2016年12月
2016年12月27日
【From America】「今年 流行った名前」
アメリカのウインドゲイト緑です。
間もなく2016年も終わろうとしていますね。一年を振り返って「今年一番流行ったxxx」というリストが各方面で取り上げられています。そこでFrom Americaでは「今年一番流行った子供の名前」で締めくくってみたいと思います。
名前の流行には時代を反映するものが多いですね。古い話では、美智子妃殿下(現在の皇后様)のご成婚の頃に生まれた女の子には「美智子」が多いです。
女の子の名前では最後に「子」が付く名前が流行らなくなり、再び古典的な「華子」などが戻ってきたりしました。キラキラ名前というのでしょうか? 音で選ぶようになり、外国の名前のような「アリス」とか「カレン」など漢字はただの当て字という名前も流行りました。
男の子の名前についてみると、昔は数字を使うものが多かったようです。一郎、二郎、三郎、などですね。しかし、子供の数が少なくなれば番号制度は不要となり、長男を意味する「一」が付く名前が多くなりました。また、女の子と同様に皇室の名前の影響は大きく、浩宮様(現在の皇太子)の誕生の頃には「浩」
を使った「一浩」などが流行しました。男の子の名前にもキラキラ名前が出てきて実に珍しく、漢字を見ても簡単には読めないような名前が多くなりました。
日本は漢字があるため、子供の名前の組み合わせは英語の名前に比べると数が多いと思います。たとえ同じ発音でも漢字が異なれば、違う名前になりますね。
さあ、それではここで2016年にアメリカで流行った名前をご紹介しましょう。
先ずは女の子の名前トップ5
Emma, Olivia、Sophia, Ava, Isabella,
次に男の子の名前トップ5
Noah, Liam, Mason, Jacob, William
上記の男の子の名前を見て、ウイリアムは古典的な名前なのに流行っているの? と不思議に思われた方もいるでしょう。男の子は父親の名前やお祖父さんの名前を受け継ぎ William Sr. , William Jr. という具合に名前を継承していくことが多いですから、古典的な名前は古くても新しいということになりますね。xx三世、xx四世、と何代にも渡って続けることが出来ます。その場合、名前が同じなので家族間では、ウイリアムならビル、とかビリーとかのニックネームで区別することが多いです。
今年の締めくくりとして子供名前を取り上げてみましたが、「歴史は繰り返す」という言葉があるように、新しいと思ったものはすぐに古くなり、古いものがむしろ新しく感じる、ということは多々起こるようです。さて、来年はどんな名前が流行るのでしょうか? 今から楽しみですね。
今年一年「From America」を読んでくださり有難うございました。
来年もどうぞ宜しく御願い申し上げます。
皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。
間もなく2016年も終わろうとしていますね。一年を振り返って「今年一番流行ったxxx」というリストが各方面で取り上げられています。そこでFrom Americaでは「今年一番流行った子供の名前」で締めくくってみたいと思います。
名前の流行には時代を反映するものが多いですね。古い話では、美智子妃殿下(現在の皇后様)のご成婚の頃に生まれた女の子には「美智子」が多いです。
女の子の名前では最後に「子」が付く名前が流行らなくなり、再び古典的な「華子」などが戻ってきたりしました。キラキラ名前というのでしょうか? 音で選ぶようになり、外国の名前のような「アリス」とか「カレン」など漢字はただの当て字という名前も流行りました。
男の子の名前についてみると、昔は数字を使うものが多かったようです。一郎、二郎、三郎、などですね。しかし、子供の数が少なくなれば番号制度は不要となり、長男を意味する「一」が付く名前が多くなりました。また、女の子と同様に皇室の名前の影響は大きく、浩宮様(現在の皇太子)の誕生の頃には「浩」
を使った「一浩」などが流行しました。男の子の名前にもキラキラ名前が出てきて実に珍しく、漢字を見ても簡単には読めないような名前が多くなりました。
日本は漢字があるため、子供の名前の組み合わせは英語の名前に比べると数が多いと思います。たとえ同じ発音でも漢字が異なれば、違う名前になりますね。
さあ、それではここで2016年にアメリカで流行った名前をご紹介しましょう。
先ずは女の子の名前トップ5
Emma, Olivia、Sophia, Ava, Isabella,
次に男の子の名前トップ5
Noah, Liam, Mason, Jacob, William
上記の男の子の名前を見て、ウイリアムは古典的な名前なのに流行っているの? と不思議に思われた方もいるでしょう。男の子は父親の名前やお祖父さんの名前を受け継ぎ William Sr. , William Jr. という具合に名前を継承していくことが多いですから、古典的な名前は古くても新しいということになりますね。xx三世、xx四世、と何代にも渡って続けることが出来ます。その場合、名前が同じなので家族間では、ウイリアムならビル、とかビリーとかのニックネームで区別することが多いです。
今年の締めくくりとして子供名前を取り上げてみましたが、「歴史は繰り返す」という言葉があるように、新しいと思ったものはすぐに古くなり、古いものがむしろ新しく感じる、ということは多々起こるようです。さて、来年はどんな名前が流行るのでしょうか? 今から楽しみですね。
今年一年「From America」を読んでくださり有難うございました。
来年もどうぞ宜しく御願い申し上げます。
皆さん、どうぞ良いお年をお迎えください。
2016年12月24日
ビュッケブルグ歳時記 146
2016年の終わりに考えること 2
ここで最近思いついたことがあります。日本と少々違うと感じる一事です。
日本で言われている「言論の自由」は、ドイツでは「Meinungsfreiheit」です。
Meinung は意見、考えという意味です。Freiheit は自由。ですから「意見を持つ自由」と訳せるわけで、国民は誰でもどんな意見でも持ってよいという、意見に対する自由権を主旨にした感じがする訳のように思われ、この解釈がこの国の政治が社会に浸透している要因かとも感じるようになったのです。
日本でも「言論の自由」はやはり大きな意味を持っていることと思います。
そう考えると、教員に中立を強要することは、彼らの意思表明の自由権を脅かすことになるのではと疑問がわくのです。そして、個性を重要視する教育方針にも反するのではないかとも思われます。教員も各々が考えを持っていてそれは教員それぞれの個性であるはずです。それを隠して教育することは、生徒の個性を無視するのと同じように見えるのです。生徒は何処で、各自が持っている個性を表明してよいことを学ぶのでしょうか。
教師が国の教育方針に縛られることは、教師共々、学校は国の統制の下のあることになるわけでしょうか。結果は、政治教育が現在の与党の支持になるということを意味するのかと思うと、教師、生徒が持つ「自由権」は、どうなるのでしょうか。
既述のように、ドイツでは教師は個人の支持する意見を生徒に押し付けることは禁止されていますが、例えば教師の服装から、その教師がどの党の支持者であるかが明瞭に判ることもあるのです。みどりの党などがその主な例です。このように、その人の持つ意見は自由に表明出来る社会なのです。
ここで「言論」を「意見表明」
ーー(Meinungsfreiheit を辞書で引くと、普通の辞書には「言論の自由」とありますが、ある辞書には「言論(意見表明)の自由」とあります。上述の「どんな意見を持ってよいという自由」が正しくて、言論だけでは意味が足りなのでは、という解釈は、もしかしたらわたしの無知をあからさまにしたことになるのかと心配になります。有識者は言論の前に意見があることをとっくに察知しているのかもしれないと気づいたのですが、それでも尚、「言論」を「意見表明」に置き換えて生徒とともにその効果を考えてみることは無益ではないと思います。「何でも云える自由」ではなく「あることに対してどう考えても許され、それを公表する自由」が、民主主義には謳われていることがより良くわかるのではないでしょうか。自身の無知から、年少生徒を同等にみなすことからきた意見ではありますが。
また、ここから教師達もそれぞれの意見を持っていて、それを授業で表明する場面になれば、学校全体の「意見表明の自由」を感じ取り、将来は、異なる政治意見から生徒は自分の考えを選び取るとか、聞いた意見を元にして、自分の考えを培うということにもなると思うのです。もちろん、その枠をコントロールする教師の力量はとても重要だと思います。
学校が政治に自由に接することが出来る形になることは、社会もそうなるわけです。社会は、学校を終えた子ども達が作るものなのですから。教育が社会革命をするわけです。ここから教育革命が社会革命の先になるという意見になるわけです。
つづく
2016年も過ぎて行きます。読者の皆様、良い新年をお迎え下さい!
ここで最近思いついたことがあります。日本と少々違うと感じる一事です。
日本で言われている「言論の自由」は、ドイツでは「Meinungsfreiheit」です。
Meinung は意見、考えという意味です。Freiheit は自由。ですから「意見を持つ自由」と訳せるわけで、国民は誰でもどんな意見でも持ってよいという、意見に対する自由権を主旨にした感じがする訳のように思われ、この解釈がこの国の政治が社会に浸透している要因かとも感じるようになったのです。
日本でも「言論の自由」はやはり大きな意味を持っていることと思います。
そう考えると、教員に中立を強要することは、彼らの意思表明の自由権を脅かすことになるのではと疑問がわくのです。そして、個性を重要視する教育方針にも反するのではないかとも思われます。教員も各々が考えを持っていてそれは教員それぞれの個性であるはずです。それを隠して教育することは、生徒の個性を無視するのと同じように見えるのです。生徒は何処で、各自が持っている個性を表明してよいことを学ぶのでしょうか。
教師が国の教育方針に縛られることは、教師共々、学校は国の統制の下のあることになるわけでしょうか。結果は、政治教育が現在の与党の支持になるということを意味するのかと思うと、教師、生徒が持つ「自由権」は、どうなるのでしょうか。
既述のように、ドイツでは教師は個人の支持する意見を生徒に押し付けることは禁止されていますが、例えば教師の服装から、その教師がどの党の支持者であるかが明瞭に判ることもあるのです。みどりの党などがその主な例です。このように、その人の持つ意見は自由に表明出来る社会なのです。
ここで「言論」を「意見表明」
ーー(Meinungsfreiheit を辞書で引くと、普通の辞書には「言論の自由」とありますが、ある辞書には「言論(意見表明)の自由」とあります。上述の「どんな意見を持ってよいという自由」が正しくて、言論だけでは意味が足りなのでは、という解釈は、もしかしたらわたしの無知をあからさまにしたことになるのかと心配になります。有識者は言論の前に意見があることをとっくに察知しているのかもしれないと気づいたのですが、それでも尚、「言論」を「意見表明」に置き換えて生徒とともにその効果を考えてみることは無益ではないと思います。「何でも云える自由」ではなく「あることに対してどう考えても許され、それを公表する自由」が、民主主義には謳われていることがより良くわかるのではないでしょうか。自身の無知から、年少生徒を同等にみなすことからきた意見ではありますが。
また、ここから教師達もそれぞれの意見を持っていて、それを授業で表明する場面になれば、学校全体の「意見表明の自由」を感じ取り、将来は、異なる政治意見から生徒は自分の考えを選び取るとか、聞いた意見を元にして、自分の考えを培うということにもなると思うのです。もちろん、その枠をコントロールする教師の力量はとても重要だと思います。
学校が政治に自由に接することが出来る形になることは、社会もそうなるわけです。社会は、学校を終えた子ども達が作るものなのですから。教育が社会革命をするわけです。ここから教育革命が社会革命の先になるという意見になるわけです。
つづく
2016年も過ぎて行きます。読者の皆様、良い新年をお迎え下さい!
2016年12月20日
【From America】「車が居間に?」
アメリカのウインドゲイト緑です。
アメリカは土地が沢山ありますから、駐車スペースを確保することにあまり心配は要りません。ショッピング・モールやスーパーには巨大な駐車場が隣接されています。一方、日本は狭い土地をいかに効率よく利用するか? ということに懸命ですから、タワー式の駐車場など色々工夫をしています。さて、駐車場の安全性に関して比べてみると、日本では「車上あらし」などはあっても車本体を盗まれる、という事件をあまり耳にしたことはありません。また、タワー式の駐車場なら実に安全です。一方、アメリカでは車上あらしは勿論のこと、車本体を盗まれることは多々あるようです。
アメリカでは高級なスポーツカーが颯爽と走っている姿を良くみかけます。素敵ではありますが、「買い物に行ったら、一体どこに車を停めるのだろう?」と他人事であってもちょっと心配してしまいます。車は盗まれないのかしら? 駐車場で隣の車のドアを開けた時にこの高級車にぶつかって傷がついてしまったら? と余計なお世話と分かっていても つい気になります。大事な車に傷をつけたくないと思うのは、車のオーナーであれば皆が思うことでしょう。
高層マンションの地下は住人専用の駐車場になっている所が多いのですが、それでも自分の駐車スペースと隣の駐車スペースがせまっていると、傷がつかないか気が気ではないと思います。そんな心配を解消してくれる夢のようなマンションがマイアミに出来るそうです。その名も「ポルシェ・デザイン・タワー・マイアミ」。日本のタワー式駐車場のアイデアを取り入れて、なんと自分の車を高層マンションの自分の部屋まで運んでしまう、というアイデアなのです。自分の居間から車が見られる、なんて凄いですね。こうしておけば、車の盗難は勿論のこと、傷つけられる心配もありませんね。
日本でもサイクリングに趣味を持つ人が、高級自転車を居間に持ち込んで保管しているのを知っていますが、それが車になった、ということなのでしょうね。
アメリカはやはりスケールが大きいですね。
アメリカは土地が沢山ありますから、駐車スペースを確保することにあまり心配は要りません。ショッピング・モールやスーパーには巨大な駐車場が隣接されています。一方、日本は狭い土地をいかに効率よく利用するか? ということに懸命ですから、タワー式の駐車場など色々工夫をしています。さて、駐車場の安全性に関して比べてみると、日本では「車上あらし」などはあっても車本体を盗まれる、という事件をあまり耳にしたことはありません。また、タワー式の駐車場なら実に安全です。一方、アメリカでは車上あらしは勿論のこと、車本体を盗まれることは多々あるようです。
アメリカでは高級なスポーツカーが颯爽と走っている姿を良くみかけます。素敵ではありますが、「買い物に行ったら、一体どこに車を停めるのだろう?」と他人事であってもちょっと心配してしまいます。車は盗まれないのかしら? 駐車場で隣の車のドアを開けた時にこの高級車にぶつかって傷がついてしまったら? と余計なお世話と分かっていても つい気になります。大事な車に傷をつけたくないと思うのは、車のオーナーであれば皆が思うことでしょう。
高層マンションの地下は住人専用の駐車場になっている所が多いのですが、それでも自分の駐車スペースと隣の駐車スペースがせまっていると、傷がつかないか気が気ではないと思います。そんな心配を解消してくれる夢のようなマンションがマイアミに出来るそうです。その名も「ポルシェ・デザイン・タワー・マイアミ」。日本のタワー式駐車場のアイデアを取り入れて、なんと自分の車を高層マンションの自分の部屋まで運んでしまう、というアイデアなのです。自分の居間から車が見られる、なんて凄いですね。こうしておけば、車の盗難は勿論のこと、傷つけられる心配もありませんね。
日本でもサイクリングに趣味を持つ人が、高級自転車を居間に持ち込んで保管しているのを知っていますが、それが車になった、ということなのでしょうね。
アメリカはやはりスケールが大きいですね。
2016年12月13日
【From America】「学食で一人は寂しい」
アメリカのウインドゲイト緑です。
日本の学校では「給食」が普通で、皆さん自分の机で食べることになっています。私立の学校ではお弁当の場合もあるし、学校の食堂で食べる形もあるし、様々な形があると思います。
アメリカの公立学校では、カフェテラスで給食を食べるのが普通です。「学校の中で一番嫌いな時間は?」と質問すると、多くの学生が「お昼の時間」と答えるそうです。一緒にお昼を食べてくれる人がいなくて「仲間はずれ」になるのが一番辛い。と訴える子供がいるのは、「いじめ」とまでは行かなくても悲しいことですね。
そんな問題を解決しようと学生達が携帯のアプリを利用して、「一緒にお昼食べよう」と誘う方法を考案しました。事前にお昼を食べる約束が出来ていれば、カフェテラスに行くのも不安ではなくなりますね。一人で寂しそうに昼ごはんを食べる自閉症の子供のところには大学のフットボール選手が来て一緒に昼ごはんを食べてくれたりします。それがきっかけとなり、学校の中でいじめも少なくなってきたという効果が出ているそうです。
一緒に食事をするという行為は、人と人との距離を近づけてくれる絶好のチャンスです。「一緒にお昼食べよう」と誘って、友情の輪を広げてくれると良いですね。
日本の学校では「給食」が普通で、皆さん自分の机で食べることになっています。私立の学校ではお弁当の場合もあるし、学校の食堂で食べる形もあるし、様々な形があると思います。
アメリカの公立学校では、カフェテラスで給食を食べるのが普通です。「学校の中で一番嫌いな時間は?」と質問すると、多くの学生が「お昼の時間」と答えるそうです。一緒にお昼を食べてくれる人がいなくて「仲間はずれ」になるのが一番辛い。と訴える子供がいるのは、「いじめ」とまでは行かなくても悲しいことですね。
そんな問題を解決しようと学生達が携帯のアプリを利用して、「一緒にお昼食べよう」と誘う方法を考案しました。事前にお昼を食べる約束が出来ていれば、カフェテラスに行くのも不安ではなくなりますね。一人で寂しそうに昼ごはんを食べる自閉症の子供のところには大学のフットボール選手が来て一緒に昼ごはんを食べてくれたりします。それがきっかけとなり、学校の中でいじめも少なくなってきたという効果が出ているそうです。
一緒に食事をするという行為は、人と人との距離を近づけてくれる絶好のチャンスです。「一緒にお昼食べよう」と誘って、友情の輪を広げてくれると良いですね。