2017年12月
2017年12月12日
【From America】「車からスペア・タイヤが消える?」

最近の車の進歩は目覚しく、安全性についての様々な技術がどんどん搭載された車が市場に出てきました。自動運転の車も実際の試験を行っており、近い将来には運転手が要らなくなる時が来るでしょう。
しかし、タイヤがパンクした時には、やはり人間がスペア・タイヤと取り替えるという作業が必要だと思いますが、アメリカのニュースでこんな情報を耳にしました。それは2017年現在で、既に28%の車にはスペア・タイヤが搭載されていない、という事実です。私の車にはスペア・タイヤが付いているので、標準装備だとばかり思っていましたが、燃費を良くするために少しでも車体の重さを軽くしたい、という目的のために、スペア・タイヤをなくす方向に行っているようです。
一方で、アメリカのAAA(これは日本のJAFに当たる)には昨年450,000件もの「スペア・タイヤが無いのにパンクしてしまった」と助けを求める依頼があったという事実です。どんなに技術が発達しても、タイヤはパンクするのですね。その時に、私などはスペア・タイヤがあっても自分ひとりで交換できるか? というのは疑問ですが、必ず誰か親切な若い男性が手を貸してくれて何とかなるものです。しかし、肝心のスペア・タイヤが無くては助け手がいてもどうにもなりません。AAAを呼ぶしか方法がないことになります。
消費者の燃費を考えて、車体を軽くする。スペア・タイヤを排除して車の値段を少しでも安く抑えたい。自動車会社の思惑は分かりますが、消費者にとっては、スペア・タイヤが無いのならAAAに加入しないと心配だ、ということになり、別の出費が増えることにもなります。
一体、どちらが良いのか? ちょっと迷ってしまうな、と思いました。
2017年12月10日
2017年12月09日
ビュッケブルグ歳時記 168
腑に落ちない事ごと 4
今回はこの国でコミュニケーションが、友達間、クラス、学校という子ども達の共同体造りにどう取り扱われているかをお伝えしたいと思います。
この国の学校でもいじめとか暴力行為があります。それに対して「Soziales(社会生活)を学ぶ学科」として、5年生の必修科目になっている学校が多くあるのです。この制度は全部の学校がではなく学校のある地域によって違うのです。どの都市でも問題の多い、低階級市民が多い地区があり、そこにある学校では、貧困、低い教養度から来る暴力行動が多い外に、難民児童の融合問題が多くあるので、その解決にこの科目が必修となっているのだと思われます。
あるクラスの授業内容を書いてみます。
この時間には「規則を自分たちで造り、それを守る」「皆がお互いを配慮する」を学ぶことが中心です。
今日の授業の課題は「5年B組の”自信”を築こう。どうしたら造れるか」です。
教師は3本脚の椅子を黒板に書きました。そしてこの椅子を支える3本の脚は「出来ると自信を持つこと」「その自信を互いに認め合う」「そしてこの2つに責任を持つ」という意味だとの説明をした後、クラスの皆で、それぞれが出来ることを話し合うことに進みます。各自が得意とすることをあげ、級友がそれを評価するかを問い、それぞれの持つ力が何処で役に立つかを話し合うのです。自分が出来ることを言えない生徒が居ると、友達が「君は冗談を言うのが上手いじゃないか」などと言葉を添え、助け合うことを学ぶというわけです。またトルコ人の子どもが自分の家では、やり方が他の友達の家と違う事が多いという悩みを打ち明けたりするのです。内情を知ることから、今まで近づかなかった子ども同士が友達になった例も多くあるようです。またそこから、担任の教師は子ども達の家庭環境をより良く知ることにもなるということです。このように、落ちこぼれたように見える級友を引きずり上げて一緒に進むことになり、それがクラスの自信、誇りとなるわけです。これはまた、社会に出た時に移民を受け入れる精神に繋がり、外国人との共存を学ぶことであるように思えます。
ケンカに付いても、もし起っても、暴力ではなく言葉で解決する努力の大切さを
教えられるのです。これもコミュニケーション力養成教育だと思われます。ここでまた、話すこと、言葉の大切さを見せつけられます。
このような授業をみると学校の在り方を考えさせられます。ここからは学校とは学びの舎とともに、社会生活への準備の舎という印象が強くなりますから。
コミュニケーションから、学校の在り方まで話題がどんどん大きくなりました。
最後に全く関係のない、オカシな出来事をお話しします。
先日、古い手紙の整理をしていた折りにある1通が目に入りました。差し出し人はALDI という、ドイツ最安のスーパーです。読んでみると、開店間もない頃の
1998年に、わたしが出したこの店の美点、特に店員の機転と親切さを褒めたたえた手紙への返礼の手紙でした。全く忘れていたのですが、その後、店員が会計所に並ぶ全ての来店客に対して、こんにちはとかハローとかの挨拶をするようになったのです。これは今ではこの国の何処のスーパーでも実行されていることです。
この挨拶習慣を知った時に、もしかしら、わたしの手紙が?!と、思ったことを今思い出したのです。ウヌボレ妄想と笑われても、こう思えることは一つのコミュニケーション成功例と思うのですが、いかがでしょうか。
今回はこの国でコミュニケーションが、友達間、クラス、学校という子ども達の共同体造りにどう取り扱われているかをお伝えしたいと思います。
この国の学校でもいじめとか暴力行為があります。それに対して「Soziales(社会生活)を学ぶ学科」として、5年生の必修科目になっている学校が多くあるのです。この制度は全部の学校がではなく学校のある地域によって違うのです。どの都市でも問題の多い、低階級市民が多い地区があり、そこにある学校では、貧困、低い教養度から来る暴力行動が多い外に、難民児童の融合問題が多くあるので、その解決にこの科目が必修となっているのだと思われます。
あるクラスの授業内容を書いてみます。
この時間には「規則を自分たちで造り、それを守る」「皆がお互いを配慮する」を学ぶことが中心です。
今日の授業の課題は「5年B組の”自信”を築こう。どうしたら造れるか」です。
教師は3本脚の椅子を黒板に書きました。そしてこの椅子を支える3本の脚は「出来ると自信を持つこと」「その自信を互いに認め合う」「そしてこの2つに責任を持つ」という意味だとの説明をした後、クラスの皆で、それぞれが出来ることを話し合うことに進みます。各自が得意とすることをあげ、級友がそれを評価するかを問い、それぞれの持つ力が何処で役に立つかを話し合うのです。自分が出来ることを言えない生徒が居ると、友達が「君は冗談を言うのが上手いじゃないか」などと言葉を添え、助け合うことを学ぶというわけです。またトルコ人の子どもが自分の家では、やり方が他の友達の家と違う事が多いという悩みを打ち明けたりするのです。内情を知ることから、今まで近づかなかった子ども同士が友達になった例も多くあるようです。またそこから、担任の教師は子ども達の家庭環境をより良く知ることにもなるということです。このように、落ちこぼれたように見える級友を引きずり上げて一緒に進むことになり、それがクラスの自信、誇りとなるわけです。これはまた、社会に出た時に移民を受け入れる精神に繋がり、外国人との共存を学ぶことであるように思えます。
ケンカに付いても、もし起っても、暴力ではなく言葉で解決する努力の大切さを
教えられるのです。これもコミュニケーション力養成教育だと思われます。ここでまた、話すこと、言葉の大切さを見せつけられます。
このような授業をみると学校の在り方を考えさせられます。ここからは学校とは学びの舎とともに、社会生活への準備の舎という印象が強くなりますから。
コミュニケーションから、学校の在り方まで話題がどんどん大きくなりました。
最後に全く関係のない、オカシな出来事をお話しします。
先日、古い手紙の整理をしていた折りにある1通が目に入りました。差し出し人はALDI という、ドイツ最安のスーパーです。読んでみると、開店間もない頃の
1998年に、わたしが出したこの店の美点、特に店員の機転と親切さを褒めたたえた手紙への返礼の手紙でした。全く忘れていたのですが、その後、店員が会計所に並ぶ全ての来店客に対して、こんにちはとかハローとかの挨拶をするようになったのです。これは今ではこの国の何処のスーパーでも実行されていることです。
この挨拶習慣を知った時に、もしかしら、わたしの手紙が?!と、思ったことを今思い出したのです。ウヌボレ妄想と笑われても、こう思えることは一つのコミュニケーション成功例と思うのですが、いかがでしょうか。
2017年12月05日
【From America】「ダイエット・ソーダはダイエットに貢献していない?」

皆さんは炭酸飲料を良く飲みますか? その時に、普通の炭酸飲料水とダイエット炭酸飲料水があった場合に、どちらを選ぶでしょうか?
アメリカ人はソーダ好きです。ハンバーガーショップでのセットメニューには必ずソーダが付いてきます。レストランでの食事でも、アルコールを飲まない場合には殆どの人がソーダを飲みながら食事をしています。肥満が国民的な問題になっていることから、ソーダ税をかけたり、ソーダの値段を上げたりしても、アメリカ人のソーダ好きに歯止めがかかったようには見えません。「砂糖が一杯入ったソーダがいけないのなら『カロリーゼロ、を売り物にしているダイエット・ソーダ』に切り替えたから大丈夫」と思っている人が大勢居るのでしょう。

そもそもダイエットをするのなら、飲み物を普通のソーダからダイエット・ソーダに切り替えるだけではなく、毎日の総摂取カロリーを見直したり、運動を増やしたり、総合的な生活習慣を見直さないと、簡単には体重は減らない、と思います。

ダイエットは多くの人の興味の的であり、ダイエットに効果有り、と聞くと飛びつきたくなるのは、人間の心に響く言葉なのでしょう。しかし、ダイエットに近道はない、というのも事実かも知れません。消費者は賢く商品を選び、自己責任でダイエットに取り組むことが必要だと思います。