2018年01月27日

ビュッケブルグ歳時記 171

日本での印象

 年の初めを日本で過ごしたのですが、今回受けた印象は「日本は、世界一富んだ国!」でした。食 については以前から豊かさに目を見張っていました。
衣 も大方の人が高級に装っていると思いましたし、住 も高層建物の林立だけではなく、個人のマンションの豪華さにも驚くばかりでした。

 このように発展した日本に感嘆し、国民が満足している理由も納得出来、それが政治に対する充足感とイコールなのかもしれないと思いました。
 ですが、いわゆる里帰りのわたしにはどこか肌触りが違う感じもあったのです。
 
 ある朝、教育問題を取り上げていたTV番組を見ました。地方の或る中学校で行われ始めた授業方法を紹介する内容でした。その内容を簡単に書き出してみます。授業開始に当たって、担当の教師は、今日の授業は僕はしない。生徒の君たちが自分たちで考えて、話し合って、結論に持って行く形の授業をする。課題はこれこれ、と伝えた後、生徒の考えを主体にした形式の授業が始まりました。アクテイブ・
ラーニングと名付けられていました。教師はその間、生徒一人一人の様子を観察し、点数を付けていました。
 その後、この授業形式についての専門家の話があったのですが、その中で興味をひかれたのは、「思考力が薄い」とつけられた生徒の成績について、母親が、この力を大きくすための方法を知りたいと要求した所、教育相談の専門家が「家庭での話し合いを多くすることも一手段である」と答えていたことでした。

 この授業型は、前にお伝えしたドイツで行われているプロジェクト授業と同じ型で、日本ではこの型を「終尾から始めている」のかな、と思ったのです。理由は「話すことの重要さ」が最後に、学校からではなく相談員から指摘されていたからです。家庭での話し合いが、生徒の思考力向上に適切だということは、話すことの重要性に繋がることです。相談役が云うことを何故学校は率先して教えないのかが疑問になるのです。家庭だけではなく学校でも話すことを授業とするべきではないでしょうか。このような点を知ると、上(文部省)と下(教室という現場)の連結不備を見せられたように思えるのです。
 また、この授業形式が未だ試行の段階にあるということも残念に思われました。

 ここから、現在、注目されているドイツの教育法を思い出しました。
 Kooperatives Lernen と呼ばれる方法で、「協力して学ぼう」とか「共同で学ぶ」という意味です。
 この形式はカナダ人のグリーンが最新的な教育法として考慮したもので、学校教育だけで終わる勉強ではなく、生涯を通じてためになる勉強法として築かれた方式ということです。学校での成績が良いということが良い仕事を見つけることに繋がることではないし、社会的能力を持った人とか、グループの一員として物事を処理する能力を持った人の方が、仕事の上での成功が予想されるとの考えが基本となっている教育法です。
 以後この方式について折りにふれお伝えしたいと思っています。

 ここから、この国では学校教育がその後に続く職場を考慮に入れて考えられていることがわかると思います。既述のように、学校は決して学びだけの舎だけではなく、職場を考慮に入れた人生の舎と考えられているのです。
 こんなことが肌触りの違いとして感じられたのかもしれません。


aokijuku at 14:50│コメント(0)

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