2011年01月15日
「ちいさな桃源郷」
暮れから正月にかけて、今年もまた妻の実家の群馬県にいた。一人暮らしの義母は、80を過ぎても、野菜作りや山に近所の年寄りの世話など、今どきの中高年にも負けぬ体力で、あちこちと動き回っている。それでも、今年からは餅つきや手合わせを子供たちに任せた。とは言っても、もち米や黍、それに栃の実などすべて用意。カマドで薪をくべて炊き上げるまでの準備をしてのことだ。実家の町は、町村合併で隣村と一緒になり、町の中心を流れる神流川に因み神流町と変えた。家々は、山に囲まれた谷底を流れる川の縁の狭い傾斜地に、遠慮がちに立つ。そこここにある畑にはコンニャクや野菜などが栽培され、水田は無い。町役場や土建業、それに造園業などが主たる産業であり、嘗て1万人を超えた人口は、2,500人を割って、高齢化率は50%を超える。
ドイツ文学者の池内紀氏が編纂の本「ちいさな桃源郷」に、4、50年前のこの谷一帯は、取り残された桃源郷のように載っている。晴れた日には、山頂から遠くに富士山が望める赤久縄(アカグナ)、山腹にニッコウキスゲが群生する信仰の御荷鉾(ミカボ)、それに埼玉県との県境にある父不見(テテミエズ)など、1000メートル級の山々に囲まれている。山裾を流れる神流川では、春先から夏にかけて鮎釣りや鯉のぼり祭などに人影が増し、流域では山ツツジの赤や山フジの薄紫、それに山百合の白の花々が桃源郷の一端を覗かせる。ただ、風花が舞う寒さ厳しいこの季節は、人の少なさに寂寥感が募る。
取り立てて名所もない町で、たっぷりある時間過ごすのには、山歩きが最適である。今回は、斉藤佑樹選手の母方の祖父母がいるという集落に行く。暇な一日、全くの興味本位で1時間半の道のりを、神流川、その支流の川沿いを登っていく。支流域に入り、最初の集落で尋ねる。この辺では祖父母も有名人のようだ。そこから曲りくねった川沿いの急峻な山道を、30分ほど登る。あそこは山が深いからとの出発前の義母の言葉が思い起こされる。山に囲まれた小さな川沿いの平地や山裾に民家が点在。その中で、道に一番近い家で聞く。「斉藤佑樹さんのお爺さんのお家ですか?佑樹さんの幸運を分けて貰おうと思って伺ったんですよ。」
200メート先かと思われる川を隔てた丘にある2軒家の奥の家だとのこと。判らないといけないと、一緒に河川敷の道を歩いて案内してくれる。この集落は全て同じ苗字で、嘗て25世帯あった家が今や11世帯になった。佑樹選手も子供の頃に練習していたという、河原を整備したグラウンドの脇を通る。目的の家には誰もいる気配はない。戻ろうとした時、年配のご夫婦が運転する軽トラックが坂を上ってきた。佑樹選手にそっくりのすっきりした顔つき。佑樹選手の激励会の帰りだと言う。その昔は細い人道のため車が通れず、そのために分教場が近くにあったが、それでも中学になると1時間以上かけて、役場のそばの校舎まで歩いて通ったという。その中学での亡き義父の教え子だった。
谷は更に続いている。山に向かって、徒歩で更に1時間ほどの先に、別の集落もあるようだ。今度は、そこに行ってみよう。「ちいさな桃源郷」があるかも知れないと思った。
ドイツ文学者の池内紀氏が編纂の本「ちいさな桃源郷」に、4、50年前のこの谷一帯は、取り残された桃源郷のように載っている。晴れた日には、山頂から遠くに富士山が望める赤久縄(アカグナ)、山腹にニッコウキスゲが群生する信仰の御荷鉾(ミカボ)、それに埼玉県との県境にある父不見(テテミエズ)など、1000メートル級の山々に囲まれている。山裾を流れる神流川では、春先から夏にかけて鮎釣りや鯉のぼり祭などに人影が増し、流域では山ツツジの赤や山フジの薄紫、それに山百合の白の花々が桃源郷の一端を覗かせる。ただ、風花が舞う寒さ厳しいこの季節は、人の少なさに寂寥感が募る。
取り立てて名所もない町で、たっぷりある時間過ごすのには、山歩きが最適である。今回は、斉藤佑樹選手の母方の祖父母がいるという集落に行く。暇な一日、全くの興味本位で1時間半の道のりを、神流川、その支流の川沿いを登っていく。支流域に入り、最初の集落で尋ねる。この辺では祖父母も有名人のようだ。そこから曲りくねった川沿いの急峻な山道を、30分ほど登る。あそこは山が深いからとの出発前の義母の言葉が思い起こされる。山に囲まれた小さな川沿いの平地や山裾に民家が点在。その中で、道に一番近い家で聞く。「斉藤佑樹さんのお爺さんのお家ですか?佑樹さんの幸運を分けて貰おうと思って伺ったんですよ。」
200メート先かと思われる川を隔てた丘にある2軒家の奥の家だとのこと。判らないといけないと、一緒に河川敷の道を歩いて案内してくれる。この集落は全て同じ苗字で、嘗て25世帯あった家が今や11世帯になった。佑樹選手も子供の頃に練習していたという、河原を整備したグラウンドの脇を通る。目的の家には誰もいる気配はない。戻ろうとした時、年配のご夫婦が運転する軽トラックが坂を上ってきた。佑樹選手にそっくりのすっきりした顔つき。佑樹選手の激励会の帰りだと言う。その昔は細い人道のため車が通れず、そのために分教場が近くにあったが、それでも中学になると1時間以上かけて、役場のそばの校舎まで歩いて通ったという。その中学での亡き義父の教え子だった。
谷は更に続いている。山に向かって、徒歩で更に1時間ほどの先に、別の集落もあるようだ。今度は、そこに行ってみよう。「ちいさな桃源郷」があるかも知れないと思った。
aokijuku at 00:01│コメント(0)│