2013年01月21日

【明日の世界160】 「玉泉寺と渋沢栄一」その2

 新しいことをなす時まず反対か、無関心を装うのがごく一般的です。
山一にいる時株式公開になった会社は皆オレがやったといいますが、失敗した時はさっと引いてオレは関係ない姿勢をとりますがこれは人間誰でも
同じでしょう。
 村上住職も同様なことになりました。檀家として深く関与することは出来ないが、住職として心配してくれることなら結構なことであるから、存分にやりなさいという結論になりました。まずは反対ではなくよいことだが寄付は出来ないなるやんわりとした拒否である。
若い村上和尚はその運動を東京に活路を開くべく上京しました。上京した和尚は史跡保存運動に専念、没頭するうちに日米協会関係から渋沢栄一への道が開かれていきました。このとき渋沢栄一は80歳を越えていました。村上和尚は26歳です。
 そうして地元の方から固めれば協力できるところまで行きました。
筆者が感心したのはここからです。和尚の誠意と根気が認められ、渋沢も名簿に名前を記するまでになりました、
そして大正12年9月1日を迎えました。関東大震災です。兜町にあった渋沢事務所も頼りにした名簿も事務所とともに灰になってしまいました。
非常事態発生ですからやめたと言ってもよいところ渋沢栄一は復旧費用1万円の内1000円を寄付して、日米協会会長の徳川家達に協力の親書を送っています。和尚の熱意が通じて、アメリカ大使も黒船艦隊の将兵の墓参に訪れたり、大使友人のウルフ氏が150ドル寄付したりしてくれてついに資金も集まり大正15年10月に本堂の大修理に着工しました。
和尚の熱意、渋沢栄一の誠意等玉泉寺訪問は多くのことを学ぶました。


aokijuku at 00:05│コメント(0)

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