2016年10月22日
ビュッケブルグ歳時記 142
いい人と悪い人 ー 複雑な区別をめぐっての話
先々週のあるおだやかな秋の日の午後、玄関のベルを鳴らす人がいました。用心のため、扉を開ける前に必ず「どなたですか」と問い、きちんとした答えがあった時にのみ戸を開けることにしていますので、この時も同様にしました。「近所の者です」との男性の声に聞き覚えが無かったので、鎖はかけたままドアを数センチ開けました。そこに立っていたのは、半年前に向いのアパートに引っ越して来た、近東人に見える青年でした。もう一人、青年を伴っていました。「僕は向かいに住んでいる者で、これは友人です。お邪魔して申し訳ありませんが、遊びで飛ばしていたブレーンがお宅の屋根裏に入ってしまったので、取らして下さい」と手にした
ブレーンの操作器を見せながら、用事をたどたどしいドイツ語で説明しました。
ブレーンというモノ、物体については一応知っていました。
用向きは判ったものの、屋根裏に上がるには2階に上がり、天井にある開け蓋のような簡易扉を使うことになるので、家の中全体を知られることになるのだと躊躇心が湧いたので、外から梯子を使うかのごとく「屋根に登るといってもそんな高い梯子は無いし、どうする積もりですか」とか、「そんな危険なことの責任は持てませんよ」などと聞きながら様子を観察しました。
引っ越し以来、窓越しに見かけることはあったのですが、距離的にはっきりした顔つきを見ることは不可能でした。幼児のいる家族を持つシリアからの難民だとの噂は聞いていました。数分の間にした判断は、家に入れても「大丈夫だろう」でした。青年の印象がどちらかといえば明るかったこと、一人ではなく友人を伴っていることなどを考えたのだと思います。OKしました。
家に入った彼等は簡易扉を開いて屋根裏に上り、たちまちブレーンを手にして嬉しそうに降りてきました。そして扉を片ずけた後には少々埃とゴミが残りました。「掃除しますからこのような機械を貸して下さい」と、ズーズーという声とともに掃除機を要求するので渡した所、きれいに掃除をしてくれました。そして「お礼にアラビア・コーヒーをご馳走しますから一緒にいらして下さい。ワイフと子どもを紹介します」と招待されたので同行しました。難民の現状を直に聞けると思ったのが、主な理由だと云っては失礼に当たるかなと思いながら。
この機会に知った彼等の現状を書いてみます。奥さんはコソボからの難民で、彼女は小学校卒業までドイツで過ごし、ですからドイツ語の苦労はない、その後、自由意志で両親と共にコソボに帰還したのだがそれが最大の誤りだったと云っていました。これが為に自分には今回の庇護権要請が許可されない。そして、シリア人の彼には許可権が既に下りているのだが、母国からの婚姻必要書類が送られて来ないため、自分たちは結婚出来ないのよと云うのです。そして、6ヶ月後には2人めの子どもが生まれると聞いたときには驚きました。「この子達に対する父権を認める証明は書いてもらう積もりだけれど」と付け加えてはいましたが。
ドイツ語で話し合えることから奥さんと話すことが多かったのですが(夫婦間の会話は英語とのこと )、今の彼等はドイツ政府からの生活補助金で生活している
とのことです。「私は大学にゆきたかったのですが、そうすると補助金をもらえなくなるので出来ない」「主人はシリアに居たときは成功実業家だった」そうです。
これはシリアからの難民は経済的に恵まれた人が多いという新聞記事を裏付けています。彼は多分財産を持っての難民なのでしょう。だからかどうかは判りませんが毎日家に居るのです。仕事を探しているわけではない、とは奥さんの言葉です。
つづく
先々週のあるおだやかな秋の日の午後、玄関のベルを鳴らす人がいました。用心のため、扉を開ける前に必ず「どなたですか」と問い、きちんとした答えがあった時にのみ戸を開けることにしていますので、この時も同様にしました。「近所の者です」との男性の声に聞き覚えが無かったので、鎖はかけたままドアを数センチ開けました。そこに立っていたのは、半年前に向いのアパートに引っ越して来た、近東人に見える青年でした。もう一人、青年を伴っていました。「僕は向かいに住んでいる者で、これは友人です。お邪魔して申し訳ありませんが、遊びで飛ばしていたブレーンがお宅の屋根裏に入ってしまったので、取らして下さい」と手にした
ブレーンの操作器を見せながら、用事をたどたどしいドイツ語で説明しました。
ブレーンというモノ、物体については一応知っていました。
用向きは判ったものの、屋根裏に上がるには2階に上がり、天井にある開け蓋のような簡易扉を使うことになるので、家の中全体を知られることになるのだと躊躇心が湧いたので、外から梯子を使うかのごとく「屋根に登るといってもそんな高い梯子は無いし、どうする積もりですか」とか、「そんな危険なことの責任は持てませんよ」などと聞きながら様子を観察しました。
引っ越し以来、窓越しに見かけることはあったのですが、距離的にはっきりした顔つきを見ることは不可能でした。幼児のいる家族を持つシリアからの難民だとの噂は聞いていました。数分の間にした判断は、家に入れても「大丈夫だろう」でした。青年の印象がどちらかといえば明るかったこと、一人ではなく友人を伴っていることなどを考えたのだと思います。OKしました。
家に入った彼等は簡易扉を開いて屋根裏に上り、たちまちブレーンを手にして嬉しそうに降りてきました。そして扉を片ずけた後には少々埃とゴミが残りました。「掃除しますからこのような機械を貸して下さい」と、ズーズーという声とともに掃除機を要求するので渡した所、きれいに掃除をしてくれました。そして「お礼にアラビア・コーヒーをご馳走しますから一緒にいらして下さい。ワイフと子どもを紹介します」と招待されたので同行しました。難民の現状を直に聞けると思ったのが、主な理由だと云っては失礼に当たるかなと思いながら。
この機会に知った彼等の現状を書いてみます。奥さんはコソボからの難民で、彼女は小学校卒業までドイツで過ごし、ですからドイツ語の苦労はない、その後、自由意志で両親と共にコソボに帰還したのだがそれが最大の誤りだったと云っていました。これが為に自分には今回の庇護権要請が許可されない。そして、シリア人の彼には許可権が既に下りているのだが、母国からの婚姻必要書類が送られて来ないため、自分たちは結婚出来ないのよと云うのです。そして、6ヶ月後には2人めの子どもが生まれると聞いたときには驚きました。「この子達に対する父権を認める証明は書いてもらう積もりだけれど」と付け加えてはいましたが。
ドイツ語で話し合えることから奥さんと話すことが多かったのですが(夫婦間の会話は英語とのこと )、今の彼等はドイツ政府からの生活補助金で生活している
とのことです。「私は大学にゆきたかったのですが、そうすると補助金をもらえなくなるので出来ない」「主人はシリアに居たときは成功実業家だった」そうです。
これはシリアからの難民は経済的に恵まれた人が多いという新聞記事を裏付けています。彼は多分財産を持っての難民なのでしょう。だからかどうかは判りませんが毎日家に居るのです。仕事を探しているわけではない、とは奥さんの言葉です。
つづく
aokijuku at 00:30│コメント(0)│