2010年07月01日
【青木塾便り】No.55「宮尾登美子と杉葉子」
ロスアンジェルスにいるとき小説家宮尾登美子さんの講演を聞く機会がありました。会場は日米会館でした。その会場に映画「青い山脈」で一躍スターになった杉葉子が来ていたのでそのお話をさせてください。
NHKの大型大河ドラマ篤姫の作者は作家になろうと決心して書いて書いて書きまくりその原稿を出版社に送りましたがまったくの反応がありませんでした。書きためた原稿がこうり二個分一杯になってもどこからも返事ないのであるとき強引に出版社に行って原稿見てくれたかと言ったところ、アナタの様な方が毎週何十人と原稿を送ってきて読んでくれと言ってくるが、とても読んでなどいられないと冷たい返事でした。それでもあきらめいないで書いていたところあるとき懸賞募集に応募して入賞したのがきっかけで少しずつ雑誌に載る様になってきました。今は一生分書くことがあって日々充実した生活を送っていると言ったのが印象的でした。
ところでその会場に1949年今井正監督で石坂洋二郎の「青木山脈」の新人女優として一躍有名になった杉葉子が来ていました。彼女は当時ロスアンゼルスにあるホテルニューオオタニのアドバイサーでしたがほぼ宮尾と同年輩でしょう。日系二世と結婚してロスに来て離婚してそのまま現地に留まっていました。森光子もそうですが当時の女優のエリート?コースだったかも知れません。売れない時に歯を食いしばって頑張っていまや売れっ子作家の宮尾登美子と過去の栄光を背負って今は地味に暮らす同世代の有名女優杉葉子が同じ会場にいたことが何故か忘れられません。
NHKの大型大河ドラマ篤姫の作者は作家になろうと決心して書いて書いて書きまくりその原稿を出版社に送りましたがまったくの反応がありませんでした。書きためた原稿がこうり二個分一杯になってもどこからも返事ないのであるとき強引に出版社に行って原稿見てくれたかと言ったところ、アナタの様な方が毎週何十人と原稿を送ってきて読んでくれと言ってくるが、とても読んでなどいられないと冷たい返事でした。それでもあきらめいないで書いていたところあるとき懸賞募集に応募して入賞したのがきっかけで少しずつ雑誌に載る様になってきました。今は一生分書くことがあって日々充実した生活を送っていると言ったのが印象的でした。
ところでその会場に1949年今井正監督で石坂洋二郎の「青木山脈」の新人女優として一躍有名になった杉葉子が来ていました。彼女は当時ロスアンゼルスにあるホテルニューオオタニのアドバイサーでしたがほぼ宮尾と同年輩でしょう。日系二世と結婚してロスに来て離婚してそのまま現地に留まっていました。森光子もそうですが当時の女優のエリート?コースだったかも知れません。売れない時に歯を食いしばって頑張っていまや売れっ子作家の宮尾登美子と過去の栄光を背負って今は地味に暮らす同世代の有名女優杉葉子が同じ会場にいたことが何故か忘れられません。
kiyoshi_kawabe at 03:46│コメント(0)│