2010年07月28日

BOROとは襤褸である

日本の江戸時代、明治時代、大正時代もそうだったにちがいない。貧しい農民たちは飢饉でもなればお米は収穫できずその日自分たちが食べることにも事欠きまして着るものも自分たちの手で織っていたからやぶれれば繕い同じ布などないからツギハギだらけであつた。
 そのような着物、野良着を美しいと言って展示している店があり私はショツクを受けた考えてみれば現代風にいえばパツチワークなのだろう。ラルフローレンや他のデザイナーで影響をうけそこからインスピレーシオンを感じている有名な人たちがいるという。252257
日本人が日常身の周りに置き使ってきた物たち、必要にせまられて考案された道具類、大工道具、自在かぎ、人形類そのほかありとあらゆるものがそこにはあった日本人が捨ててしまった物たちがそこに身を寄せ合っている、、という雰囲気でしばしの間茫然としてしまった。遠い昔おぼろ気に覚えている感覚がよみがえる。広い台所、周りはおおきな茶箪笥があり家族みんながそろっての食事風景、座る場所も決められていて廊下などもよく磨きこまれていて黒光りしていた。神棚、大黒様など遠い昔にタイムスルツプしたみたい、そしてなぜか悲しくなった。ここはアメリカなのに。

オーナーのオーエン氏は幼いころから日本に興味のある両親に育てられたという。母は生け花をされていたらしい。

「時代箪笥ー日本が誇る伝統家具」

日本クラブでいま時代箪笥展が開催されていてキュレターのジャクソン氏によるギャラリートークが行われる.「階段箪笥は世界に類を見ない斬新なデザインで、階段箪笥の保護研究に長年の月日を費やしてきた。用と美を併せ持つ日本各地の様々な階段箪笥を紹介し、その歴史を振り返ると同時にその謎にせまります」という内容がメツセージとして述べられていた。

それにしても暑い日が続きます。電車、ビルの中、レストランはしばらくいると身体の中まで冷えてしまう。しかし人体のメカニズムはうまくサーモスタツトのようなものが作用して守られそれでも健康でいられる不思議にも感動です。
 




aokijuku at 00:05│コメント(1)

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この記事へのコメント

1. Posted by いぶり みなこ   2010年07月28日 13:18
堀切 辰一氏のコレクションをご存知ですか?明治から昭和にかけて、貧しい人たちの着物を収集したものです。収拾する過程で着物の持ち主のお話などを本にまとめてあるのですが(布のいのち)、涙なくしては読めません。これをアートというのか分かりませんが、九州の博物館が所蔵しているそうです。人の手で使い込まれ、何度も破れては縫って色あせたその布は、美しいのではないかと思います。

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