2013年05月27日
【明日の世界178】 「クロネコヤマト」
前にも書きましたが手妻名人藤山新太郎師匠の新年会でお会いしました宅急便を小倉昌男さんとともに育てたヤマト運輸二代目社長の都筑幹彦さんはアマチアマジシャンとしても一流の腕前とのことです。彼が日経から出した「どん底から生まれた宅急便」は一気に読ませた本でした。
大卒同期7人の内ただ一人残ったのが都築さんで後は早々と退社したとのことです。
最近は入社3年で三分の一が仕事が自分にあってないとやめますが、この本を読むとそんな甘い考えだからフリーターになってその世界から脱出できず不平不満のみ言う種族になってしまうのでしょうか。最初から自分にあった仕事は社会経験の乏しい人に見つかるほうがおかしい、仮にあっても給料に満足しないことになるでしょう。入社7年目にショックだったのは当時のベストセラー「危ない会社」(光文社)の中で、陸運会社として唯一「あまり成績の良くない会社」としてヤマトが選ばれたことでだったとあります。宅急便を始める時大きな壁は社内の壁で、当初全ての社員が宅急便の事業化にに反対だった。手間のかかる小口荷物を扱うことに対する拒絶反応が強く労働組合の執行委員会も全員反対だったそうです。そのような背景のもとに大手の三越の仕事を断ってこの道に進むにはトップの決心が何より重要であると筆者は行っております。当時クロネコがライオンを蹴飛ばしたとマスコミに取り上げられたようです。
大卒同期7人の内ただ一人残ったのが都築さんで後は早々と退社したとのことです。
最近は入社3年で三分の一が仕事が自分にあってないとやめますが、この本を読むとそんな甘い考えだからフリーターになってその世界から脱出できず不平不満のみ言う種族になってしまうのでしょうか。最初から自分にあった仕事は社会経験の乏しい人に見つかるほうがおかしい、仮にあっても給料に満足しないことになるでしょう。入社7年目にショックだったのは当時のベストセラー「危ない会社」(光文社)の中で、陸運会社として唯一「あまり成績の良くない会社」としてヤマトが選ばれたことでだったとあります。宅急便を始める時大きな壁は社内の壁で、当初全ての社員が宅急便の事業化にに反対だった。手間のかかる小口荷物を扱うことに対する拒絶反応が強く労働組合の執行委員会も全員反対だったそうです。そのような背景のもとに大手の三越の仕事を断ってこの道に進むにはトップの決心が何より重要であると筆者は行っております。当時クロネコがライオンを蹴飛ばしたとマスコミに取り上げられたようです。
aokijuku at 00:03│コメント(0)│