2013年09月23日
【明日の世界195】 「外山滋比古の話を聞く」
英文学者で御茶ノ水大学名誉教授の外山さんは90歳、講演を聞く機会がありましたが1時間立ったままでかくしゃくと話すパワーには恐れ入りました。まだ当面死ぬ気はしないと冗談で言っておりました。講演メモと紹介された本「思考力」 さくら舎から
「いまの家庭は、子供に知識を持たせることで賢くしたように考える。ところが、知識偏重の家庭で育った子供は社会の中では、必ずしも望ましい状態とはいえない。神経系の病気になったり、ゆがんだ性格になったりする。勉強し、努力すればするほど、無菌状態の危険性が増幅してします。生活の中での経験が不足すると、どうしても知識でものを判断しようとする。明快ではあるけれど、人間の社会はそれで何でも割り切れるようにはできていない。時としてまずいこともしょうじてくる。
高学歴社会では、より多くの知識を持った人が優遇される。そういう人を教養がある人という。本などを沢山読んでいていろいろなことを知っている、つまり「たくさん知識を持っている」という意味である。教養があるとは、言い換えれば生活体験に欠けている、ということである。たたき上げで物を作ったり、商売したりする人は教養はなくても、現実に即した知恵を持っている。世間に通用する力のもとは、知識や教養ではなく、生活の知恵のほうである」
90歳まで元気でいる要因がこの文章でもよくわかります。
「いまの家庭は、子供に知識を持たせることで賢くしたように考える。ところが、知識偏重の家庭で育った子供は社会の中では、必ずしも望ましい状態とはいえない。神経系の病気になったり、ゆがんだ性格になったりする。勉強し、努力すればするほど、無菌状態の危険性が増幅してします。生活の中での経験が不足すると、どうしても知識でものを判断しようとする。明快ではあるけれど、人間の社会はそれで何でも割り切れるようにはできていない。時としてまずいこともしょうじてくる。
高学歴社会では、より多くの知識を持った人が優遇される。そういう人を教養がある人という。本などを沢山読んでいていろいろなことを知っている、つまり「たくさん知識を持っている」という意味である。教養があるとは、言い換えれば生活体験に欠けている、ということである。たたき上げで物を作ったり、商売したりする人は教養はなくても、現実に即した知恵を持っている。世間に通用する力のもとは、知識や教養ではなく、生活の知恵のほうである」
90歳まで元気でいる要因がこの文章でもよくわかります。
aokijuku at 09:22│コメント(0)│