2022年03月

2022年03月26日

ビュッケブルグ歳時記 269

現存の英雄とは・・・

 始まってからちょうど4週間経ったウクライナ戦争報道がニュース時間のほとんどを占める今日この頃のドイツですが、政治的な解決策などについてのブログは専門家に任せ、市民の一人の目に留まった事柄 ー今の世界における英雄とはー との現在の英雄像から見たウクライナ戦争をお伝えしてみます。

 3月の3週目の、ある新聞の日曜版に載った「現在の英雄たち」という記事です。表題の下に写っているのはセレンスキー総裁、クリシェンコ兄弟(ボクサー)の写真です。兄がキエフの市長です。
 記事の内容は次のとうりです。

 [今回の戦争の前にも、進行してからも、現在も、戦闘解決交渉のための話し合いの場面の2枚の写真はどこの国でも報道されていると思われる。
 一枚は、華美と栄光を象徴する宮殿の一室で、大きな長いテーブルの左右で、世界中心国の政治家と向き合うプーチン首相。
 もう一枚は、オリーブグリーンのTーシャツを着て、ハンデイ・カメラに向かって世界中に自国の苦境を訴え、決死の闘志を訴えるセレンスキーウクライナ総裁。

 この2枚の写真は、聖書にあるゴリアート(皇居に留まって悪魔的専制政治をする皇帝)と、ダヴィット(爆撃の災禍の渦巻く街路で戦う兵士)物語のように、今回の戦争の悲劇をよく表している。そして戦争が行われる時代や危機感のある時期には”英雄”への渇望が多く生まれ、危機感が大きくなればなるほど、象徴英雄に対する切望感も大きくなる。この現象は危機期間に起こるメカニズムであり、そこでの英雄はいつもunderdogs と言われる、負け犬のような敗北者であるのだが。 

 ”英雄”とは自分でなるものではなく、他の人間が作り上げるものである。他の人ができないことを成し遂げて、その行為の中に人間性を見出すことができる人間が英雄となるのである。そして英雄を探す心は人間の精神の深中に生まれた時から存在するもので、6ヶ月のべイビーの心の中に既に存在するとの検証が日本の医学会で発表されている。

 英雄とは、一般人とは違う能力を持つ人間で、外観だけでなく精神的に人間であることの最高の変形をもち得る人であるという可能性から英雄として崇められる人を意味する。 

 セレンスキー総裁は1978年にキエフから400キロ離れた街にユダヤ教徒として生を受けた。彼の自国語(生まれた時から使っている言語)はロシヤ語。
始めた法律勉学を中止して俳優として舞台に立ち、”民族に奉仕する人”という芝居で名を馳せ、2019年に実際の生活が同じ形となり、総裁に選出される。

 クリチェンコ兄弟はロシヤ軍隊の空軍将校の父の元で教育を受けた。ボクサー友人の一人は「彼は信念のための死は回避しない人である。このような人に出会えるのは世間では希少価値であろう」との賛辞が耳に入る。」

 「英雄」はさておき、既に232000人がこの国に避難民として来ていること、その他の国へのもっともっと多数の避難民のこと、多くの一般市民の犠牲者が出ていること、兵隊数を補う兵隊募集が貧困国で行われていること、武器援助のこと、3度目の世界大戦になるかもとの心配論、核戦争の可能性は、とその他のことごとを聞くと気が遠くなるような気がします。

 なぜ戦争を辞められないのでしょうか。


aokijuku at 10:42|この記事のみを表示コメント(0)

2022年03月12日

ビュッケブルグ歳時記 268

Internationaler Frauentag (国際婦人デー) の歴史

 この日 ー 国際婦人デー ー のことは日本ではあまり聞かれないように思いますが、数 年前からドイツでは盛んに聞かれるようになっています。そして昨年の選挙の結果の老若を問わず女性議員(議員数736人のうちの約35%の256人が女性議員)の擡頭をみると、この「日」の働きの結果が顕著に現れているなあと感じるのはわたしだけではないように思われます。

 100年以上の歴史を持つ、労働女性の抗議社会運動というべき意味を持つ「この日」のことをお伝えしてみます。

根源 ー 1858年に米国で行われた、女性繊維労働者の、男性労働者と同等権を持ちたいとの要求から行われたデモとストライキが元で、この同等権を要求したのは常にアメリカの紡績工場の女性達であったということです。

1909年 ー 2万人のお針子が N.Y. でデモを起こし、多くの女工が逮捕される結果となったが、それにもめげず2か月間のストライキの結果、女性雇用人の要求が受け入れられる結果となった。これが 1909年2月20日の米国の Nationalen Frauentag となった。

1910年 ー ヨーロッパでは17カ国による第二回国際社会主義女性協議会が開かれ、その席でドイツ人セルキン女史により 国際(=International)Frauentag の設立が提案される。

1911年 ー 3月11日に第一回目の Internationalen Frauentagが、デンマーク、ドイツ、オーストリア、スイス、USA の国々の 参加で開催される。百万人という今までにない最高人数のデモとなる。
ここでの政治的要望の第一は、 aktiv (選挙ができる人)と passive (選出される人)の両方の選挙権が女性にも与えられることであった。
 
1912年 ー フランス、スエーデン、オランダ が加入。

1913年 ー ロシアが加わる。

1917年 ー 3月8日に St. ペータースブルグで繊維工場の行員たちによるストライキが行われたが、そこに他の商業関係の従業員も加わり9万人になったデモが、12日には ”女性革命” となり、それまで国政をとっていたZar( ロシアの皇帝)の退位を促し、臨時政府が政治をするというある種の革命とまでなった。この時より国際婦人デーは3月8日となる。

(1946年) ー この項に(  )をつけたのは旧東ドイツでは少し違った形の3月8日の習慣があったということからです。多くの女性が仕事についていた旧東ドイツでは、全ての仕事の報酬は男性より低く、その上家事と子供養育は母親の仕事とされ、女性の労働は相当に厳しかった当時、1年に一度だけ、3月8日には勤め先の上司から贈り物をもらうとか、食事に招待されるとか、役割が反対になる日ということで、この日には女性が気分の上では男性と同等になれる日という意味での特殊な婦人デーだった、ということです。

2019年 ー ベルリン州では休日となる。  

 このような歴史を経ての国際婦人デーですが、日本でこの日のことをあまり聞かないのは、日本が加入していないことが原因かなとも思われます。 
 色々と違う政治の制度がある中で、デモクラシー制度では男女平等が大切な要素となっているので婦人デーの成長発展を願うのは間違っていないと思われます。
 依然として男女の給料平等問題はこの国でもまだ解決されていませんし! 



aokijuku at 11:17|この記事のみを表示コメント(0)
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