2012年10月20日

ビュッケブルグ歳時記 47

ゆとり教育万感 10(まとめ)

 日本で始められたゆとり教育が、学力低下をもたらすとされ中止になったことの原因を考えたことがきっかけで、ドイツの、ゆとりが見える教育制度の数々を書いてきました。もうお分かりと思いますが、この国の教育は、その内容、施行法など日本と較べて全てにゆとりがあるのです。夏休みに宿題が一切ないこととか、大学入試がないこと、訓練職業養成が制度が大学教育と同等に整備されていることなど、日本では考えられないことだと思います。
 まとめとして、両国の教育の違いについて思いついたことを書いてみます。
 

 日本では授業時間数を減らすことが子ども達に「ゆとり」を与えると解釈されたように思えます。授業が減るとそれだけ学力も減るのは当然です。ここで、2つの事が思いうかびます。第一は知識を積むことだけが教育の目的であると考えてよいのか、です。それならば、向き合い授業で知識を詰め込んでいる他のアジアの国々の成績が良いのは当然です。しかし、これらの国は民主国家としては日本の数歩後を歩んでいます。現在の世界では民主主義国家が最良の形であれば、日本もこれに沿った教育をするべきです。

 第2は、ドイツの教育を見てそこにあるゆとりに注目し、見習おうとしたのは良いと思うのですが、欠けている所があったと思うのです。このことをよく理解出来るように書いた一節を見つけましたので借用します。「日本人は先進制度を取り入れるのが得意である。だが、制度の根底にある思想を消化する意欲には乏しく、軽視する傾向がある」 ドイツのプロジェクト授業法を総合学習時間として取り入れた時、根底の思想をよく勉強しなかったことから、直ぐ取りやめになったことがこのことを良く示していると思います。 

 ドイツでは「個人」というものが尊重されるため、教育でも人間性が必ず考えに入っています。生まれ持った能力や志望にそって、人それぞれにあった教育を、というのがこの国の平等教育で、人間の差異を受け入れた平等精神に見えます。日本の、誰でも同じ教育が受けられる機会平等とは違う形のように思えます。
 知識堆積は、格差のある大学入学を教育の最終点としているように思えます。教育の目的がこれだけではないとすると、個人の人権を考えに入れた教育体制を作って行くことが、社会をもっとデモクラシーにする始めではないでしょうか。


aokijuku at 00:03│コメント(1)

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この記事へのコメント

1. Posted by 飯田 博   2012年10月26日 20:38
5 日本で育ち教育を受けた筆者がドイツ社会の実相に触れて、日本と比較しながらドイツの教育を活写した報告も最終回となりました。全国の先生方にも読んでいただきたいレポートですが、なによりも明日の日本を担おうと来る衆院選をへて政権を目指す方たちに読ませたい。
日本での「ゆとり教育」が失敗に終わったのは形をまねて根底にある思想を消化できなかった、という指摘を真摯に受け止めたい。教育が文部省役人の采配でなく、いっそのこと江戸時代の「読み書きソロバン」寺子屋の精神から再出発したほうがよいかもしれない。
それと、教育だけの問題ではなく、一体としてあるキリスト教社会について教えられることがとても多かった。
イクさん、ありがとうございました。

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