2019年01月
2019年01月20日
目と耳を塞がれて。
先日某銀行に会社の届印の変更をするため、口座を開設した支店まで行きました。
久しぶりに行ってみて、待合所がホテルのラウンジのようになっていたのにまず驚きました。
整理券を渡され待つことになりましたが、それは覚悟の上、持参した本を読み始めました。
ホテルのラウンジなみに整えられた待合所でしたが、順番が来たときのお知らせは他の銀行と変わらず大型の液晶画面に番号が出て更に音声で番号が呼ばれるシステムです。
待つことを覚悟していたとはいえかれこれ50分ほど待ち、本を読み終えてしまいました。
あとはいつもの癖で人間観察をしたり掲示物を見たりしていました。
更に暫くして、私の一つ前の番号が掲示され、同時に機械音声が響きました。
しかし、誰も反応せず音声は4回繰り返されました。私は前の番号の人は帰ってしまったと思い、次に私の番号が呼ばれることを疑わず移動の準備を始めました。
すると、カウンターから女性行員さんが現れて、番号を呼びながらラウンジを回り始めました。それはかれこれ5分ほど続き私の斜め前の人の荷物の上に置かれた整理券を見て、その人の視界に入り微笑みました。
その人はイヤホンを外し、行員から順番が来たことを知らされ、無造作にカウンターへと進んで行きました。
彼がスマホゲームをしていたのは私も後方から気付いていました。おまけに両耳をイヤホンで塞いでいたのですから自分の呼び出しに気付かないのは当然でした。
驚いたことに辺りを見ると、ほぼ半数の人がイヤホンをして何やらスマホに見入っていました。
因みに順番が来て、私の手続きは書類の確認だけでしたので5分も掛かりませんでした。
そう、行員さんが彼を探していた時間より短かったのです。
久しぶりに行ってみて、待合所がホテルのラウンジのようになっていたのにまず驚きました。
整理券を渡され待つことになりましたが、それは覚悟の上、持参した本を読み始めました。
ホテルのラウンジなみに整えられた待合所でしたが、順番が来たときのお知らせは他の銀行と変わらず大型の液晶画面に番号が出て更に音声で番号が呼ばれるシステムです。
待つことを覚悟していたとはいえかれこれ50分ほど待ち、本を読み終えてしまいました。
あとはいつもの癖で人間観察をしたり掲示物を見たりしていました。
更に暫くして、私の一つ前の番号が掲示され、同時に機械音声が響きました。
しかし、誰も反応せず音声は4回繰り返されました。私は前の番号の人は帰ってしまったと思い、次に私の番号が呼ばれることを疑わず移動の準備を始めました。
すると、カウンターから女性行員さんが現れて、番号を呼びながらラウンジを回り始めました。それはかれこれ5分ほど続き私の斜め前の人の荷物の上に置かれた整理券を見て、その人の視界に入り微笑みました。
その人はイヤホンを外し、行員から順番が来たことを知らされ、無造作にカウンターへと進んで行きました。
彼がスマホゲームをしていたのは私も後方から気付いていました。おまけに両耳をイヤホンで塞いでいたのですから自分の呼び出しに気付かないのは当然でした。
驚いたことに辺りを見ると、ほぼ半数の人がイヤホンをして何やらスマホに見入っていました。
因みに順番が来て、私の手続きは書類の確認だけでしたので5分も掛かりませんでした。
そう、行員さんが彼を探していた時間より短かったのです。
2019年01月15日
【From America】「E−シガレット」
アメリカのウインドゲイト緑です。
皆さんはタバコの害があることは良く知っていると思います。あちこちで禁煙が徹底されていますから、喫煙者はかなり肩身の狭い想いをしていることでしょう。そこで注目を集めているのがE-シガレットと呼ばれる「電子タバコ」です。
これなら健康に良いと思って、従来のタバコから電子タバコに切り替える人も多いと聞きます。それが、今アメリカのハイスクールの学生達のなかで大きなブームとなり、懸念が広がっています。従来のタバコよりは害が少ないと思っているようですが、しっかりとしたデータも出ていないようです。
何より心配なのが、「かっこいい」と思うことですね。従来のタバコも、往年の映画俳優がタバコの煙をくゆらせている姿がかっこいい。それに憧れて自分も吸ってみよう、というきっかけから喫煙を始め、止められなくなってしまった人がどんなに多いことでしょうか。
このアメリカの高校生の中から「電子タバコはかっこいい」というイメージが取り去られないことには ブームが収まらないと思うので心配です。日本でも電子タバコがかっこいい、ということで広まらないことを望んでいます。
皆さんはタバコの害があることは良く知っていると思います。あちこちで禁煙が徹底されていますから、喫煙者はかなり肩身の狭い想いをしていることでしょう。そこで注目を集めているのがE-シガレットと呼ばれる「電子タバコ」です。

何より心配なのが、「かっこいい」と思うことですね。従来のタバコも、往年の映画俳優がタバコの煙をくゆらせている姿がかっこいい。それに憧れて自分も吸ってみよう、というきっかけから喫煙を始め、止められなくなってしまった人がどんなに多いことでしょうか。
このアメリカの高校生の中から「電子タバコはかっこいい」というイメージが取り去られないことには ブームが収まらないと思うので心配です。日本でも電子タバコがかっこいい、ということで広まらないことを望んでいます。
2019年01月12日
ビュッケブルグ歳時記 194
素晴らしい若い人達 ! 1
あけまして、おめでとうございます。今年も平和な年でありますように!
新しい年の初めにはやはり明るいことを書きたいと思案していた時に、ひらめいたことがわたしの今回のブログです。
日本のニュースは,毎朝の朝日、読売、日経新聞のデジタル版を見ることから知ります。その他には船便で送られて来る朝日新聞の朝刊があり、今は2017年の5,6月頃の版を読んでいます。
朝日新聞に「声」という読者のオピニオンを載せる欄があります。そこに書かれている意見は、広範囲で、様々でとても興味深いので、いつもきちんと読んでいるのですが、この間から、おもわず「そうよ!そうよ!賛成!」と叫びたくなる意見があるのです。投稿者を見ると14歳から21歳という生徒、大学生のなのです。
新聞記事の借用は金銭に関係しない限り合法だと聞いていますので、2つの例を挙げてみます。
「守るべきは学校の評判ですか」という題で、大学生の21歳の佑佳さんの意見は:「東京の6割の都立高校が『持毛証明書』を提出させている。私はこの証明書に大きな疑問を感じる。人は異なる遺伝子を持っているのだから、色々な髪の色の生徒が居て当たり前ではないか。髪の色一つで生徒は自分らしく生きることを阻害されるのではないか。学校側は『生徒の見た目で学校の評判が落ちては困る』と云っているそうだが、学校が本当に守るべきは『学校の評判』ではなく、生徒の『自分らしく生きる権利』ではないか」との問いかけです。
これはわたしがかねがね思っていた個性教育と、制服規定との矛盾をきちんと形式立てて書いています。
制服の用途もわかりますが、中高生の時代に自分の装いを育てるのも個性教育ではないでしょうか。
独国では幼稚園から大学迄,服装は自由です。時折、制服云々の議論が起こるのですが、その起原はブランドものを着てこない、買えない級友を侮る傾向が強くなると貧富の差が瞭然となり、それがイジメになるおそれがあると杞憂することからその現象を避けるために制服規定論が出てくるのです。皆が同じものを着ていれば、較べることがないわけです。今でも提案だけで制服規定がないことは、イジメになっていないことと、やはり個人尊重の気風が行き渡っていることの証明のように思えます。
日本のイタリアデザイナーの制服規定云々を聞くと、両国での制服に対する定義が全く違う事に気付き、驚きます。
この国の学校は学年が上に行く程、生徒運営が多くなるように思えます。
例えば、通学の服装に関しての校則を必要とする場合には、軍隊靴(底の厚い、ひもで結ぶ半長靴。このような靴は暴力喧嘩になった時に武器となるそうです)や開放的すぎる洋服などの着用禁止などは生徒達に決めさせるのです。上からの命令に従うより、自分たちで決めたルールの方が従い易いという見解からです。
このようなやり方、教育法は、学校で学ぶのは知識だけではなく、社会の掟のようなものも学ばせるのではないかと思うのです。強いて云うと、将来、民主主義の政治とそこに生きる市民の生き方の訓練をしている教育という感じがするのです。
投稿者の佑佳さんも、持毛証明書に不信感を持つことを通して、これからの学校の在り方を考えているように思われるのですが。そしてこのような若い人が日本の未来を担っていると思うと嬉しくなり、安心するのです。
つづく
あけまして、おめでとうございます。今年も平和な年でありますように!
新しい年の初めにはやはり明るいことを書きたいと思案していた時に、ひらめいたことがわたしの今回のブログです。
日本のニュースは,毎朝の朝日、読売、日経新聞のデジタル版を見ることから知ります。その他には船便で送られて来る朝日新聞の朝刊があり、今は2017年の5,6月頃の版を読んでいます。
朝日新聞に「声」という読者のオピニオンを載せる欄があります。そこに書かれている意見は、広範囲で、様々でとても興味深いので、いつもきちんと読んでいるのですが、この間から、おもわず「そうよ!そうよ!賛成!」と叫びたくなる意見があるのです。投稿者を見ると14歳から21歳という生徒、大学生のなのです。
新聞記事の借用は金銭に関係しない限り合法だと聞いていますので、2つの例を挙げてみます。
「守るべきは学校の評判ですか」という題で、大学生の21歳の佑佳さんの意見は:「東京の6割の都立高校が『持毛証明書』を提出させている。私はこの証明書に大きな疑問を感じる。人は異なる遺伝子を持っているのだから、色々な髪の色の生徒が居て当たり前ではないか。髪の色一つで生徒は自分らしく生きることを阻害されるのではないか。学校側は『生徒の見た目で学校の評判が落ちては困る』と云っているそうだが、学校が本当に守るべきは『学校の評判』ではなく、生徒の『自分らしく生きる権利』ではないか」との問いかけです。
これはわたしがかねがね思っていた個性教育と、制服規定との矛盾をきちんと形式立てて書いています。
制服の用途もわかりますが、中高生の時代に自分の装いを育てるのも個性教育ではないでしょうか。
独国では幼稚園から大学迄,服装は自由です。時折、制服云々の議論が起こるのですが、その起原はブランドものを着てこない、買えない級友を侮る傾向が強くなると貧富の差が瞭然となり、それがイジメになるおそれがあると杞憂することからその現象を避けるために制服規定論が出てくるのです。皆が同じものを着ていれば、較べることがないわけです。今でも提案だけで制服規定がないことは、イジメになっていないことと、やはり個人尊重の気風が行き渡っていることの証明のように思えます。
日本のイタリアデザイナーの制服規定云々を聞くと、両国での制服に対する定義が全く違う事に気付き、驚きます。
この国の学校は学年が上に行く程、生徒運営が多くなるように思えます。
例えば、通学の服装に関しての校則を必要とする場合には、軍隊靴(底の厚い、ひもで結ぶ半長靴。このような靴は暴力喧嘩になった時に武器となるそうです)や開放的すぎる洋服などの着用禁止などは生徒達に決めさせるのです。上からの命令に従うより、自分たちで決めたルールの方が従い易いという見解からです。
このようなやり方、教育法は、学校で学ぶのは知識だけではなく、社会の掟のようなものも学ばせるのではないかと思うのです。強いて云うと、将来、民主主義の政治とそこに生きる市民の生き方の訓練をしている教育という感じがするのです。
投稿者の佑佳さんも、持毛証明書に不信感を持つことを通して、これからの学校の在り方を考えているように思われるのですが。そしてこのような若い人が日本の未来を担っていると思うと嬉しくなり、安心するのです。
つづく