2012年12月22日

ビュッケブルグ歳時記 51

考えさせられること

 先回の、ドイツでの歴史学習要項の2番目に参加関与という項目がありました。
「政治、文化、経済の構成について、全ての市民は参加関与する権利がある」という部分が頭に残りました。歴史を作るのは市民であるということなのだと、再認識したのです。本当にこの国では,何事かが起きると、政治家だけではなく市民が声を大きくするのです。賛否はさておいて、市民のデモが大きくなると、政治家も耳を塞ぐことが出来なくなるのです。これの行く末は、選挙をして票を入れた政治家に任せておけばよいということではなく、市民がそれぞれ意見をデモンストレーションすることで、事態を変える場合もあり、このようにして国民が自国の歴史を形作ってゆくのだと知らされた気がするのです。

 一昨年の震災で原発問題が起こったとき、この国では直ぐに大きなデモが至る所で起こりました。ドイツに直接の被害はなかったにもかかわらず、デモの声はとても大きく、政府も原発中止を決議しました。それに反して、日本では市民によるデモの規模はとても小さなもののように報道されました。
 このことを思うと、ドイツの教育で政治、文化、経済事項に参加する権利を子ども達の教えているのは見逃すべきではないと思うのです。

 少し古くなりますが、ある日本の歴史社会学者の見解を読む機会がありました。「震災は日本の社会を変えただろうか」という問いに対して、彼は次のように云っています。
「震災は市民に不安感とリスク感を増大させた。これは政府や専門家はあてにできない。旧来の日本の象徴であった、任せておけばだいじょうぶ,であったのが震災をきっかけに雇用、家族、教育、預金全て、自己判断でリスクを取らなければならないということに市民が気がついた。お任せではなく、自分で知識を学んで行動しようという,よい動きが出てきた。自分で判断し、皆で討議を重ねることは面倒かも知れぬが、そうなることから新しい日本が出て来るのではないか」

 これを読んだときには、災害地だけではなく、日本の国が復興に向かっているという明るい気持ちになりました。先回に書いた、戦後40年の記念日に行われたドイツ大統領も「過去から学んだことを進路目標とできることに感謝しなくてはならない」と云っています。日本は災害にまつわることから、ドイツはホロコーストからそれぞれが学び取って、良い方向に進めることになるよう心から希望します。そして、この希望が叶えられるには,ドイツの学習要項にあるように、日本でも子ども達に国の構成に関わる権利と意気を教えることが必要だと思うのです。必要なのは教育改革です。改革された養育は,災害の後兆している、市民の国構成への参加関与現象に拍車をかけることになり、近い時に新しい日本が出来上がる基になると思うのです。


aokijuku at 00:05│コメント(0)

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