2013年09月30日
【明日の世界196】 外山滋比古 その2
いつもドイツ在住のピアニスト、イクさんが送ってくださるエッセイはドイツの文化、教育について日本との違いを考えさせられます。最新情報でもドイツは小学生から話す、聞くを重視した教育をしているとありました。偶々外山先生の話の中にも日本の小学校は読み書き重視を明治の初めからおこなっており話す、聞くは勉強の対象になっていないといわれました。そう言われると確かに話す、聞くの授業を正式に受けた覚えはないです。いまも同じではないでしょうか。2020年の東京オリンピックが決まりましtがそのキーはプレゼンテイションにあったといわれていますが、わざわざイギリスからプレゼンのプロを呼んで特訓をしたと聞いております。おそらくびっくりするような金額を払っていることでしょう。就活の為に自己アッピールをいかにするかのコースが流行っているそうですが、どう見ても付け焼刃的で欧米のように小学生低学年からみっちりショーインテル等でプレゼン力を培うとは雲泥の差があるといわざるを得ません。
再び外山先生の本からの引用ですが「論文を書く力:いまも大学院の修士課程では論文は必須だけれども、大学の学部では卒業論文を廃止してしまってところが多い。理由は簡単で、書かせても今の学生はドウセ無理だと分かっているからだ。皆剽窃ばかりでひどいのになるとお金を出して外国人学生に外国人の論文を訳させて、そのまま引き写しているものもあるという。英文学で卒論をやめたのは東大が最初で、もう40年前ぐらいである。自分で論文を書くには、まがりなりにも頭で考えなければならない。ところが、特に学校の成績がいい学生ほど、途方にくれる。」 問題は根深いものがありますね。
再び外山先生の本からの引用ですが「論文を書く力:いまも大学院の修士課程では論文は必須だけれども、大学の学部では卒業論文を廃止してしまってところが多い。理由は簡単で、書かせても今の学生はドウセ無理だと分かっているからだ。皆剽窃ばかりでひどいのになるとお金を出して外国人学生に外国人の論文を訳させて、そのまま引き写しているものもあるという。英文学で卒論をやめたのは東大が最初で、もう40年前ぐらいである。自分で論文を書くには、まがりなりにも頭で考えなければならない。ところが、特に学校の成績がいい学生ほど、途方にくれる。」 問題は根深いものがありますね。
aokijuku at 00:05│コメント(0)│