2011年07月03日

「身の回りの東京電力」

未だ収束の見通しが見えない東京電力福島第一原子力発電所の事故。1000年に一度の地震に伴う津波に遭遇したとは言え、放射能を撒き散らし、これほど人命に影響を及ぼす可能性がある大事故の渦中にいても、原発の即時停止や撤退の声が圧倒的多数にならない。菅直人総理大臣の対応の悪さは声高に報道されるが、原子力発電の廃絶の世論は、福島からはるか離れたドイツやイタリアに比べ、遥かに盛り上りに乏しい。

原発抜きには、日本の電力供給が維持できない。電力を維持できないと、電力消費型産業の海外へ移転が加速、国内が空洞化するという懸念。水力や火力、それに風力や太陽光などの自然エネルギーによる発電ではコスト高で、産業競争力を落としてしまうという。この種の問題に素人の我々は、権威者の発言を頼りにするだけである。

こんな中で、身の回りの東電との係わりを見渡してみた。そう言えば、3年ほど前結婚を機に辞めたが、原子力発電をPRする会社に、親戚の子が就職していた。また、今扱っている機械設備用の機器を、ある代理店の郡山営業所が時々買ってくれる。郡山に営業所を置いている理由に、東電の原発絡みの事業所を販売先に持っているためであることが多い。この機器もその周辺で使われているのだろう。原発と少しは係わっていたことに、改めて気になった。そんな人間が多く存在していれば、世間は東電や原発に寛容になる。

ちなみに、日本の電力会社の従業員数は、連結で見れば去年の3月では20万人を超えている。かつて、公共事業を維持しなければいけないとの理屈に、建設業界の従業員数が700万人存在するからといわれた。当時の小泉純一郎総理は、公共事業の削減で大きな抵抗を受けた。公共事業を生業としている土建屋と政治家、そしてそれにかかわる官僚が、鉄の三角形を形成していた。それでも今は、500万人を下回ってきている。

そう言えばとの話に、東電が原発のPRに吉永小百合さんに長いことアプローチをしていたとの話を聞いた。サユリストの担当者は、執念を燃やしていたそうだが、吉永小百合さんは決してとその話を受けなかったと、今になって感心している。東電の原発に対する広報活動は、官庁・民間・マスコミを問わず、担当者が、その担当をはずれても、お歳暮、お中元の形で追いかけてきたらしい。中国に関するコンサルをしている友人は、一度知り合った中国人の官僚に対して、終生変わらずにお土産を持って訪問している。浮き沈みの激しい中国ではとても効果的であるそうだが、ローテーションが活発な日本でも、担当をはずれた人間には、例え下心が見え見えでも、東電からの自分を思いやる優しい気持として、感謝されるに違いない。

支払いが滞ると電気を切られる。鉄壁の取立てシステムを持っている独占企業である東電は、税金を滞納しても直ぐには権力を行使できない国家権力より、強い存在と言われる。電力を使う限り値段の交渉も出来ず、ただ決まった日に支払いを免れ得ない無力な大衆は、未だじっと身を潜めている。大幅な赤字を前に、余分なお金が無くなって、広告料という魔力を使えない今こそ、正義の味方と称するジャーナリストの出番であると思うのだが。


aokijuku at 00:03│コメント(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
月別の記事一覧
最新コメント