろうか。「決断」や「実行」という単語に、ついついひかれてしまいがちだ。閉塞した社会状況を「この政治家なら変えてくれるのではないか」と考えてしまう。その結果、当然ながら、強行採決や憲法を無視した政治が行われる。今の日本は、政治の暴走を止めるのも、スキャンダル頼みという、何から何まで人任せな民主主義になってしまった。
 議員を「政治家」と呼ばずに「代議士」と呼ぼう。彼らに社会を変える力などないし,持たせてはならないと思う。わたしたちが議論を尽くして、自分たちの代表を選び、彼らにしっかりとわたしたちの意見を背負わせるのだ。面倒臭いし、意見を言うのは勇気が要るけれど,一人一人が変わらない限り、決して社会は変わらない。」

 後先が間違っているかもしれませんが、このような考えを持ち、それを公にする若い人が居ることを知るととても嬉しくなります。日本の未来が光に包まれているような気がするのです。

 麦太君は彼の考える民主主義の在り方とそれへの国民の心構えを書いています。
 そこから思い浮かぶのが12月にあったフランスでの暴力デモのことです。隣国フランスのことを良く知らないわたしが云々するのは良くないと思うのですが、象徴とする黄色のチョッキを着て、税金と生活費に余裕を求める成人によるデモ群とともに、多くの生徒、学生ではなく高校生までの生徒がデモに参加したことが報道されたことが印象深かったのです。(ドイツでは生徒のデモ参加は未だに聞いたことがありません)因みに彼らは政府が発表した教育改革(学校教育は3歳から始める。一クラスは12人とするなど)の現実化を要求することが目的だったようです。そして彼らに対する警官の態度を非難する声が大きかったこともニュースになりました。

 これ等のことは余談で、記憶に残ったのはフランスでは政治的な自由が市民の、この場合は未成年の生徒にさえ近い所にあるということだったのです。
 昨年12月のパリでのデモは建物や道路の破壊が大きく、暴力デモとなり、決して良い行動とは云えないと思いますが、市民が政権に、直に、今自分たちの欲していることを示し、政府の再考を望むということは民主政治の真義ではないでしょうか。 

 麦太君はきちんとした意見を持っていて、それを言う勇気を持っています。そして彼の言うことを聞くと、彼の云う「人任せになってしまった民主主義」が、”話すこと教育!”が進むことによって熟議が可能になる議会となり、そこから市民と政治が近くなる将来社会が来ると信じられるように思えるのです。
 最近、選挙年齢が下げられたことなどを読むと、規制は緩和されているのに、肝心の政治を公的に話さない慣例は依然として続いているように思えるのです。
ある機会に「日本は自分たちで鎖国しているような気がする」という意見を聞いたのですが、政治話はしないという習慣は、この意見の表れのような気もします。
 自分の国の政治は何処ででも、誰でもが、公開して話せるものであるベきだと思います。そのためにも麦太君の意見を一人でも多くの人に読んでいただきたいと思うのです。


aokijuku at 00:30│コメント(0)

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