2017年11月25日

ビュッケブルグ歳時記 167

腑に落ちない事ごと 3


 数週間前に河辺さんが、リハビリでコミュニケーションが行われていると書かれておられました。残念ながら、わたしには書かれておられるコミュニケーション力の意味がよく読み取れないのですが、勝手ながら、話し方とか、話題を云々することではなく、皆で話し合おうということに重点があると解釈させていただきました。
 そして、コミュニケーションという言葉の意味も、すでに書いた通りきちんとした理解が出来ていないのですが、リハビリにおいては三省堂の新明解国語辞典にある「言葉による意志・思想などの伝達」を主な意味とすると解釈させていただきます。悪しからずお許しを。


 リハビリでコミュニケーションが行われているということは初耳でした。これは、人々といろいろと話し合うことが、病気によって傷められた精神状態を元の健康状態に戻すための良い療法だとして行われているのだと推察されます。日本の医学の万全さに大きな敬意を持ちました。
 そして直ぐ頭に浮かんだのが、この方法を何故教育に使わないのかという疑問なのです。腑に落ちないことなのです。


 5年前辺りから、いじめが理由で自殺した小中高校生の数は驚くほど増えていることを読みます。そして3年前には対策法が作られ施行されていることも聞きました。残念ながらこの法律の効果は低く、依然としていじめられて命を絶つ子どもが後を絶たないようです。法律を作るだけではなく、文部省はいじめ対策委員会とか第三者委員会とかを作って、組織での対策を実行に移しているという記事も読みました。このように、自殺防止法はいろいろ考えられていて、必要だと思いますが、「防止」とともに「予防」を考えることが忘れられているように思われるのです。子ども達の命が絶たれるということは、コトが起ってからではどんな方法も何の役にも立たないことです。命は一度限りのものなのですから。ここから判るようにこの場合の予防は、いじめの根源を無くすことを意味します。リハビリとは再生の意ですが、再生の必要がないようにするのが予防と思うのです。
 

 コトが起らないように予防するということはいじめを無くすことです。
 いじめに対する記事を読むと、「今の時代は、本音で語りあえる人間関係づくりが難しくなっている。それによるストレスが、いじめの根本的な原因である」とあります。ここから、本音で語り合える人間関係を作ることがいじめを無くす方法と解釈していいと思います。
 人間同士のコミュニケーションとは「人間が互いにその意思、感情を言葉によって伝達し合うこと」との解釈もあります。そこから人は、その意志を疎通し合い、心や気持ちの通い合いを果たし、お互いの理解を深めることになります。


 ここからコミュニケーション力を育む科目を学校が実践することは、とても良いことで、率先されるべきことではないかという考えが起るのです。上記の本音で語り合える人間関係をつくるためにも。
 日本語の辞書には無いのですが、ドイツ百科事典にはコミュニケーションの意味に共同体、連帯体ともあるのです。学校を一つの共同体と考えると、学校でのコミュニケーション教育の必要性を考えるのも、意味ある意見ではないでしょうか。 







aokijuku at 10:11│コメント(0)

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