2011年01月17日

【明日の世界】No.55「渋沢栄一」その2(城山三郎の「勇気堂々」より)

1)なぜ名門出でもない渋沢栄一を徳川慶喜がフランス国で行われる博覧会に弟の清水昭武(あきたけ)を頭にした一行に同行するように言われたか。
 ※建白魔といわれるほど、夢中になって仕事をつくり、業績を上げてきた来たことはムダではなかった。
とはいえ,慶喜が直接栄一をよく知っていたのではなくて、中にたっていた原市之介が推奨してくれて、栄一が誰に対しても誠心誠意尽くすところがフランス行きにつながったと言えます。
 今で言うなら問題解決の為に企画、提案書をどんどん提出したことになるでしょう。

2)この長い道中、栄一たちは進んだ西洋文化を随所に散見して、目を見張った。大砲、汽車、ガス灯、潜水夫、工事中の大運河、新聞、顕微鏡・・・・大きなものから小さなものまで栄一には全てが驚きの的であった。
 同行の侍たちの多くが、異国の風俗習慣になじまず、白い目を向けている中で、栄一は進んでその新しい世界の中へ飛び込んで行った。
 とにかく西洋をよく知ること、批判はその次だと思った。
※見るもは同じでも見る観点,姿勢が違うとかくも違ってくるのか渋沢栄一が教えてくれます。


kiyoshi_kawabe at 00:00│コメント(0)

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