2011年11月02日
ションスカーリーの絵画
スカーリーの作品を見たとき、彼は日本のキモノのデザインから発想を得ているにちがいないと思った。フジテレビギャラリーがまだ新宿の河田町にあった頃第1回の彼の展覧会をみてそう感じたのだがそれは1988年10月であった。
ほとんどがストライブであって驚いた.後期になるとストライブも太く色彩も下塗りをしたうえに重ねた色からまたそれが不思議な色彩の厚みとなり、なんとも素朴で豊かな感じがしたものだ。
しかし彼の本当の初期の頃の作品は日本の昔のおばあさんがきていたような細い縞模様で色彩もグレーなどの地味な画面となっている。まさに縞模様のキモノそのものなのだ。
20年近く前、ロンドンに出張のおりスカーリーに会えることになり電話したら深い緑色のジャガーで私を迎えにきてくれた。たしか彼に手紙をかいたとき日本のキモノのイメージが貴方の作品から感じられる、、、としきりに彼の作品の魅力をうったえたような気がする。訪問の折、お土産に厚手の高知県産の和紙をたくさん差し上げたことを覚えている。
それがきっかけかどうか定かではないがその後、版画や水彩の作品に和紙を好んで使っているようだ。
スカーリーの作品を世界的に有数の美術館などで度々目にするようになったがやはり太い色彩ゆたかなストライブの作品をみかけると遠くからでもスカーリーの作品であることが一目瞭然である。
彼は1945年アイルランドのダブリンで生まれている。

しかし彼の本当の初期の頃の作品は日本の昔のおばあさんがきていたような細い縞模様で色彩もグレーなどの地味な画面となっている。まさに縞模様のキモノそのものなのだ。
20年近く前、ロンドンに出張のおりスカーリーに会えることになり電話したら深い緑色のジャガーで私を迎えにきてくれた。たしか彼に手紙をかいたとき日本のキモノのイメージが貴方の作品から感じられる、、、としきりに彼の作品の魅力をうったえたような気がする。訪問の折、お土産に厚手の高知県産の和紙をたくさん差し上げたことを覚えている。
それがきっかけかどうか定かではないがその後、版画や水彩の作品に和紙を好んで使っているようだ。
スカーリーの作品を世界的に有数の美術館などで度々目にするようになったがやはり太い色彩ゆたかなストライブの作品をみかけると遠くからでもスカーリーの作品であることが一目瞭然である。
彼は1945年アイルランドのダブリンで生まれている。
aokijuku at 09:57│コメント(0)│