2015年06月20日
戦後70年首相談話とミャンマー
田中和雄さんは、1990年代からミャンマーで仕事をはじめ、ミャンマーとの往来も50数回を数えたという。日本米の栽培や小豆生産など農業支援を行い、孤児院に校舎を建て社会支援もしてきたが、合弁コンクリート事業を推進する第一線ののビジネスマンである。ミャンマー社会に分け入っての実体験から書かれた彼の『ミャンマービジネスの真実』(2014年3月、
カナリア書房)は、あまたある表面的なミャンマー進出ガイドブックとは類を異にする必読の書といえる。
その田中和雄さんが、ある総合文芸雑誌に連載中の体験談の中で始めてミャンマーにおける日本軍の戦跡―インパール作戦に触れて、彼の身近にいるミャンマー人たちからみた戦後70年を伝えてくれた(『えん』2015年夏号)。引用する:−
“戦争はもう70年以上も昔の話である。しかし戦争を原点として日本、ミャンマー間の関係史は人々により今もなお連綿と語り継がれている。……
ミャンマー森林局の中堅4〜5人と一緒に「飲み会」をやったときに恐る恐る、日本侵攻と日本人に対するミャンマー人感情について聞いたことがある。その中のリーダーが突然立ち上がって感情を込めて述べた言葉に驚嘆した。
曰く「日本人は自分の血を流してイギリス人を追っ払った。イギリス人はインド人やミャンマー人を盾にしただけだ。日本のおかげでミャンマーは植民地から脱却できた」。彼は幾度となく「日本人は自分を犠牲にしてミャンマーを解放した」と繰り返した。
聞いているうちに胸が熱くなるのを禁じえなくなった。
我々戦後育ちの日本人は「戦争を起こした国」「侵略国家」「アジア諸国民への残虐」などと直接間接に言い聞かされていたので、どこに行っても心の奥に「恐る恐る」の気持ちが払拭されないでいた。
私は右翼でも左翼でもない普通の日本人だと認めているが「アジア、アフリカの独立」はたとえ結果論であれ歴史的に日本のアジア進出の関連性を無視することはできない、と信じていた。
それを、このミャンマー人が口角泡を飛ばすように止めどもなく述べたのだ。“
日本の首相が今夏にのべる戦後70年の談話について歴史認識をめぐる隣国の声がひびき外交問題になりかねない。しかし、歴史認識を究極的に問い詰めならば彼我の立場が完全に合致しなければその差は埋まらない。太平洋戦争が及ぼした歴史的事跡には、戦争の惨禍の中から長年の植民地から多くのアジアの国が解放され独立したという客観的な事実がある。
村山談話にある「特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し」の視点にはミャンマー
までは含まれていないようであるが、戦後70年に当たり田中さんの耳に入ったミャンマー人の声も聞かなければならない。
カナリア書房)は、あまたある表面的なミャンマー進出ガイドブックとは類を異にする必読の書といえる。
その田中和雄さんが、ある総合文芸雑誌に連載中の体験談の中で始めてミャンマーにおける日本軍の戦跡―インパール作戦に触れて、彼の身近にいるミャンマー人たちからみた戦後70年を伝えてくれた(『えん』2015年夏号)。引用する:−
“戦争はもう70年以上も昔の話である。しかし戦争を原点として日本、ミャンマー間の関係史は人々により今もなお連綿と語り継がれている。……
ミャンマー森林局の中堅4〜5人と一緒に「飲み会」をやったときに恐る恐る、日本侵攻と日本人に対するミャンマー人感情について聞いたことがある。その中のリーダーが突然立ち上がって感情を込めて述べた言葉に驚嘆した。
曰く「日本人は自分の血を流してイギリス人を追っ払った。イギリス人はインド人やミャンマー人を盾にしただけだ。日本のおかげでミャンマーは植民地から脱却できた」。彼は幾度となく「日本人は自分を犠牲にしてミャンマーを解放した」と繰り返した。
聞いているうちに胸が熱くなるのを禁じえなくなった。
我々戦後育ちの日本人は「戦争を起こした国」「侵略国家」「アジア諸国民への残虐」などと直接間接に言い聞かされていたので、どこに行っても心の奥に「恐る恐る」の気持ちが払拭されないでいた。
私は右翼でも左翼でもない普通の日本人だと認めているが「アジア、アフリカの独立」はたとえ結果論であれ歴史的に日本のアジア進出の関連性を無視することはできない、と信じていた。
それを、このミャンマー人が口角泡を飛ばすように止めどもなく述べたのだ。“
日本の首相が今夏にのべる戦後70年の談話について歴史認識をめぐる隣国の声がひびき外交問題になりかねない。しかし、歴史認識を究極的に問い詰めならば彼我の立場が完全に合致しなければその差は埋まらない。太平洋戦争が及ぼした歴史的事跡には、戦争の惨禍の中から長年の植民地から多くのアジアの国が解放され独立したという客観的な事実がある。
村山談話にある「特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し」の視点にはミャンマー
までは含まれていないようであるが、戦後70年に当たり田中さんの耳に入ったミャンマー人の声も聞かなければならない。
aokijuku at 00:05│コメント(0)│