2016年07月
2016年07月26日
【From America】「洪水で死人」

アメリカのウインドゲイト緑です。
日本はじめじめした梅雨が終わると、蒸し暑い夏になり、その湿気の多さに辟易としてしまいますね。私の住んでいるラスベガス地方は砂漠地帯と呼ばれ、冬より夏のほうが湿度は低くなります。低いといっても3%くらいまでさがりますから、気温の高さと湿度の低さが重なって、オーブンの中に入っているような感じです。
ところが、時々 大雨が来ます。その豪雨はびっくりするほどで、地面に浸透していく暇がないほど短時間に大量の雨が降るので、あちこちには洪水を防ぐための水路が設けられています。殆どの場合使われない、ただの巨大なコンクリートの溝が張り巡らされているのですが、いざ! という時にその威力を発揮します。
普段はこの巨大コンクリートの溝が道路の下を通っている場所は日陰になり、ホームレスには格好の住処となります。日本ではホームレスはダンボールで囲いを作ってその中で生活をすることが多いのですが、ラスベガスではこのトンネル内というわけです。
さて、急に豪雨に見舞われた時にはどうなるのでしょう? 実はラスベガス地方の豪雨はあっという間にやってきて、大量の雨を降らせます。TVやラジオで洪水の可能性を知らせ、注意を促しますが、ホームレスはそのような情報源がありません。雨が降ってきて、気がついた時には大量の濁流が流れています。同時に水だけではなく、あちこちの大きなゴミが一緒に流れてきますので、それに巻き込まれたら命はありません。先日も、1960年以来の観測史上32番目のホームレス犠牲者が出てしまいました。
ラスベガスに観光でいらして、もし豪雨に見舞われることがあったら ぜひとも高台に非難することをオススメします。有名カジノホテルのあるストリップも洪水の対象になる場所に位置しています。水の怖さを知らされる悲しい事故から、自分の身を守る知恵を学びたいですね。
2016年07月23日
ビュッケブルグ歳時記 136
ニース惨事をめぐって
1年半の間にフランスを襲った3度目のテロ衝撃がニースで起ったと知った時にはとても驚きました。ニースには古くからの友人が住んでいるからです。
友人の彼女は、わたしがスペインからの奨学金でバルセロナの女子学生寮に住んでいたときの同僚学生で、アルジェリアからの移住フランス人、ミシュリンです。スペイン語学習のために来ていました。良い意味で特徴のある性格を持ち、当時の在寮学生間での人気者でした。子どものように何事も疑うことをしない純粋な人とでもいうのでしょうか。例えば、マッチを買いに行く前に、スペイン人の友達にマッチのスペイン語を聞くのですが、友達はマッチの代わりに”ミシン”という途方もない単語を教えるのです。そして、煙草屋に行ってミシンを買いたいというミシュリンが巻き起こす混乱劇を聞くのを楽しむというわけです。
ある日、二人の日本人青年と知り合いました。彼等は、外貨制限があった頃のこととしては珍しかったと思われますが、ヨーロッパ散遊をしてその記事を書いていたと記憶にあります。この2人とミシュリン、わたしの4人で、近くにある極小国、アンドラにヒッチハイクをしました。その時に見た、5月頃になると麦畑の中に咲く真っ赤な芥子の花・アマポーラの美しさは今でも目の底に残っています。若き日のくったくのない小旅行でした。日本のバブル時代のずっと前のことですが、世界が平和だったからこそ出来た経験だったと思います。
その後この時の2人の日本青年とは音信不通ですが、ミシュリンはある雪の降る寒い日、わたしの後を追うように、ドイツ語を学びたいと北国ドイツのケルンに来たのです。彼女がドイツ語を習ってくれたので、私たちの会話が成り立っているわけです。
ベルリッツ学校でドイツ語を学んだ後、ニースに帰った彼女とは、時折、文通がありました。そして20年以上も前になると思いますが、彼女が我が家に来て、旧交を温めたのです。その時の彼女はまだ独身で、モナコの金融関係の事務所で働いていました。 そしてまたなんとなく時が経ち、数年前にメール交換が始まった時には結婚をしていました。結婚後は自由が無くなったとこぼしています。
ニース・テロの後、直ぐ彼女にメールをしました。ご主人共々無事であったとの返メールで大安心したわけです。
なぜこのような私事を書いたかというと、このところの世界状勢がなんとなく戦争を感じさせるからです。英国のEU離脱、それに伴うEUの不安定さ、難民問題、
トルコでの暴動、ロシアの態度など全てが不穏に思われるのです。
戦争の犠牲になるのは若い人達です。戦争そのものではなくても、戦後の混沌を経験している私たちは、その後の平穏な時代の貴重さをよく知っています。そして誰もが、それぞれが過ごした平和な時を次の時代に残したい希望を持っていると思います。わたしも、わたしのミシュリンとの友好のようなことを若い人達に経験して欲しいと思うのです。平和な時代にしか出来ない事です。
日本もドイツも国内社会に格差が大きくなったと云われていますが、世界中の国々間での格差が大きくなった事に、現今の不穏の原因があるとは云えないでしょうか。格差を縮小するためには武器ではなく、代わりに必要な”相互理解のための話し合い”を、若い人達にして欲しいのです。
1年半の間にフランスを襲った3度目のテロ衝撃がニースで起ったと知った時にはとても驚きました。ニースには古くからの友人が住んでいるからです。
友人の彼女は、わたしがスペインからの奨学金でバルセロナの女子学生寮に住んでいたときの同僚学生で、アルジェリアからの移住フランス人、ミシュリンです。スペイン語学習のために来ていました。良い意味で特徴のある性格を持ち、当時の在寮学生間での人気者でした。子どものように何事も疑うことをしない純粋な人とでもいうのでしょうか。例えば、マッチを買いに行く前に、スペイン人の友達にマッチのスペイン語を聞くのですが、友達はマッチの代わりに”ミシン”という途方もない単語を教えるのです。そして、煙草屋に行ってミシンを買いたいというミシュリンが巻き起こす混乱劇を聞くのを楽しむというわけです。
ある日、二人の日本人青年と知り合いました。彼等は、外貨制限があった頃のこととしては珍しかったと思われますが、ヨーロッパ散遊をしてその記事を書いていたと記憶にあります。この2人とミシュリン、わたしの4人で、近くにある極小国、アンドラにヒッチハイクをしました。その時に見た、5月頃になると麦畑の中に咲く真っ赤な芥子の花・アマポーラの美しさは今でも目の底に残っています。若き日のくったくのない小旅行でした。日本のバブル時代のずっと前のことですが、世界が平和だったからこそ出来た経験だったと思います。
その後この時の2人の日本青年とは音信不通ですが、ミシュリンはある雪の降る寒い日、わたしの後を追うように、ドイツ語を学びたいと北国ドイツのケルンに来たのです。彼女がドイツ語を習ってくれたので、私たちの会話が成り立っているわけです。
ベルリッツ学校でドイツ語を学んだ後、ニースに帰った彼女とは、時折、文通がありました。そして20年以上も前になると思いますが、彼女が我が家に来て、旧交を温めたのです。その時の彼女はまだ独身で、モナコの金融関係の事務所で働いていました。 そしてまたなんとなく時が経ち、数年前にメール交換が始まった時には結婚をしていました。結婚後は自由が無くなったとこぼしています。
ニース・テロの後、直ぐ彼女にメールをしました。ご主人共々無事であったとの返メールで大安心したわけです。
なぜこのような私事を書いたかというと、このところの世界状勢がなんとなく戦争を感じさせるからです。英国のEU離脱、それに伴うEUの不安定さ、難民問題、
トルコでの暴動、ロシアの態度など全てが不穏に思われるのです。
戦争の犠牲になるのは若い人達です。戦争そのものではなくても、戦後の混沌を経験している私たちは、その後の平穏な時代の貴重さをよく知っています。そして誰もが、それぞれが過ごした平和な時を次の時代に残したい希望を持っていると思います。わたしも、わたしのミシュリンとの友好のようなことを若い人達に経験して欲しいと思うのです。平和な時代にしか出来ない事です。
日本もドイツも国内社会に格差が大きくなったと云われていますが、世界中の国々間での格差が大きくなった事に、現今の不穏の原因があるとは云えないでしょうか。格差を縮小するためには武器ではなく、代わりに必要な”相互理解のための話し合い”を、若い人達にして欲しいのです。
2016年07月19日
【From America】「ラスベガスにメジャー・ホッケー・チーム誕生」

アメリカのウインドゲイト緑です。
ラスベガスといえばギャンブルとショーが楽しめる大人の遊び場、というイメージが定着していると思います。しかし、最近は家族全員で楽しめるバケーションの場所。様々なトレードショーが行われるビジネスの場としての顔も持っています。
そこに、今度はスポーツ観戦の場所としての顔を新たに加えようという動きがあり、ついにラスベガスにメジャーなアイスホッケーのチームを作ることが決まりました。NHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)の31番目のチームの誕生です。まだチームの名前も決まっていませんが、来年10月からは ラスベガスに新たに生まれたT-Mobileアリーナでアイスホッケーの試合が観戦できるようになるそうです。
アイスホッケーのファンにとっては、ラスベガスに遊びに来るもう一つの目的が出来たわけですね。どんなチーム名になるか楽しみです。また、続編をご報告したいと思います。お楽しみに!
2016年07月12日
【From America】「ラスベガスの暑さ」

日本も暑いと思いますが、私の住んでいるラスベガスの今年の暑さはちょっと異常かもしれませんね。毎年 暑さの記録が更新されていきますが、毎日摂氏45度の暑さです。近々48度くらいまで上がるかも知れないとの予報が出ています。気温を測るのは日本で言うところの「百葉箱」。屋根つきの箱の中で測ることになっていますから、日陰と日向の温度差などを考えると本当はもっと暑いのかもしれません。
私がラスベガスに引っ越してきたばかりの頃に、「アスファルトの地面で目玉焼きが出来る」と聞いたことがあり、本当かなあ? と思っていました。
ところが、今度は「車のダッシュボードでクッキーが焼ける」という実験をした人がTV番組に投稿していました。
様々な暑さの表現はありますが、ラスベガスの暑さは「オーブンに顔を突っ込んだ感じ」というのが一番近いかも知れません。温度が高い上に湿度は3%にもなることがあるほど乾燥しています。とにかく暑いです。こんな時には熱中症にならないように様々な工夫が必要なのでしょうね。
日本の皆さんもこれからやってくる夏の暑さ対策を色々工夫して、日本の蒸し暑い夏を乗り切ってください。
2016年07月09日
ビュッケブルグ歳時記 135
サッカーの定義?!
数週間前から始まったヨーロッパ・チャンピオンシップで湧いているこの国のある日、「ようやっとヨーロッパ(国)がプレーし始めた!」という標題の記事が目に留りました。
終わりまで読んで下さる方々には(国)の意味をお分かりいただけると思います。
数年前のギリシャ問題、数週間前の英国EU離脱問題等々ヨーロッパは今、政治上で不和の状態にあります。その地でサッカー大会が行われ、勝負が競われているわけです。
「サッカーは競技ではあるが、その中には、はっきり決められた規則があり、
レフェリーが審判し、フリーキックも設けられている。芝生の上で争われるこのゲームには、EU政治に無いもの、テイームワーク心、融合精神を尊重する気合いがあり、時によってはアウトサイダー勝利も起こり得る。また勝利は競技上の勝利で、相手を滅ぼすということではない競技」なので、今、大会が政治的に危機にあるEUで行われるにはうってつけの時だとこの記事の著者は、政治家だけではなく国民にもサッカー精神を再認識するよう促しているのです。
「自国賞賛意識が強まりつつある時勢から団結精神が緩んでいることや、メデイアの欠陥などでEUアイデンテイテイが揺さぶられている今、この感情違和の橋を渡るにはサッカー選手権大会などが最も適した道具と云えるのではないか」
面白いと思ったのはドイツの首相とその時のナシヨナル・トレイナーの類似性です。権威者首相アデナウアーと精神的兄弟と云われたヘルベルガー、ブラント首相とシェーン、コール首相とフォーグト、そしてプラグマテイカーといわれるメルケル首相とローヴェ。アデナウアー時代のことは知りませんが、それ以後の事は耳に残っています。
また、オランダがある時、ただ蹴り合うサッカーから、4人の選手による守備ラインを考案し、フイールドの空間を有効に使う方法を考え出したことから、
サッカーは体力だけではなく思考力も要求されるゲームとなった、という事なども
新しく知った事です。
「闘争スポーツと平和唱和はどのような点で合致するかと問う人もあると思うが
シェーントレーナーが『サッカーの流儀は、我々の社会生活の模型のようだ』と
云っていたのが答えとして当たっている。例えば、自分ばかりが優秀ではなく、他の、外国人選手も優秀である事を認めざるを得ない事は、反人種差別に繋がるし、ボアテングのような肌の色の違う隣人を持つ事が、その人の近辺を豊かにすると気づく人も多く出て来ると思われる」
このような考え方がサッカーとEU政治を無理にくっつけた論と思われる方には、理屈好きのドイツ人気質を知っていただけると思い、テーマに選びました。同時に、常に和平を忘れない国民だと知っていただければと思います。それとこの国の多くの人が持っているEUに対する固執信念も平和に繋がる精神だということも。
今夜は準決勝戦でフランスとドイツが闘います。
数週間前から始まったヨーロッパ・チャンピオンシップで湧いているこの国のある日、「ようやっとヨーロッパ(国)がプレーし始めた!」という標題の記事が目に留りました。
終わりまで読んで下さる方々には(国)の意味をお分かりいただけると思います。
数年前のギリシャ問題、数週間前の英国EU離脱問題等々ヨーロッパは今、政治上で不和の状態にあります。その地でサッカー大会が行われ、勝負が競われているわけです。
「サッカーは競技ではあるが、その中には、はっきり決められた規則があり、
レフェリーが審判し、フリーキックも設けられている。芝生の上で争われるこのゲームには、EU政治に無いもの、テイームワーク心、融合精神を尊重する気合いがあり、時によってはアウトサイダー勝利も起こり得る。また勝利は競技上の勝利で、相手を滅ぼすということではない競技」なので、今、大会が政治的に危機にあるEUで行われるにはうってつけの時だとこの記事の著者は、政治家だけではなく国民にもサッカー精神を再認識するよう促しているのです。
「自国賞賛意識が強まりつつある時勢から団結精神が緩んでいることや、メデイアの欠陥などでEUアイデンテイテイが揺さぶられている今、この感情違和の橋を渡るにはサッカー選手権大会などが最も適した道具と云えるのではないか」
面白いと思ったのはドイツの首相とその時のナシヨナル・トレイナーの類似性です。権威者首相アデナウアーと精神的兄弟と云われたヘルベルガー、ブラント首相とシェーン、コール首相とフォーグト、そしてプラグマテイカーといわれるメルケル首相とローヴェ。アデナウアー時代のことは知りませんが、それ以後の事は耳に残っています。
また、オランダがある時、ただ蹴り合うサッカーから、4人の選手による守備ラインを考案し、フイールドの空間を有効に使う方法を考え出したことから、
サッカーは体力だけではなく思考力も要求されるゲームとなった、という事なども
新しく知った事です。
「闘争スポーツと平和唱和はどのような点で合致するかと問う人もあると思うが
シェーントレーナーが『サッカーの流儀は、我々の社会生活の模型のようだ』と
云っていたのが答えとして当たっている。例えば、自分ばかりが優秀ではなく、他の、外国人選手も優秀である事を認めざるを得ない事は、反人種差別に繋がるし、ボアテングのような肌の色の違う隣人を持つ事が、その人の近辺を豊かにすると気づく人も多く出て来ると思われる」
このような考え方がサッカーとEU政治を無理にくっつけた論と思われる方には、理屈好きのドイツ人気質を知っていただけると思い、テーマに選びました。同時に、常に和平を忘れない国民だと知っていただければと思います。それとこの国の多くの人が持っているEUに対する固執信念も平和に繋がる精神だということも。
今夜は準決勝戦でフランスとドイツが闘います。