2010年09月27日
【明日の世界】No.39「井上四郎元アジア開発銀行総裁」
新聞によると平成22年7月11日井上四郎さんが肺炎で95歳で亡くなられたとありました。アジア開発銀行総裁をやめられたあと山一証券顧問をなされていて小生の所属した国際部にも関係していましたので、その時のお話をさせてください。
あるとき井上さんはオーストリアからマニラに入りアジア開発銀行の総会に出席することになり、小生は奥様のかばん持ちで成田からマニラまで同行することになりました。奥様はアルゼンチン生まれの今で言う帰国子女でスペイン語、英語がネーティブでした。早めに我々がマニラ空港についたので2、3時間空港の特別室で待つことになりました。その間銀行関係の要人が次々奥様に挨拶されるのですが皆さん総裁に大変お世話になりましたと畏敬の念でお話をしていました。どの方も総裁の在職当時を懐かしむ様子を見ていますと総裁のお人柄が手に取るように伝わってきました。こんな話もあります。当時のフイリッピンの大蔵大臣がアメリカの帰りに日本に寄たのですが、時間がなくて政府要人には合わずに当時広尾にあった井上さんの私邸に寄ったそうです。
国際金融部が徹夜で作成したプロポーザルをみて一番苦労したポイントをズバリさしてここ苦労しましたがうまく出来ましたねと言われます。こんな調子ですから誰でも尊敬してしまいます。
城山三郎の「男子の本懐」は井上四郎さんのご尊父井上準之助の物語ですが、文中幼い四郎さんが箱根の別荘で広い庭の電球を数えるところが出て来ますが、城山さんがちゃんと取材したそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
あるとき井上さんはオーストリアからマニラに入りアジア開発銀行の総会に出席することになり、小生は奥様のかばん持ちで成田からマニラまで同行することになりました。奥様はアルゼンチン生まれの今で言う帰国子女でスペイン語、英語がネーティブでした。早めに我々がマニラ空港についたので2、3時間空港の特別室で待つことになりました。その間銀行関係の要人が次々奥様に挨拶されるのですが皆さん総裁に大変お世話になりましたと畏敬の念でお話をしていました。どの方も総裁の在職当時を懐かしむ様子を見ていますと総裁のお人柄が手に取るように伝わってきました。こんな話もあります。当時のフイリッピンの大蔵大臣がアメリカの帰りに日本に寄たのですが、時間がなくて政府要人には合わずに当時広尾にあった井上さんの私邸に寄ったそうです。
国際金融部が徹夜で作成したプロポーザルをみて一番苦労したポイントをズバリさしてここ苦労しましたがうまく出来ましたねと言われます。こんな調子ですから誰でも尊敬してしまいます。
城山三郎の「男子の本懐」は井上四郎さんのご尊父井上準之助の物語ですが、文中幼い四郎さんが箱根の別荘で広い庭の電球を数えるところが出て来ますが、城山さんがちゃんと取材したそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
kiyoshi_kawabe at 00:00│コメント(0)│