2011年01月02日
「還暦パワーを活用するベンチャー企業」
2010年は、支援アドバイサーとして、研究者が設立したベンチャーの販売体制の確立に関与した。世界に誇れる技術も、リーマンショックの世間の荒波にもまれ、売りが低迷していた。アピール度を高めて、成長軌道に乗せ直すことができないか、そのためには、今までとは違ったやり方で販売体制を工夫して貰いたい、と言うのが要請の理由であった。
一年間の支援も終わりに近い11月の末に、設立10周年のパーティーが開かれた。席上、創設者である社長は、「我が社の社員構成は、二つのヤマがある。一つは35歳、もう一つは60歳を過ぎた所にある。35歳近辺の社員を、他の会社で定年を迎えた後の社員がサポートしている。」と自社の状況を説明した。その社長も、50ちょっと過ぎ、副社長は50前である。そんな経営陣に率いられた40人の会社は、研究者が設立した多くのベンチャーが、倒産か廃業に陥っている状況で、生き残っているまれな会社である。
確かに、訪問時の会議の議事録は、年金を受け取り始めた社員が取っている。また、会議でじっくり話を聞いている常任監査役は60代後半で、同業種の社長との研究仲間であった。それに、工場には、社長と同じ会社にいた先輩が、製造のコーディネーターとして勤務している。誰もが、住み慣れた都内近辺から、関東西部にある山間部のベンチャー企業に身を移してきた。単身生活者は勿論のこと、既に成人した子供に嘗ての住まいを譲り、夫婦で田園生活を楽しんでいる人もいる。
研究社の集団だけに、留学組や博士の称号を有するものも多く、大学との共同研究が常にあり、極めてアカデミックな雰囲気である。嘗て機械会社に勤めていたとは言え、社員同士の技術情報を、文系の私はほとんど理解することができない。そう言えば、嘗ての機械会社でも、自分に自信がある技術者は、自分の開発に絶大なる愛着を持ち、是非売ってくれとユーザーが頭を下げて当然との考え方をしていたことを思い出す。そんな個性派揃いの技術系の研究者がいて当然の会社には、業界通の経験豊富な60代が役に立つようだ。
そう思って見ると、社長の方針と社員の能力の間に立って、60代が調整役として機能しているのを目にする。販売会議の席上、常任監査役は私と出席者の間を通訳し、工場の進捗会議では、製造コーディネーターが製造担当者のそれぞれの言い分を振り分ける。20年前には社長の先輩か上司のような立場にあった60代の人たちは、そんな役割を楽しんでいる。そして、今の自分を生かしてくれることに感謝している。多くの退職者が、中国や韓国などの競合に呼ばれる中で、国内で一緒に働ける幸せを認識しているのである。
この幸せな環境を活用して、今までの支援の成果を次に繋いでいこう。そう思って、海外現法で社長を務めた2歳年上の友人を、販売支援サポート社員として紹介した。定年後の時間を、現役世代の教育に当ててもらう算段である。私の外部からのコンサルティングだけではなく、内部から変革してもらうためには、経験豊富なベテランの力が必要である。2011年は、我が分身のような嘗ての友と、ベンチャー企業の販売体制の構築をすることとなった。
一年間の支援も終わりに近い11月の末に、設立10周年のパーティーが開かれた。席上、創設者である社長は、「我が社の社員構成は、二つのヤマがある。一つは35歳、もう一つは60歳を過ぎた所にある。35歳近辺の社員を、他の会社で定年を迎えた後の社員がサポートしている。」と自社の状況を説明した。その社長も、50ちょっと過ぎ、副社長は50前である。そんな経営陣に率いられた40人の会社は、研究者が設立した多くのベンチャーが、倒産か廃業に陥っている状況で、生き残っているまれな会社である。
確かに、訪問時の会議の議事録は、年金を受け取り始めた社員が取っている。また、会議でじっくり話を聞いている常任監査役は60代後半で、同業種の社長との研究仲間であった。それに、工場には、社長と同じ会社にいた先輩が、製造のコーディネーターとして勤務している。誰もが、住み慣れた都内近辺から、関東西部にある山間部のベンチャー企業に身を移してきた。単身生活者は勿論のこと、既に成人した子供に嘗ての住まいを譲り、夫婦で田園生活を楽しんでいる人もいる。
研究社の集団だけに、留学組や博士の称号を有するものも多く、大学との共同研究が常にあり、極めてアカデミックな雰囲気である。嘗て機械会社に勤めていたとは言え、社員同士の技術情報を、文系の私はほとんど理解することができない。そう言えば、嘗ての機械会社でも、自分に自信がある技術者は、自分の開発に絶大なる愛着を持ち、是非売ってくれとユーザーが頭を下げて当然との考え方をしていたことを思い出す。そんな個性派揃いの技術系の研究者がいて当然の会社には、業界通の経験豊富な60代が役に立つようだ。
そう思って見ると、社長の方針と社員の能力の間に立って、60代が調整役として機能しているのを目にする。販売会議の席上、常任監査役は私と出席者の間を通訳し、工場の進捗会議では、製造コーディネーターが製造担当者のそれぞれの言い分を振り分ける。20年前には社長の先輩か上司のような立場にあった60代の人たちは、そんな役割を楽しんでいる。そして、今の自分を生かしてくれることに感謝している。多くの退職者が、中国や韓国などの競合に呼ばれる中で、国内で一緒に働ける幸せを認識しているのである。
この幸せな環境を活用して、今までの支援の成果を次に繋いでいこう。そう思って、海外現法で社長を務めた2歳年上の友人を、販売支援サポート社員として紹介した。定年後の時間を、現役世代の教育に当ててもらう算段である。私の外部からのコンサルティングだけではなく、内部から変革してもらうためには、経験豊富なベテランの力が必要である。2011年は、我が分身のような嘗ての友と、ベンチャー企業の販売体制の構築をすることとなった。
aokijuku at 00:05│コメント(0)│