2014年05月24日

ビュッケブルグ歳時記 85

限界を超えた寛容

 今年の西欧国際ソング・コンクールの優勝者、Conchita Wurstの写真を見た時は、「きれいな女性なのに、どうしてヒゲのメークアップなどするのかしら。それにしてもヒゲは上手く描けているな」と思っただけで、記事を読むこともしなかったのですが、数日後には、「人と違う習性を持って生まれた人間を受け入れる寛容性を持とう」と世に呼びかける彼(!)は、歌よりも、このデモンストレーションで,メデイアを制覇したのです。
 ここで始めてわたしも、C.W.が女性ではなく、「彼」だと知ったのです。
 26歳のオーストリア人で、幼小の頃からホモセクシュアルとして、生きてきたということです。片田舎での学校時代には、いじめなど困難も多かったようで、そこから、同じ運命に生まれてきた後輩の苦しみを少なくしようとの意図を持っているのです。そのために、ホモの男性としての自分と、女性の芸人としての自分を区別して生活し、女性の芸人として歌の修養をし、世に出てこの問題を社会に訴えようとしているのです。ホモは現在も差別待遇されるが、「芯は同じ人間」であることを認め合おうということから、芸名も、「どうでもいいこと」という俗意味をもつ、Wurst とつけたということです。どんな習性で、どんな格好をしていても所詮は人間だ、ということを認め合おうと云っているのです。

 日本でわたしの時代には同性愛などという言葉はほとんど聞かなかったのですが、ドイツでは聞く度合いは多いように思えます。大都会、特にベルリンにはホモの人が多いと聞いたので調べてみました。
 第一次世界大戦後、世の中が落ち着いてきた頃の1897年に、ベルリンに
ドイツ最初のホモ解放機関が組織されたそうです。そして、ナチによって阻止され、強制収容所で多数のホモの人達が殺害されるまで、ベルリンはホモの夜の歓楽地として、栄えたということを知りました。2次大戦後の一時期は衰退したものの、60年代にはスイス、オランダ、アメリカからの支援が大きくあって、ベルリンは再度、ホモのメッカとなったそうです。また、ベルリンが東西統合前に孤島となっていた時期には、ベルリン居住の若い男性には兵役義務が無かったので、ベルリンに住むことで兵役を逃れた若者の中に、ホモの若者が多くいたということも耳にしました。
 その後、女性の解放が進められたと同じように、ホモの解放も進められ、ドイツでも2001年から同性同志の結婚(この表現は使われず、「同性同士で人生上の協力関係を結ぶ」というのが法律上の言葉です)が認められています。普通の婚姻と大きく違う点は、他人の子どもを養子に出来ないという点です。

 Conchita Wurst歌手の主張は、ドイツでは現に相当実現されているように思えます。アウテイングする人も多いように思えますし、何よりも教会関係の社会で容認されていることが、裏付けだと思うのです。聖書ではホモは良くないことだとされているのですが、私の経験では少なくともプロテスタン派では、今は許容されています。知り合いにホモの牧師がいるのですが、滞りなく仕事に就いています。
カトリック派は、神父の妻帯が許可されていないように、教訓が全て厳しいので、カトリックが多いオーストリアのような国では未だ困難が多いのかもしれません。



aokijuku at 03:05│コメント(0)

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