2015年01月
2015年01月15日
【見たり聞いたり212】 「沼津深海水族館」

新年2日に沼津深海水族館に孫二人を連れて行ってきました。孫の親は共働きでデパート勤務のため毎年年末年始は祖父母の出番です。
よくいく江の島の水族館に比べてこじんまりとしていてイルカショーがあるわけでもありませんし巨大な水槽もありません。しかしそれなりに見せる工夫はされていました。出来て3年半立つとのことでしたがいまいちサービスに工夫がないことが感じられました。沼津駅から行きはバスがすぐあったのですが帰りが1時間に2本でそのお知らせもバス停に行って初めてわかりました。ちょうど行ったばかりで30分待つことになりました。タクシーを使う手もあったのですがその案内も出口にありませんでした。あったのかもしれませんがすぐ見えるところにありませんでした。ちょっとしたことですがこのようなことの積み重ねが大切で質の良い水族館つくりと客が気持ちよくなるくサービスは違うものであることを改めて知りました。
2015年01月13日
【From America】「コヨーテと山羊」

皆さんはどんなお正月を迎えられたでしょうか?
今年はひつじ年ですね。それにちなんで羊、それも野生の山ひつじを見損なったお話をさせてください。
先ず山羊とはどんなものなのでしょうか? 日本の皆さんは頭に角、それもまっすぐではなくてクルッと巻いている角の付いた羊を見たことがありますか?動物園では見た事があるかも知れませんね。或いは昔の衣服についていたウールマークにはこの山羊のイラストが付いていたように記憶していますので、それを想像してみてください。
私の住んでいるラスベガス周辺は人工的に作られた街ですが、ちょっと郊外に出るとそこはもう自然が一杯の砂漠地帯になります。お正月休みにミード湖にあるLake Mead Marinaを訪れた時のことです。駐車場に向かう途中になにやら群れをなして車に向かってくる動物達がいました。
あれ? 犬かな? と思ったのですが、それが野生のコヨーテの群れであることがわかりました。体は大型犬のジャーマン・シェパードくらいの大きさです。
多分、餌と水を求めてマリーナの近くまで来たのでしょう。
すると、ほら! あそこを見て! という声が聞こえました。山の方へ目を凝らして見てみましたが、私の目には何も映りませんでした。残念!! どうやら野生山羊の群れの姿を見損なってしまったようです。今年はひつじ年です。野生の山羊をみることが出来たら どんなに縁起が良かったかとがっかりしました。でも、回りの人の話によるとかなり頻繁にマリーナ近くには姿を現すそうです。本物の野生山羊を見るのは次回のお楽しみにとっておくことにしましょう。
2015年01月12日
【明日の世界263】 「情報の大切さ」
新年ですから夢のあるお話をしましょう。
皆さんの持っている1万円が14年で4000万円になったら…そんな馬鹿なと思うでしょうが現実におきました。
今から14年前にソフトバンクの孫さんは20億円を中国アリババに投資して昨年のIPO(株式公開)で4000倍になりました。アリババの37%の株を有して20億円が8兆円になったわけです。大化け株をあてるので著名なアナリストで経済評論家の今井きよしさんによると孫さんの情報の確かさを絶賛しています。まずアリババのオーナーと親しい関係を築いていたからこそこの話が来ました。そして、先のわからないで会社でもこの会社行けると判断したのでしょう。オーナーを信用し、業界の先を読んだからリスクも取ったことでしょう。誰でもできることではありませんが1万円が4000万円になる裏にはそれはそれは精度の高い情報網が必要で、その上にリスクを取る度胸もあって初めて可能になったことでそれも実現させた孫さんを今井さんは素直に認めています。我々はせめてしっかりした情報網も持つようにしたいですね。
皆さんの持っている1万円が14年で4000万円になったら…そんな馬鹿なと思うでしょうが現実におきました。
今から14年前にソフトバンクの孫さんは20億円を中国アリババに投資して昨年のIPO(株式公開)で4000倍になりました。アリババの37%の株を有して20億円が8兆円になったわけです。大化け株をあてるので著名なアナリストで経済評論家の今井きよしさんによると孫さんの情報の確かさを絶賛しています。まずアリババのオーナーと親しい関係を築いていたからこそこの話が来ました。そして、先のわからないで会社でもこの会社行けると判断したのでしょう。オーナーを信用し、業界の先を読んだからリスクも取ったことでしょう。誰でもできることではありませんが1万円が4000万円になる裏にはそれはそれは精度の高い情報網が必要で、その上にリスクを取る度胸もあって初めて可能になったことでそれも実現させた孫さんを今井さんは素直に認めています。我々はせめてしっかりした情報網も持つようにしたいですね。
2015年01月10日
ビュッケブルグ歳時記 100
大学生となったレナ7 ー まとめ
1. 今の時代は、女性の社会出陣が何処の国でも話題になっていますが、レナの云った「1歳から託児所に預けられた恨みは忘れない」を思い出すと、”はて”という気もするのです。ドイツでも毎日のように議会を始め、企業での女性の持ち分を多くしようとする動きが取りざたされています。女性の力が問われ、産業関係に利益が出るのは良いことですが、他方では、家庭の在り方、母親の在り方はどうなるのかと思うのです。 家庭が子どもの育つ温床だからです。それとも、これからは家庭というものの形が変わってゆくのでしょうか。
女性の地位が上がるのは喜ばしいことですが、未だに報酬では男性と同等ではないことを知ると、なんとなく誤魔化されているような気にもなります。今の世の中は経済良好が全ての上に立っていると感じます。ここにも、このままで良いのかという疑問がわきます。
2. レナの置かれた経済環境は、経済に関する教育として、自立には役立っても、反面での損失の大きさも忘れてはならないと思われます。友達との駄弁りあいとか、コーラを飲みあうとかの機会を、倹約のために破棄することが、打ち解ける友達を作れない理由の一つだとしたら大きな損失です。
3. 私の感じる限りでは、ドイツの子ども達はある意味では、子供の時から「大人扱い」をされているという感じがあります。例えば、政治に関する話を子どもの前でオープンに話すのです。ですから子どもは両親の応援政党を知っているわけです。はじめの内はその受け売りをしていますが、歳とともに自分の意見を持つようになるようです。政治に関する限り、家庭、学校(教師はノイトラルな立場から指導するのが規定ですが)、社会でのオープンさは、政治に対する興味を引き出す良い結果になっているように思われます。
4. 子ども達の独立心が早くから養われている点も、「大人扱い」から来るように思われます。例えば、日本で云われているパラサイトは、ドイツではほとんど聞きません。家から100キロの大学には汽車通学が可能のレナの例でも判るとおり、義務教育が終わった時点で子ども達は可能な限り家を出て独立するのです。
このように、書き出したことを俯瞰すると、平等の中の女性や子どもの人権や独立問題はデモクラシーの云うところだと気づきます。そこから民主主義の根本思想をもっとよく勉強することも必要なのだと思えてきます。
一読者の方から、わたしがセラピストの役割をしているようだという感想があったのですが、嬉しかったと同時にこの役割の難しさを改めて知らされました。例えば、両親と子供間に問題が起った場合は、青少年局が調整するのですが、レナに奨めることには躊躇があります。これは子どもが親に対して壁を築くことになるという考えのほうが重いからです。日本的な考え方かもしれませんが。
私のしたことがセラピーと云えるかもしれないと思わされたのは、レナが私に対してduzen(Du を使って話しかける)することです。ドイツ語のSie(2人称敬称)とDu(2人称親しい間柄)との使い分けには微妙なものがあって時々戸惑わされるのですが、生徒の子ども達はある年齢になると、先生の私に対して自然にSieを使うようになるのです。成人したレナがDuで話しかけて来ることは「話し相手」の友人として私を受け入れている証拠だと思って、これからも聞く耳を大切にしようと思っています。
1. 今の時代は、女性の社会出陣が何処の国でも話題になっていますが、レナの云った「1歳から託児所に預けられた恨みは忘れない」を思い出すと、”はて”という気もするのです。ドイツでも毎日のように議会を始め、企業での女性の持ち分を多くしようとする動きが取りざたされています。女性の力が問われ、産業関係に利益が出るのは良いことですが、他方では、家庭の在り方、母親の在り方はどうなるのかと思うのです。 家庭が子どもの育つ温床だからです。それとも、これからは家庭というものの形が変わってゆくのでしょうか。
女性の地位が上がるのは喜ばしいことですが、未だに報酬では男性と同等ではないことを知ると、なんとなく誤魔化されているような気にもなります。今の世の中は経済良好が全ての上に立っていると感じます。ここにも、このままで良いのかという疑問がわきます。
2. レナの置かれた経済環境は、経済に関する教育として、自立には役立っても、反面での損失の大きさも忘れてはならないと思われます。友達との駄弁りあいとか、コーラを飲みあうとかの機会を、倹約のために破棄することが、打ち解ける友達を作れない理由の一つだとしたら大きな損失です。
3. 私の感じる限りでは、ドイツの子ども達はある意味では、子供の時から「大人扱い」をされているという感じがあります。例えば、政治に関する話を子どもの前でオープンに話すのです。ですから子どもは両親の応援政党を知っているわけです。はじめの内はその受け売りをしていますが、歳とともに自分の意見を持つようになるようです。政治に関する限り、家庭、学校(教師はノイトラルな立場から指導するのが規定ですが)、社会でのオープンさは、政治に対する興味を引き出す良い結果になっているように思われます。
4. 子ども達の独立心が早くから養われている点も、「大人扱い」から来るように思われます。例えば、日本で云われているパラサイトは、ドイツではほとんど聞きません。家から100キロの大学には汽車通学が可能のレナの例でも判るとおり、義務教育が終わった時点で子ども達は可能な限り家を出て独立するのです。
このように、書き出したことを俯瞰すると、平等の中の女性や子どもの人権や独立問題はデモクラシーの云うところだと気づきます。そこから民主主義の根本思想をもっとよく勉強することも必要なのだと思えてきます。
一読者の方から、わたしがセラピストの役割をしているようだという感想があったのですが、嬉しかったと同時にこの役割の難しさを改めて知らされました。例えば、両親と子供間に問題が起った場合は、青少年局が調整するのですが、レナに奨めることには躊躇があります。これは子どもが親に対して壁を築くことになるという考えのほうが重いからです。日本的な考え方かもしれませんが。
私のしたことがセラピーと云えるかもしれないと思わされたのは、レナが私に対してduzen(Du を使って話しかける)することです。ドイツ語のSie(2人称敬称)とDu(2人称親しい間柄)との使い分けには微妙なものがあって時々戸惑わされるのですが、生徒の子ども達はある年齢になると、先生の私に対して自然にSieを使うようになるのです。成人したレナがDuで話しかけて来ることは「話し相手」の友人として私を受け入れている証拠だと思って、これからも聞く耳を大切にしようと思っています。