2016年10月08日

ビュッケブルグ歳時記 141

民主主義の中の「自由権」の意味


 ややこしい標題になりましたが、今この国の持つ最大の難民問題は、言い換えれば、イスラム教徒が多くなるということでもあるわけで、次々に起る難事はドイツの憲法である基本法の解釈法にまでおよぶ様々な考え方を示してくれます。その一つをご紹介してみます。


 イスラム教徒の女性は往々にして顔や身体を着るものによって覆う、ということは既知のことだと思います。
 彼女達の着方には、次の4通りがあるようです。一番知られているのがスカーフなどで、頭髪、耳、首部を隠す軽い覆い方です。次の段階 は黒か茶色の大布で頭頂から足先までを覆う形。顔は覆われていないので現れている。次はこれも黒の布によるケープで全身を覆うのですが、開いているのは目の部分の切れ目だけという、ニーカッブとよばれる厳格なもの。厳格さがもう一段上がると、ブルカと呼ばれる、タリバーン派の女性が着る、目の部分が透かしてある布で顔も覆うという、頭から足先までを青色の全身ケープで覆う型です。この4種が代表ですが一般にブルカという言葉が、イスラム女性の着方を総合して使われていますので、このブログもそのようにします。


 「女性が着るものによって身体を覆い、隠すという」ということが、「自由権」が存在する国の国民には不可解なことなのです。そこから、この習慣をどう扱うかがイスラム教徒の増加とともに、彷彿しているのです。先端を切ったのは8月に
フランスが今まで存在した、「海水浴にブルカは禁止」との法規を修正したことだと思います。「違う着方も許す」が、民主国の自由権だとして、全身を覆う海水着での海水浴を許可することにしたのです。さすがのフランスも修正を余儀なくされたわけです。
 このことはドイツでも話題となって議論されるようになっています。月初の新聞には 私の住む州の或る学校の9年生の一人が、上記の目の部分だけが開いているニーカップで授業に来ていることが、教育省で問題となり、規則違反として禁止するか否かでもめている記事がありました。禁止にするとこの生徒は不登校になり、義務教育規定に違反するわけです。


 これは一例ですが、イスラム女性の装い方にはいろいろな見方があるようです。
 民主国の自由権の下では、女性が顔及び身体を隠すということは、男女同権主義に反する。これは家長主義的考え方で女性を服従させる意味を持ち、ひいては女性
蔑視である、としてブルカ禁止を提唱する人達の論拠となっています。また社会的コミュニケーションには表情が必要だとする意見も同様です。
 

 面白いと思うのは、「自由権」についての考え方です。周りの人達の意見は様々です。上記のようにブルカ禁止を提唱する右翼意見も多くありますが、ある青年の意見に感嘆しました。彼は「我々全ての国民は基本法2条で、自己発展(成長)のための権利を与えられている。成長のために自由に自己表現することが出来るのだ。ドイツ女性でもミニではなく、身体を覆う装いも、したければ出来るのだ。
宗教の自由、言論の自由と同じだ。(アイデンテイテイ確認と裁判での証人役は除く)そしてこの自由権はドイツ国民だけではなく、この国にいる全ての人に該当するのだ」と云っています。
 グローバル的思考に思えます。

aokijuku at 07:37│コメント(0)

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