2018年07月
2018年07月14日
ビュッケブルグ歳時記 182
カナスタ会の終末
数回前のブログで2人の93歳になる老婦人とのカナスタ会のことを書きましたが、今回はこの会の幕切れの様子をお伝えすることになってしまいました。
御両人の年齢を考え合せると頷かれることなのですが、夏の始めに、不思議なことにお二人とも大腿骨骨折と、同じ怪我で入院、手術の後、慌ただしくそれぞれの息子さんの側の施設に入られることになったのです。ヒルデさんはミュンスターランドという比較的近い土地のホームに、インゲさんはフランクフルトの保護住居と呼ばれる介護付きのアパートにです。
インゲさんの経歴は60年前の、まだ壁が作られない前の比較的監視が厳しくなかった時代に、旧東からご主人を置いて一人で西に越境し、ビュッケブルグに腰を据えた基礎学校(小学校)教師だったというものです。この小都市に、基礎学校は今は数校がありますがわたしの娘が小学生の時代は一校しか無く、したがってインゲさんは担任になったことは無いのですが、娘の恩師というわけです。
数年してご主人も西に来られ息子さんが生まれ、今の家に定住されたのは40年ほど前のことと思います。そしてこの40年は彼女にとってはかけがえのない年月で、これまでにも息子さんは自分たちが住む近くに来るようにと度々奨めたようですが、頑として聞く耳を持たなったのですが、今回の怪我には彼女も降参するより他なしということだと思います。それで独り身の自由を束縛されぬようにと、2間に台所、風呂場付きの、介護付きアパートに行かれることになったのです。
手術の後、レハビリの病院にお見舞いした折りの彼女は、ロラートアと呼ばれる歩行介助機をしっかり操作して、これからの新しい生活への意気込みに溢れて見えました。非常に自己意識のしっかりした老婦人です。
彼女のビュッケブルグの家が無くなると話した時、孫たちは「エツ、これから何処でチェスするの」と訊いていたと話してくれました。オマ(オバアちゃん)のところへ来ると、わたしとのチェスを楽しみにしてくれていた孫たちのことは前のブログに書きましたので記憶して下さっている方もあると思います。19歳になったアンスガーはこの5月にアビチュアーをとり、希望学科が決まるまでの1年は自由意志による社会保護事業奉仕に参加する積もりだそうです。双子の一人テイモンは中等科を良い成績で終えたためギムナジュウムに転校してアビチュアーを取った暁に、願望のオーストラリア旅行が両親から贈られるそうです。ビクトアーは、1年のフランス滞在を終えた後は見違えるほど何事に関しても自立したそうです。アンスガーは10学年生の時に、1年間北京の世界学校に留学していたのです。このような2人の兄弟の外国体験がテイモンのオーストラリヤ行き願望の基であることを書き添えておきます。
この3人の若者と知り合えたことと、もう一つ、インゲさんが残していってくれた良いことがあるのをお知らせしておきたいと思います。
インゲさんの家の向かい側に住んでいるケストナー夫人のことです。彼女はこれまでインゲさんの毎週の買い物行きと、重要な公務の付き添いをしていた人です。今回のインゲさんの怪我のことでわたしとも知り合ったわけですが、ある日突然、彼女自身の前暦を話してくれたのです。中でとても感動したのは、生後間もなくの子どもを亡くし、その後若くして未亡人になった時、彼女が選択したのは不幸な子どもの親になることで、「2人の女の子を養子にしたのよ。その中の1人が肌の黒い子なのよ」と云うのです。今、彼女が80歳ということは50年以上前のことで、まだまだ外国人に対する差別感のあっただろうこの国で、彼女には全く偏見が無かったのかと驚いたのです。来週はこの二人の娘と、白黒混じり合った4人の孫たちが来て、彼女の誕生日を祝うという予定を聞いて、尊敬するべきと思われる人格を持つ彼女のこれからの歳月を、わたしも心からお祝いしたいという気になりました。
数回前のブログで2人の93歳になる老婦人とのカナスタ会のことを書きましたが、今回はこの会の幕切れの様子をお伝えすることになってしまいました。
御両人の年齢を考え合せると頷かれることなのですが、夏の始めに、不思議なことにお二人とも大腿骨骨折と、同じ怪我で入院、手術の後、慌ただしくそれぞれの息子さんの側の施設に入られることになったのです。ヒルデさんはミュンスターランドという比較的近い土地のホームに、インゲさんはフランクフルトの保護住居と呼ばれる介護付きのアパートにです。
インゲさんの経歴は60年前の、まだ壁が作られない前の比較的監視が厳しくなかった時代に、旧東からご主人を置いて一人で西に越境し、ビュッケブルグに腰を据えた基礎学校(小学校)教師だったというものです。この小都市に、基礎学校は今は数校がありますがわたしの娘が小学生の時代は一校しか無く、したがってインゲさんは担任になったことは無いのですが、娘の恩師というわけです。
数年してご主人も西に来られ息子さんが生まれ、今の家に定住されたのは40年ほど前のことと思います。そしてこの40年は彼女にとってはかけがえのない年月で、これまでにも息子さんは自分たちが住む近くに来るようにと度々奨めたようですが、頑として聞く耳を持たなったのですが、今回の怪我には彼女も降参するより他なしということだと思います。それで独り身の自由を束縛されぬようにと、2間に台所、風呂場付きの、介護付きアパートに行かれることになったのです。
手術の後、レハビリの病院にお見舞いした折りの彼女は、ロラートアと呼ばれる歩行介助機をしっかり操作して、これからの新しい生活への意気込みに溢れて見えました。非常に自己意識のしっかりした老婦人です。
彼女のビュッケブルグの家が無くなると話した時、孫たちは「エツ、これから何処でチェスするの」と訊いていたと話してくれました。オマ(オバアちゃん)のところへ来ると、わたしとのチェスを楽しみにしてくれていた孫たちのことは前のブログに書きましたので記憶して下さっている方もあると思います。19歳になったアンスガーはこの5月にアビチュアーをとり、希望学科が決まるまでの1年は自由意志による社会保護事業奉仕に参加する積もりだそうです。双子の一人テイモンは中等科を良い成績で終えたためギムナジュウムに転校してアビチュアーを取った暁に、願望のオーストラリア旅行が両親から贈られるそうです。ビクトアーは、1年のフランス滞在を終えた後は見違えるほど何事に関しても自立したそうです。アンスガーは10学年生の時に、1年間北京の世界学校に留学していたのです。このような2人の兄弟の外国体験がテイモンのオーストラリヤ行き願望の基であることを書き添えておきます。
この3人の若者と知り合えたことと、もう一つ、インゲさんが残していってくれた良いことがあるのをお知らせしておきたいと思います。
インゲさんの家の向かい側に住んでいるケストナー夫人のことです。彼女はこれまでインゲさんの毎週の買い物行きと、重要な公務の付き添いをしていた人です。今回のインゲさんの怪我のことでわたしとも知り合ったわけですが、ある日突然、彼女自身の前暦を話してくれたのです。中でとても感動したのは、生後間もなくの子どもを亡くし、その後若くして未亡人になった時、彼女が選択したのは不幸な子どもの親になることで、「2人の女の子を養子にしたのよ。その中の1人が肌の黒い子なのよ」と云うのです。今、彼女が80歳ということは50年以上前のことで、まだまだ外国人に対する差別感のあっただろうこの国で、彼女には全く偏見が無かったのかと驚いたのです。来週はこの二人の娘と、白黒混じり合った4人の孫たちが来て、彼女の誕生日を祝うという予定を聞いて、尊敬するべきと思われる人格を持つ彼女のこれからの歳月を、わたしも心からお祝いしたいという気になりました。
2018年07月10日
【From America】「海外旅行保険」

そろそろ夏休みの計画を立てたいとお考えでしょうか? 海外旅行はかなり前から計画をして、飛行機やホテルの手配をしないと間に合いませんね。でも、早くから予定をしていても直前になって急な予想しないことが発生して、やむを得ずキャンセルしなければならないことが起きることもあるでしょう。
その時のキャンセル料を考えたことはあまり無いと思います。
海外旅行に行く時には、万一のために海外旅行保険をかける人も多いと思います。ぎりぎりになって空港でも海外旅行保険をかける窓口がある位ですから、殆どの人は旅行中の病気や事故を想定していると思います。
所が、アメリカ人は海外旅行保険をこのキャンセル料のためにかける人が多いのです。今 流行のクルーズ旅行は一年も二年も前から予約している人が多いのですが、自分の健康、家族の健康、他の予期せぬ出来事、などそんな先の事まで分かりませんね。でも、早めに予約をすればバルコニー付きの良いお部屋が予約できます。予約しない手はないので、万一のキャンセルの為に保険をかける人が多いのです。
万が一の保険、様々なタイプの保険が増えていますが、日本人も最近「世界一周クルーズの旅」などをなさる方も増えているので、旅行の計画もアメリカ風になっていくのかも知れませんね。そんな時には保険のあり方も変わっていくのかも知れません。

2018年07月03日
【From America】「アメリカは医療も分業」

日本では、医薬分業という制度が始まってしばらく経ちますが、以前はお医者さんで診察してもらい薬ももらうので一度で済んだのに、薬屋さんに行かなければお薬がもらえない、ということに未だに不便さを感じているお年寄りも多いと思います。
さて、アメリカではこの「分業」が更に広がり、薬や薬屋さんへは勿論ですが、血液検査や尿検査を行うラボが別にあり、レントゲン、CT、MRIなどの放射線科の仕事は別の場所で行うという様に分かれています。必要な検査を医師がオーダーして、別の場所に予約をして検査に行きます。その結果は医師のところに送られてきて、次の診察の時に結果発表という形になります。時間がかかるので、ちょっと困る場合もあります。しかし、ひとつのメリットは、分業である為に自分の検査結果は自分でもらえる、ということです。勿論、専門用語が多いので素人が見てレポート全てが理解できるわけではありませんが、自分の検査結果を自分で受け取ることが出来るので、自分でしっかりとファイル出来ます。セカンドオピニオンを聞きたい時に 今かかっているお医者さんに「検査結果をください」と言い出しにくいというようなことが日本ではあるそうですが、アメリカは自分の検査結果が手元にありますし、また必要ならいつでも其々の場所に行けば、いくらでもフイルムやCDを作ってくれます。
分業の良さと悪さが浮き彫りになりますが、日米どちらにも其々の特徴があるようですね。