2016年11月12日
ビュッケブルグ歳時記 143
いい人と悪い人 ー 複雑な区別をめぐっての話 つづき
また、ご主人のシリア人は彼女の庇護権授与の不確かさから、ドイツ滞在に疑問があるため、語学講習も第一期だけで止めてしまったとも云っていました。
隣組になったこのような難民の様相を、同僚のアンケに話した時の彼女のコメントは次のようでした。「あああ、なんにもしないで毎日を過ごしている彼等の生活補助金のために、私たちドイツ国民は67歳まで営々と働かされるのよ。それに次々に子どもが生まれれば彼等は育児手当(第1子 190ユーロ、第2子 190ユーロ、第3子 196ユーロ、第4子以上 221ユーロ)だけでも食べて行かれるようになるのよ!」と、国の福祉政策にまでおよぶ厳しい批判でした。55歳の彼女が属する職業励行期世代の意見かもしれないと思いながら聞きました。そしてこれは、難民受け入れ反対の人達の意見でもあり、AfDなどの右翼党の勢力が大きくなっている主な原因でもあるのかとも思います。
そして、ビュッケブルグという小都市の片隅で起ったブレーン事件のあった
1週間後に、ドイツで起ったかもしれない、パリ・テロを上回る大悲劇の予想施行者 シリア人、アル・バクルが逮捕されたのは日本にも報道されたことと思います。
22歳のバクルは2015年にミュンヘンから入国、3年の滞在許可を得ています。今年の6月から ISテロリストとしての嫌疑がかかり、8月には住んでいた
ケムニッツ市のアパートに捜査隊が押し入ったのですが逃亡。残っていたのは爆発力の大きい化学薬だけでした。その後、ライプチッヒ市の駅で、泊まる宿を探していた時、同国人の兄弟が助けとして、自分たちのアパートを提供したようです。
しかし助け人の兄弟は、この逃亡者の身元に気づき、計画テロの犠牲の大きさを思ったり、現に自分たちを受け入れてくれているドイツ国への忠義心のため(かどうかはメデイアでは報道されていないので不明ですが)バクルの脚と手首を縛って動けなくして警察に通報したことで逮捕となり、空前の悲劇からこの国を救うことが出来たのです。
バクルは逮捕された2日後、拘置所で自殺により果てました。
ここに、いい人と悪い人の例が明瞭に見えるように思われます。
同国人を警察に密告することは、そこまで判断するには相当の考えと決心が必要だったと思われます。ここでの複雑さは人道的なものや法的なものなど、とても難しいことだと思われます。
バクル事件は、彼の自殺と、それを予期しえなかった検事局への批判と、
カタストローフェを免れてほっとした国民を残しました。が、もう一つ残ったものに、救助者である通告者兄弟があるのです。彼らの正面からの写真は無く、後ろ姿の写真も、いつも上着に着いた頭巾をかぶっている姿なのです。
彼らが正面を向ける日が近いことを願って止みません。
わたし個人としては、隣り組のブレーン探しのフッサムを善い人と判断したのが正しかったかと、なんとなく安心しているのですが、人の善非の区別の難しさを、改めて知らされた気がしています。
また、ご主人のシリア人は彼女の庇護権授与の不確かさから、ドイツ滞在に疑問があるため、語学講習も第一期だけで止めてしまったとも云っていました。
隣組になったこのような難民の様相を、同僚のアンケに話した時の彼女のコメントは次のようでした。「あああ、なんにもしないで毎日を過ごしている彼等の生活補助金のために、私たちドイツ国民は67歳まで営々と働かされるのよ。それに次々に子どもが生まれれば彼等は育児手当(第1子 190ユーロ、第2子 190ユーロ、第3子 196ユーロ、第4子以上 221ユーロ)だけでも食べて行かれるようになるのよ!」と、国の福祉政策にまでおよぶ厳しい批判でした。55歳の彼女が属する職業励行期世代の意見かもしれないと思いながら聞きました。そしてこれは、難民受け入れ反対の人達の意見でもあり、AfDなどの右翼党の勢力が大きくなっている主な原因でもあるのかとも思います。
そして、ビュッケブルグという小都市の片隅で起ったブレーン事件のあった
1週間後に、ドイツで起ったかもしれない、パリ・テロを上回る大悲劇の予想施行者 シリア人、アル・バクルが逮捕されたのは日本にも報道されたことと思います。
22歳のバクルは2015年にミュンヘンから入国、3年の滞在許可を得ています。今年の6月から ISテロリストとしての嫌疑がかかり、8月には住んでいた
ケムニッツ市のアパートに捜査隊が押し入ったのですが逃亡。残っていたのは爆発力の大きい化学薬だけでした。その後、ライプチッヒ市の駅で、泊まる宿を探していた時、同国人の兄弟が助けとして、自分たちのアパートを提供したようです。
しかし助け人の兄弟は、この逃亡者の身元に気づき、計画テロの犠牲の大きさを思ったり、現に自分たちを受け入れてくれているドイツ国への忠義心のため(かどうかはメデイアでは報道されていないので不明ですが)バクルの脚と手首を縛って動けなくして警察に通報したことで逮捕となり、空前の悲劇からこの国を救うことが出来たのです。
バクルは逮捕された2日後、拘置所で自殺により果てました。
ここに、いい人と悪い人の例が明瞭に見えるように思われます。
同国人を警察に密告することは、そこまで判断するには相当の考えと決心が必要だったと思われます。ここでの複雑さは人道的なものや法的なものなど、とても難しいことだと思われます。
バクル事件は、彼の自殺と、それを予期しえなかった検事局への批判と、
カタストローフェを免れてほっとした国民を残しました。が、もう一つ残ったものに、救助者である通告者兄弟があるのです。彼らの正面からの写真は無く、後ろ姿の写真も、いつも上着に着いた頭巾をかぶっている姿なのです。
彼らが正面を向ける日が近いことを願って止みません。
わたし個人としては、隣り組のブレーン探しのフッサムを善い人と判断したのが正しかったかと、なんとなく安心しているのですが、人の善非の区別の難しさを、改めて知らされた気がしています。
aokijuku at 02:30│コメント(0)│