2018年10月27日

ビュッケブルグ歳時記 189

「話すこと」の続き ー 合併後28年を経たドイツ歴史の一齣に・・・


 「ドイツ統一の日」として1990年に休日として規定された10月3日も過ぎましたが、先回のブログでもお伝えしたように、現在この国に、完全に合併が達せられていないことが大きな原因で、社会に目に見えない壁が出来、不穏な雰囲気がある事は否めません。先回の”ドイツ国は話す”につぎ、今回は「話すこと」で合併が少しでも良い方向に向かうことを目標に、4年前に自身のプロジェクトを計画、実行に移している一女性のことをお話ししてみたいと思います。


 48歳のカトリンさんはポツダム市(旧東)で、絵と写真を中心とする芸術家として生活してきました。彼女は2014年頃から世の中が分裂し、無言社会になってきたことに気がついたそうです。その頃から彼女は身近な人達に難民問題などについての意見を聞くことを心掛けていたそうですが、ポツダム市のような大都会に住む人達だけではなく、地方の小都市や村の住民の意見も聞きたいとの要求が深まり、「話をする(聞く)移動応接間」でドイツの地方を旅して、片隅に住む人達の話を聞こうという企画を思いついたのです。
 彼女のこの応接間とは:板を約2メートル四方にすだれのようにつなげた(使用後、巻いて移動できるように)床の上に、人工芝生が絨毯代わりに置かれ、小さなテーブルと、2脚の古い肘掛け椅子と、コーヒー接待ができるセットに、レコーダーという内容です。
 これ等の道具を、彼女の父親が整備してくれたという10年前の古いフォルクスワーゲンのバスに積んで、主に旧東ドイツの地方を回っているのです。村の広場でも、農家の庭でも、黄色のバスが着くと、そこに、またたく間に”話したい人はどうぞ。歓迎します!”という居間が現れるのです。
 

 このようなプロジェクトに疑問を持つ人もあるかもしれませんが、カトリンさんの徹底した「聞くだけ。質問はしない」とのモットーが功を奏したのか、男女、年齢を問わず多層の人達が集まって来るということです。
 「きれいに改築された都市の町並み、何処にでも繋がる舗装道路などは出来たかもしれないが、我々のような村住民は、働く工場もなく放り出されている」「政治家は形のあるものについては話しているが、我々のメンタリテイ(精神的素質)については取り上げることがない。わたしたちは置き去りにされた故郷喪失者のような感じで生きている」「合併後に来るのは、合併によって起こる様々な転換を解決することであるはずなのに、それは為されていない」「そこへ難民受け入れの問題がおこり、これは私たちにとって又のありがたくない変動という感じがする」などが、彼女のプロトコールから読み取れます。
 彼女は毎年違う州を廻っているということですが、彼女の移動居間に来る人がほんの僅かという州もあるということを付け加えておきます。


 わたしのように田舎の小都市の住民は、この分裂の形をとった壁の硬さに直接触れることは少ないので無関心でいることも出来るのですが、カトリンさんの話を読むとAfD=(ドイツのための選択肢党)が多数の票を得て、右派党として政治に加わってくるようになった理由がわかるようにも思えるのです。合併の不完全さが大きな原因となって差別が大きくなり社会を分裂させてしまったともいえるのではないかと考えさせられます。


 2回にわたり話すことの重要さをお伝えしましたが、最近の世界が暴力即ち軍備拡大の方向に向かっていることを思うと 、東西合併というドイツの歴史の一齣に、言葉で係わり合うカトリンさんは、言葉で自国民同志の理解への第一歩を踏み出し、これは行く末の否戦争への世界に繋がるように思えるのです。
 語り合ってお互いを理解し合うということは世界の共存にも不可欠なことだと思うと、「話すこと」の重要性を見直すように教えられる気がするのです。


aokijuku at 11:27│コメント(0)

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