2010年06月24日

【青木塾便り】No.54 「リーバイス」

ジーパンのリーバイスは高級品としてのブランドを維持しているようですが、昨今ユニクロ、その他安いジーパンが出回っていったいどこまで安値競争が続くのかと思ってしまいます。
 筆者は仕事でサンフランシスコにあるリーバイス本社を何回も訪問したので今回この会社の成り立ちについて述べます。
アメリカに人気フットボールチーム49ERSがありますがアメリカに行った時そのいわれを知りませんでした。聞けばゴールドラッシュラッシュがカリフォルニアの首都サクラメントの奥地で始まったのが1849年とのことです。東海岸でゴールドラッシュの噂を聞いて一攫千金を夢見る人たちが西海岸のサクラメントの奥地を目指すには三つのコースありました。一つは馬車で陸地をひたすら東に向かうコース、途中デスバレーがあってここが難所ででしたのでデスの名前が付いているそうです。二つ目がパナマ海峡まで船で行って、そこで陸地をわたって太平洋側に出て又船に乗ってサンフランシスコまで北上しました。三つ目が南アメリカの最南端のフェゴ島を通るコースです。どのコースも死と隣り合わせです。
幸い苦難を乗り越えてサクラメントの奥地にたどり着いて金の採掘に成功した人も多数いたことでしょう。
しかしこのゴールドラッシュで一番儲けたのはズバリ「リーバイス」です。当時の会社で今日まで残っているのは「リーバイス」のみです。金の採掘時に丈夫なズボンを開発したリーバイスのみが生き残る、歴史の現実は実に厳しいですね。金で儲けた人は多数いたでしょうが、アメフトのチーム名で残るのが精一杯でしょうか。
ジョン万次郎も帰国する日を夢見てこの地区で働いて旅費を稼いだといわれます。

会津出身の早乙女貢が小説「おけい」で描いていますが戊辰戦争後数百人の会津藩士がアメリカ西海岸に逃れました。その中に桶屋の娘おけいがいました。彼女はサクラメントまで行ってそこに居住するのですが結局うまく行きませんでした。筆者はロスアンゼルスにいるとき夏休みにサクラメントの奥地ゴールドラッシュのあった川に行き、また会津藩の移住者が居ついた場所まで行ってみました。立看板があって、ここに会津から来た人がお茶と桑の生産に努力するが土地が合わないこともあって成功しなかったなる看板がありましたが。150年前にここに日本人が苦労しながら住みつこうとしたのだと歴史の重みを感じました。

kiyoshi_kawabe at 00:00│コメント(0)

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