2013年12月28日

ビュッケブルグ歳時記 75

年の終わりにーー考えさせられる様々なこと 2

 日本は自民党が与党になってから1年が過ぎ、ドイツも大連合の成立が真近かになっています。今まで連合ということをよく考えたこともなかったのですが、今回は保守政党と社会民主党と、反対意見を持つ2つの党がそれぞれの党意を出来る限り保つための妥協会談期が長かったということもあり、統治についていろいろと考えさせられ、また教えられました。
 大連合について頭に残っているのは、旧社会民主党シュミット首相が、経済危機の折に云った、「困難を克服しなければならない時は、党対党ではなく党を超えた、国を思う政治が必要」という言葉です。ドイツは今、EU荒海上にあるので、その意味で大連合が良い方向に運行してくれることが国民の願いだと思います。
そのためには、両党の妥協案がよい対話で作られることだと思うと、話すこと、言葉の大切さを、改めて確認させられます。 

 大連合の成立に最後まで残っていたのは、SPD(社会民主党)が護持していた最低賃金制度ですが、この難点もCDU+CSU(民主同盟党)が受諾することになったようです。
 それぞれの国の施政方針が違っているのは当然ですが、最低賃金制度は日本では既に施政されていること、また、先週、EU銀行が貸付利子を更に下げたのに、
アベノミクスで日本は金融緩和がされているのを知ると、日本はドイツよりも先を進んでいることが判ります。先進国日本の金融緩和が上手くゆくと、ドイツだけではなく、世界が金融緩和をして停滞から抜け出せるのかと思うと、アベノミクスの成功を願わずにはいられません。

 前にドイツはsozialstaat であることを書きました。これがあるために、CDU
の統治下でも、社会的配慮があるので、住み良い国になっていると思うと書いたのですが、それに対してある読者の方から次のようなことを教えられました。
「若年の天皇を補佐する立場にあった人が書いた14世紀ごろの書物によると、国を統治する天皇には『徳』がなければならない。徳の無い天皇は退けられてもやむをえない、とされている」ということです。これを読んだ時に、この『徳』の意味はとても大きいと感じました。ある意味ではドイツのsozial と同じ意図もあるように思えます。歴史の中の、”あること”の持つ偉大さを考えさせられ、こういうことを知っていて、実行しようと考えている政治家が、今の日本に居るのかしらと疑いを持ちました。それと、もう一つの疑問は、日本の政治家には世襲が多いということです。納得する理由を知りたいのですが、未だ知りません。選挙には大きなお金が要るということは、巷に知られていることで、原因の一つかと思っています。鳩山前総理の財力スキャンダルは誇りに出来ることではないと思います。
 ドイツでは選挙運動費は党から出るそうです。義務で集められる党員会費や、企業からの寄付金が当てられるのです。ですからアメリカや日本のように、立候補するのは、財力のある家系が背景に控えているお金持ちの人が多いということはないのです。誰でも、立候補出来るわけです。

 折にふれ、ドイツでは政治と市民が近いという事実をお伝えしましたが、政治を社会に置き換えたとき、住む社会を造るのに市民が積極的に挑むということであり、民主主義の意向に添っていると思います。民主という言葉の語義は、
「タミがヌシーー民が主」ということで、言葉自体がそれを示していると思います。
政治は民からの人が行うべきではないでしょうか。

 両国の来年が、国民にとって良い年になり、何よりも平和が保たれることを願いつつ・・・皆様、良いお年をお迎えください!


aokijuku at 00:03│コメント(0)

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