2011年06月25日

ビュッケブルグ歳時記 12

2つの国の教育法の相違ー日本に取り入れてもらいたいこと

先回、ドイツの学校制を大ざっぱにご紹介しました。そこで行われている教育法は日本と違う事が多々ありますが、その中で一つ、是非知っていただきたい「考えるべきこと」を今回書いてみます。一人でも多くの皆様に読んでいただいて、考えていただきたいと思うのです。教師や父兄を含む一般社会人の皆様の賛意を得て、最終的に教育に携わる官僚の方々の思考に行き着く事が出来れば、というのがわたしの願いです。

 これからお話しする「考えるべきこと」の重要性をつくづく認識したきっかけは、オバマ大統領当選です。彼の政治を云々するのではなく、彼の演説ーレトリックについてです。当選後、日本のメデイアは彼の話法を大手をあげて祭りあげていました。新聞の本広告欄はオバマの演説集の連続出版の知らせで一杯でした。連日、広告を見るたびによい演説を読む読者層はどういう人なのだろう、政治家も読むのかな思ったり、又読むことでのメリットはあるのかと疑問に思ったのです。

 そこへ2008年12月の朝日新聞紙上に次のような記事がありました。表題は「ポリテイカにっぽん」です。大要は、【オバマのコミュニケーッション力を解明しながら、民主党の議員、大学、民間、個人としての官僚が自由に政策を論じ合おうと云う勉強会が開催された。一記者がそれに参加し、オバマの国民を思うやさしさと、「老いも若きも、金持ちも貧者も、民衆党員も共和党員も全てが合衆国国民だ」として国民の統合を目的とする意志を語る演説をビデオで聴いた。その演説は国民の心をとらえる良いものであった。その勉強会の後、参院厚生労働委員会の傍聴に廻った所、そこで見たものは自民、公明党員のヤジと怒号だけであった。ヤジり返して4回挙手して強行採決という散散たる情景であった]です。
 この記事を読んだとき、よい演説を褒めちぎることが何の役に立つのだろうと思ったことが正しいと判りました。前記のように日本の審議会がヤジと怒号だけならば、ここでしなければならない事は、オバマの演説の巧みさが、何処で、どのようにして育まれたのかを知り、それを学び、日本の政治家も劣らない演説が出来るようにする方法を考えるべきではないかと思ったわけです。
 演説とは「公衆の前で自分から進んで意見・主張を述べること。狭義では政見演説を指す」と辞書にあります。政見を公衆に述べることは政治家の義務です。日本の国会中継の質疑応答をみるとメモを読み上げるか、論証ではなく相手の非点を並べるだけとここでも言葉の力のなさが目につくのわたしだけではないと思います。
 政治家がよい演説をすることが出来る迄には過程が必要だと思います。才能如何の問題ではないと思うのでます。この考えはやはり、ドイツの教育法を知ることから来ていると思います。ドイツでは「話すこと」を重要視する教育法なのです。ドイツ人は中学校から演説法を学校で習っているといっても言い過ぎではないのです。

 今回は前置きだけになってしまいました。次回に、話すことを重要視するこの国の教育法の実態を読んでいただきます。違う国に住んで、何につけ、その国の良いと思われる政策とか方法を皆様にお伝えし、共に考えていただくことは無駄ではないと思うのです。



aokijuku at 00:03│コメント(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
月別の記事一覧
最新コメント