2014年10月
2014年10月30日
【見たり聞いたり200】 「人の使い方」
最終戦でソフトバンクにやられましたが21打数2ヒットの台湾出身の3番陽岱鋼をじっと我慢して使う日本ハムの栗山監督は人の使い方大したものと感じます。そういえば
今回4試合連続ホームランの中田も栗山監督によって4番に抜擢されて、確か33打席ノーヒットが続きました時も絶対代えようとしませんでした。
陽や中田の立場になったらこのように我慢強く使ってくれる監督に何とか報いようとする気持ちになるのは当然でしょう。
そのような人の使い方をしているとついてくるのでしょうか、今年のドラフト1番人気の早稲田の有原投手を引き当てましたね。
権藤博元監督が言っていますが打たれた投手を叱って、そのまま2軍に落とす球団があるがこれは最低なやりかただ。それでひと皮むけさせようなど、指導者でも何でもない。コーチが無能と白状しているようなものだ。選手を一人の人間として扱うなら、前向きな気持ちになれる指導をすべきで、人を追い込むようなやり方は邪道であると。
今回4試合連続ホームランの中田も栗山監督によって4番に抜擢されて、確か33打席ノーヒットが続きました時も絶対代えようとしませんでした。
陽や中田の立場になったらこのように我慢強く使ってくれる監督に何とか報いようとする気持ちになるのは当然でしょう。
そのような人の使い方をしているとついてくるのでしょうか、今年のドラフト1番人気の早稲田の有原投手を引き当てましたね。
権藤博元監督が言っていますが打たれた投手を叱って、そのまま2軍に落とす球団があるがこれは最低なやりかただ。それでひと皮むけさせようなど、指導者でも何でもない。コーチが無能と白状しているようなものだ。選手を一人の人間として扱うなら、前向きな気持ちになれる指導をすべきで、人を追い込むようなやり方は邪道であると。
2014年10月28日
【From America】「ハロウイーンの飾りつけ」
アメリカのウインドゲイト緑です。
最近は日本でも10月31日のハロウイーンのお祝いが定着してきたようですね。あちこちでオレンジ色のかぼちゃをモチーフにした飾りつけを見かけるようになりました。しかし、その飾りつけはまだまだ家の中だけのようです。
一方、アメリカではクリスマスの飾りつけ同様、家の外にもその飾りつけは及びます。写真の家は、大きなクモを屋根に取り付けています。ハロウイーンの飾りつけは、大きなオレンジ色のかぼちゃをくりぬいて作るジャック・オー・ランタンを初め、お化け、魔女、クモ、骸骨など様々な怖いものが登場します。
更に、アメリカではかぼちゃの形をしたクッキー、ケーキ、は勿論、グミなどの食べられる食材を利用したクモ、更には日本のアニメ、ゲゲゲの鬼太郎に登場する「目玉親父」みたいな目玉だけのお菓子など、次から次へとアイデアが登場します。
日本でも近いうちに、クリスマスに続く大きな屋外飾りつけイベントとしてハロウイーンが市民権を得るようになる日が来るのではないでしょうか? 日本独特の奇抜なアイデアを楽しみにしています。
最近は日本でも10月31日のハロウイーンのお祝いが定着してきたようですね。あちこちでオレンジ色のかぼちゃをモチーフにした飾りつけを見かけるようになりました。しかし、その飾りつけはまだまだ家の中だけのようです。
一方、アメリカではクリスマスの飾りつけ同様、家の外にもその飾りつけは及びます。写真の家は、大きなクモを屋根に取り付けています。ハロウイーンの飾りつけは、大きなオレンジ色のかぼちゃをくりぬいて作るジャック・オー・ランタンを初め、お化け、魔女、クモ、骸骨など様々な怖いものが登場します。
更に、アメリカではかぼちゃの形をしたクッキー、ケーキ、は勿論、グミなどの食べられる食材を利用したクモ、更には日本のアニメ、ゲゲゲの鬼太郎に登場する「目玉親父」みたいな目玉だけのお菓子など、次から次へとアイデアが登場します。
日本でも近いうちに、クリスマスに続く大きな屋外飾りつけイベントとしてハロウイーンが市民権を得るようになる日が来るのではないでしょうか? 日本独特の奇抜なアイデアを楽しみにしています。
2014年10月27日
【明日の世界252】 「少年サッカーに見る」
「そこで左に回れ」夕暮れ迫る横浜榎小学校サッカーグランドでコーチの日本体育大学サッカー部の学生の声が響き渡りました。青葉区には圧倒的に強い美しが丘の少年チームがあります。夏の練習試合では10対1と大敗しました。悔し涙を流す子供、あっけらかんとしている子供、サッカーに対する姿勢によって反応もまちまちです。孫が通うサッカーチームは2年生まで父兄がコーチ役をかって出ますが3年生からは近くの日体大のサッカー部の本チャンが指導してくれます。両親が仕事で迎えに行かれないのでじーちゃん、ばーちゃんの出番です。私が出迎えに行ったときもすぐ気が付いてコーチが挨拶するところ大したものです。夕方5時半はもう暗いのですが6時までしっかリ練習です。交代で母親もついています。練習が終わると今の練習に対する戦術の反省です。一人の子が呼ばれていましたがあの時このようにボールを回せばよかったと戦術の指導です。この戦術は指導は親ではできませんし頭を使うので子供たちはますます熱心になります。
終わるとグランドに挨拶し、次に面倒を見てくれている親に挨拶その後グランドのゴール道具を所定の位置に戻す等暗い中をてきぱきとこなします。
塾オンリーなる世界とは明らか違うフィールドに感心しました。
終わるとグランドに挨拶し、次に面倒を見てくれている親に挨拶その後グランドのゴール道具を所定の位置に戻す等暗い中をてきぱきとこなします。
塾オンリーなる世界とは明らか違うフィールドに感心しました。
2014年10月25日
ビュッケブルグ歳時記 95
大学生となったレナ2 ー ピアノとは?
「上手い!ここまで弾くにはずいぶん練習したのでしょう」という私の問いに、
「午後、宿題を片ずけた後はずっと弾いています。誰もいないので話す人も居ないし」という答えが返ってきました。
前回に書いたとおり、母親も仕事を持っていること、又ドイツの高校は、午後
1時半頃授業が終わるのが普通なのです。2ー3年前からギムナジュウムの期間が
12年間となった州が多いことから、高校も全日制にという動きがあるのですが、
日本のように、午後も午前と同じように授業が行われる形ではなく、午後はスポーツ授業とか、コースとしてのギリシャ語などの古代語やロシア語授業が行われることが多いのです。ですから、週に1ー2日は午後の授業があっても、その他の日は昼食に家に帰り、その後は自由時間となるのです。
レナがギム(ギムナジュウムの縮小呼び名)の中等学年になったとき、それまで練習していたEーピアノ(エレクトローンピアノ)にかわって、古いグランドピアノが彼女の家に来たと、ここでも、喜びに一刷毛の曇りをはいたような表情(理由は後述)で報告されたのを思い出します。そしてピアノを弾く時間がますます増えたのです。午後の自由時間の殆どをピアノを弾くことに費やしていたのです。母親との関係がスムースでなかったことに加えて、家の中での会話が彼女の方に向かっていなかったこと、心を許す友達を持たなかったなどから、話し合える人を持たなかったレナは、若い女生徒の持つ感情をピアノに向かって話していたのだと思います。レナにとってはピアノは弾く楽器だけではなく、感情を分つ会話の相手でもあるのです。レッスンで、ピアノに向かって弾き続ける彼女の姿に、人に寄って来てもらいたくない自分の世界に居ることを主張しているような寂寥感があるのですが、これは、ピアノに自分の気持ちを語りかけていたレナの姿を映し出していたのかもしれません。ピアノは彼女の情操世界であった(る)のです。
大学生となってビーレフェルト市に引っ越すことになりました。この市はミンデンから100キロ程しか離れていないのですが、この地ではほとんどの青年が大学生になると家を離れて独立した生活をするのです。レナも同様です。家賃がなるべく安価で、その上に住み得る(この4字の下には強調する付点があるとご想像下さい。ある程度の広さとか清潔さがあることが条件を意味します)下宿を探していました。学生達に最近流行っているのがWG(Wohngemeinschaftの略)という「数人が一つの住居を共有して生活する住居共同体」ですが、彼女もWGを見つけ、同じギムの同期生で物理専攻のアリと共に住むことになりましたが、「アリにはガール・フレンドが居るのよ。それが煩わしいのだけれど」と一点気に入らないところはあっても、それ以外はおおよそ満足しているように受け取れました。
自分の部屋に必要なベットや机などの家具が一応揃った後、「今最後に、インターネットで安いEーピアノを探しているの。ピアノが無い生活は考えられないから」と云うのを聞いた時には驚きました。彼女に与えられている大学勉学資金が限られていることを知らされている私には、一瞬信じられなかったのです。が、このことはレナとピアノは、本当にレナの心と、楽器(ピアノ)の心の関係で、両者は堅く結ばれているということを示していると知り、感激しました。 つづく
「上手い!ここまで弾くにはずいぶん練習したのでしょう」という私の問いに、
「午後、宿題を片ずけた後はずっと弾いています。誰もいないので話す人も居ないし」という答えが返ってきました。
前回に書いたとおり、母親も仕事を持っていること、又ドイツの高校は、午後
1時半頃授業が終わるのが普通なのです。2ー3年前からギムナジュウムの期間が
12年間となった州が多いことから、高校も全日制にという動きがあるのですが、
日本のように、午後も午前と同じように授業が行われる形ではなく、午後はスポーツ授業とか、コースとしてのギリシャ語などの古代語やロシア語授業が行われることが多いのです。ですから、週に1ー2日は午後の授業があっても、その他の日は昼食に家に帰り、その後は自由時間となるのです。
レナがギム(ギムナジュウムの縮小呼び名)の中等学年になったとき、それまで練習していたEーピアノ(エレクトローンピアノ)にかわって、古いグランドピアノが彼女の家に来たと、ここでも、喜びに一刷毛の曇りをはいたような表情(理由は後述)で報告されたのを思い出します。そしてピアノを弾く時間がますます増えたのです。午後の自由時間の殆どをピアノを弾くことに費やしていたのです。母親との関係がスムースでなかったことに加えて、家の中での会話が彼女の方に向かっていなかったこと、心を許す友達を持たなかったなどから、話し合える人を持たなかったレナは、若い女生徒の持つ感情をピアノに向かって話していたのだと思います。レナにとってはピアノは弾く楽器だけではなく、感情を分つ会話の相手でもあるのです。レッスンで、ピアノに向かって弾き続ける彼女の姿に、人に寄って来てもらいたくない自分の世界に居ることを主張しているような寂寥感があるのですが、これは、ピアノに自分の気持ちを語りかけていたレナの姿を映し出していたのかもしれません。ピアノは彼女の情操世界であった(る)のです。
大学生となってビーレフェルト市に引っ越すことになりました。この市はミンデンから100キロ程しか離れていないのですが、この地ではほとんどの青年が大学生になると家を離れて独立した生活をするのです。レナも同様です。家賃がなるべく安価で、その上に住み得る(この4字の下には強調する付点があるとご想像下さい。ある程度の広さとか清潔さがあることが条件を意味します)下宿を探していました。学生達に最近流行っているのがWG(Wohngemeinschaftの略)という「数人が一つの住居を共有して生活する住居共同体」ですが、彼女もWGを見つけ、同じギムの同期生で物理専攻のアリと共に住むことになりましたが、「アリにはガール・フレンドが居るのよ。それが煩わしいのだけれど」と一点気に入らないところはあっても、それ以外はおおよそ満足しているように受け取れました。
自分の部屋に必要なベットや机などの家具が一応揃った後、「今最後に、インターネットで安いEーピアノを探しているの。ピアノが無い生活は考えられないから」と云うのを聞いた時には驚きました。彼女に与えられている大学勉学資金が限られていることを知らされている私には、一瞬信じられなかったのです。が、このことはレナとピアノは、本当にレナの心と、楽器(ピアノ)の心の関係で、両者は堅く結ばれているということを示していると知り、感激しました。 つづく