2010年06月21日
【明日の世界】その25「劇団四季」
劇団四季で30年間主役を務めた青山明さんにお話を聞きました。「コーラスライン」のアル、「キャッツ」のスキンブル・シャンクス、「ライオンキング」のスカー等歌と踊りで主役を務めた方のエッセンスです。
劇団四季はCATS以前と以後で大きく違ってきたそうです。以前は手売と称して、芸団員全員で切符を売っていたのですが以後は「ぴあ」中心に販売は団員から手を離れました。劇団四季の人気が高まったことがその最大の理由かもしれません。今も団員が手売りしている劇団が沢山あります。
劇団四季は浅利慶太が慶應の学生で19歳の時に現在のある姿を夢見ていたそうです。その着想力、実行力は今までの日本人には無かった稀有の存在です。青山さんは芸大の声学科を出ておられますが、芸大卒業生でも理想とする働き場は皆無でほとんどの方は学校の先生になるようでした。卒業後アメリカに行
ってLAやNYで踊りや、ミュージカルを勉強してこんな素晴らしいエンターテインメントが日本にも出来ればよいなと思っていました。
帰国後27歳の時に劇団四季(出来て17年目)に入って以後30年間250回のステージを勤めました。
当時東宝ミュージカルがあって、スター中心で、江利チエミらが活躍していましたが、単発の興行でした。そのときに越路吹雪のワンマンショーを浅利慶太演出で当時のロングランの記録を作り今日の劇団四季の構想に自信を持ったとのことです。客を呼ぶことの大切さ、面白さ等ここから始まりました。
誰もやったことのないことへの挑戦はアイディア、企画力が求められますと語ってくださいました。
劇団四季はCATS以前と以後で大きく違ってきたそうです。以前は手売と称して、芸団員全員で切符を売っていたのですが以後は「ぴあ」中心に販売は団員から手を離れました。劇団四季の人気が高まったことがその最大の理由かもしれません。今も団員が手売りしている劇団が沢山あります。
劇団四季は浅利慶太が慶應の学生で19歳の時に現在のある姿を夢見ていたそうです。その着想力、実行力は今までの日本人には無かった稀有の存在です。青山さんは芸大の声学科を出ておられますが、芸大卒業生でも理想とする働き場は皆無でほとんどの方は学校の先生になるようでした。卒業後アメリカに行
ってLAやNYで踊りや、ミュージカルを勉強してこんな素晴らしいエンターテインメントが日本にも出来ればよいなと思っていました。
帰国後27歳の時に劇団四季(出来て17年目)に入って以後30年間250回のステージを勤めました。
当時東宝ミュージカルがあって、スター中心で、江利チエミらが活躍していましたが、単発の興行でした。そのときに越路吹雪のワンマンショーを浅利慶太演出で当時のロングランの記録を作り今日の劇団四季の構想に自信を持ったとのことです。客を呼ぶことの大切さ、面白さ等ここから始まりました。
誰もやったことのないことへの挑戦はアイディア、企画力が求められますと語ってくださいました。
kiyoshi_kawabe at 00:00│コメント(0)│
