2013年03月23日
ビュッケブルグ歳時記 57
教職勉学制度
日本の4月は新学期の時期なので、ドイツでの先生になるための勉強制度をお知らせします。一つ、日本の制度と大きな違いがあるのです。
大学、又は教育大学(師範大学)で学ぶことは日本と同じなのですが、これを終了すると教壇に立てる日本とは違って、ドイツではその後、2年間の試補期間が必修なのです。小学校から高校の教師まで、全ての教職勉学についている義務制度です。この試補期間とは、「第一次国家試験に合格し、上級公務員になるための試補見習い期間」です。この期間の後に第2次国家試験があり、合格してはじめて教師として教壇に立てるのです。
この試補期間は教職科の他に、法科と医科にあります。この2学部には従って、教職と同じように2回の国家試験があるわけです。ここにドイツの教師の社会的立場の高さが見えるように思えます。
日本では最近、教職勉学の期間を長くしようかなどの意見があるのを耳にしました。参考までにこの国の制度をご紹介します。
ドイツでは、受け持つ科目の教授方法と教育学を学ぶのが教職の目的とされているので、志願者は、2つの科目、例えば英語と生物を自分の専門科目として選び、学びます。州によって選ぶ科目の組み合わせが限定されている場合もあります。ややこしくなりますが、通常、高校教師を志願する者は大学で、その下(小学校、その他)の学校教師志願者は教育大学(師範大学)で学びます。これが終わると、第一次国家試験です。合格すると、試補期間になります。
バイエルン地方の制度をお知らせします。期間は24か月で、3段階に分かれています。第一期間は6か月間ゼミナール学校で、二期は12ヶ月間公立の高校で、三期の6ヶ月は再びゼミナール学校で学びます。
内容は、自分の専門科目の授業法を聴講するとか、他の学校を訪問して、他の科目の授業を体験したり、自分で授業をする時の準備をしたり、などです。そしてこの2年が終わると第二次国家試験が待っているのです。この試験では、授業の出来映え、論文、口頭試験、教育学と心理学での対話法などが試験されます。この試験に合格してはじめて教師としての資格が完成するわけです。
この期間は最小生活が保障される程度の給料、月、約1000ユーロの給料が支払われます。
この国では昔、一つの村が作られるとき3人の知識者が中心に居たと云われています。聖職者、市長、教師です。この歴史が今でも姿を止めているように思えます。既記のように法科と医学に並んで試補期間があること、高校教師の高給料、などにその影が見えます。高校教師は知識人で高級公務員としての社会的立場が与えられているのです。
休みが多くて、午後の時間も自由になるいい職業だなどやその他の悪口も無いことはないのですが。
日本の4月は新学期の時期なので、ドイツでの先生になるための勉強制度をお知らせします。一つ、日本の制度と大きな違いがあるのです。
大学、又は教育大学(師範大学)で学ぶことは日本と同じなのですが、これを終了すると教壇に立てる日本とは違って、ドイツではその後、2年間の試補期間が必修なのです。小学校から高校の教師まで、全ての教職勉学についている義務制度です。この試補期間とは、「第一次国家試験に合格し、上級公務員になるための試補見習い期間」です。この期間の後に第2次国家試験があり、合格してはじめて教師として教壇に立てるのです。
この試補期間は教職科の他に、法科と医科にあります。この2学部には従って、教職と同じように2回の国家試験があるわけです。ここにドイツの教師の社会的立場の高さが見えるように思えます。
日本では最近、教職勉学の期間を長くしようかなどの意見があるのを耳にしました。参考までにこの国の制度をご紹介します。
ドイツでは、受け持つ科目の教授方法と教育学を学ぶのが教職の目的とされているので、志願者は、2つの科目、例えば英語と生物を自分の専門科目として選び、学びます。州によって選ぶ科目の組み合わせが限定されている場合もあります。ややこしくなりますが、通常、高校教師を志願する者は大学で、その下(小学校、その他)の学校教師志願者は教育大学(師範大学)で学びます。これが終わると、第一次国家試験です。合格すると、試補期間になります。
バイエルン地方の制度をお知らせします。期間は24か月で、3段階に分かれています。第一期間は6か月間ゼミナール学校で、二期は12ヶ月間公立の高校で、三期の6ヶ月は再びゼミナール学校で学びます。
内容は、自分の専門科目の授業法を聴講するとか、他の学校を訪問して、他の科目の授業を体験したり、自分で授業をする時の準備をしたり、などです。そしてこの2年が終わると第二次国家試験が待っているのです。この試験では、授業の出来映え、論文、口頭試験、教育学と心理学での対話法などが試験されます。この試験に合格してはじめて教師としての資格が完成するわけです。
この期間は最小生活が保障される程度の給料、月、約1000ユーロの給料が支払われます。
この国では昔、一つの村が作られるとき3人の知識者が中心に居たと云われています。聖職者、市長、教師です。この歴史が今でも姿を止めているように思えます。既記のように法科と医学に並んで試補期間があること、高校教師の高給料、などにその影が見えます。高校教師は知識人で高級公務員としての社会的立場が与えられているのです。
休みが多くて、午後の時間も自由になるいい職業だなどやその他の悪口も無いことはないのですが。
aokijuku at 12:50│コメント(0)│