2011年06月27日
【明日の世界】No.78 「今メセナを考える」2
メセナも勿論お金がなくて出来ません。造船業でお儲けしたのですがストックボード方式、つまり既製貨物船方式で儲けたました。オーダーメイドでなくて背広で言うとツルシですが最後の仕上げのところを客の希望を聞き入れたそうです。普通急いでも1年半かかるところを40日〜50日で仕上げたようです。タイミングも良くてオーストリア皇太子がセリビアで暴徒にあってドイツ・イタリア対ロシア・フランスの戦争になってオーダーも大量に来て25隻も売りました。色々工夫もあって、首切りをしない、10時間労働を8時間にすることも導入しました。
パリの画商とも太いパイプを作って、例えばロダンが銅やアルミがないといえば大量の胴をプレゼントしました。今上野に「ロダンの考える人」がありますがこのような松方の行動の結果です。
松方コレクションの行方には3種類あって1)日本に送った2)ロンドンの倉庫に保管3)パリの知人に預けた。日本に送った作品の中にルノアールの少女、ムンク、大原美術館のモネの作品があり、ロンドンの倉庫に保管は戦火にあって消失しました。パリの知人に保管を頼んだ分が1951年サンフランシスコ講和条約で吉田茂がフランス大使にだめもとで返してくれと交渉したところ、370点が戻りましたが条件として美術館を作るようにとなりそれが上野国立西洋美術館誕生の秘話です。さすがフランスは文化が分かるとなったのですが17点が帰ってきませんでした。フランスもしたたかでその中にゴッホのアルルの顔、セザンヌの山等があってオルセー美術館の目玉になっているそうです。
パリの画商とも太いパイプを作って、例えばロダンが銅やアルミがないといえば大量の胴をプレゼントしました。今上野に「ロダンの考える人」がありますがこのような松方の行動の結果です。
松方コレクションの行方には3種類あって1)日本に送った2)ロンドンの倉庫に保管3)パリの知人に預けた。日本に送った作品の中にルノアールの少女、ムンク、大原美術館のモネの作品があり、ロンドンの倉庫に保管は戦火にあって消失しました。パリの知人に保管を頼んだ分が1951年サンフランシスコ講和条約で吉田茂がフランス大使にだめもとで返してくれと交渉したところ、370点が戻りましたが条件として美術館を作るようにとなりそれが上野国立西洋美術館誕生の秘話です。さすがフランスは文化が分かるとなったのですが17点が帰ってきませんでした。フランスもしたたかでその中にゴッホのアルルの顔、セザンヌの山等があってオルセー美術館の目玉になっているそうです。
aokijuku at 00:00│コメント(0)│