2014年05月
2014年05月30日
2014年05月28日
対面
先日、NHKテレビで「脱 IT」という番組を見ました。
日用品で有名な「アイリスオーヤマ社」をはじめ数社の特集をしていました。初めは精神論に近いものかと、あまり期待はしていませんでしたが、見ていくうちに弊社でも思い当たる点が何か所もありました。
まず、最近ではメールが一番の伝達手段と思われ、隣の席の人にもわざわざメールで連絡していることです。
また、一日中パソコンを触っていて、気が付けばその日は数人としかコミュニケーションをとっていないとか・・・。
スマホに関しても、若い連中は飲み会の席でも、始終スマホをいじっていて上司が話をしてもテーブルの下でLINEをしている始末です。
最近では、このようなメールはもとより電話でのコミュニケーションに頼りすぎて、サービスの原点である対面を重視する生命保険会社や証券会社が増えてきています。
明治安田生命の新曲、小田和正さんの「愛になる」という楽曲も、このコンセプトで書かれたようです。
対人。対面。これからますます見直されていくのでしょう。
日用品で有名な「アイリスオーヤマ社」をはじめ数社の特集をしていました。初めは精神論に近いものかと、あまり期待はしていませんでしたが、見ていくうちに弊社でも思い当たる点が何か所もありました。
まず、最近ではメールが一番の伝達手段と思われ、隣の席の人にもわざわざメールで連絡していることです。
また、一日中パソコンを触っていて、気が付けばその日は数人としかコミュニケーションをとっていないとか・・・。
スマホに関しても、若い連中は飲み会の席でも、始終スマホをいじっていて上司が話をしてもテーブルの下でLINEをしている始末です。
最近では、このようなメールはもとより電話でのコミュニケーションに頼りすぎて、サービスの原点である対面を重視する生命保険会社や証券会社が増えてきています。
明治安田生命の新曲、小田和正さんの「愛になる」という楽曲も、このコンセプトで書かれたようです。
対人。対面。これからますます見直されていくのでしょう。
2014年05月27日
【From America】「そば粉パンケーキ」

今や和食ブームといわれて、日本食の価値が海外で認められるようになってきました。これは実に嬉しいことで、私もあちこちのアメリカのスーパーで和食の食材が売られるようになってきたことを大いに喜んでいます。
多くのスーパーでは、エスニック料理の材料ばかりを集めた通路を設けていて、そこには和食、中華、タイ料理、などアジア圏の食材が集まっています。ところが先日、全くのアメリカ料理食材であるパンケーキ・ミックス売り場で、「そば粉パンケーキ」ミックスを見つけました。これは私にとって嬉しい驚きでした。
健康志向が高まる昨今、Whole wheat flour(全粒粉)を使ったパンケーキ・ミックスがあることは当然なのですが、その隣にBuckwheat(そば粉)のパンケーキ・ミックスを見つけました。
そばでダイエット。GI値が低い。などそばには良いことがいっぱい。それを放っては置かないのは当たり前といえば当たり前なのかもしれません。料理本にも「そばヌードル・サラダ」なども登場しています。
日本の麺類のアメリカ進出はうどんがそばよりも先でした。しかし、健康志向の人が増えると同時に、そばが注目される時がきたようですね。和食万歳!
2014年05月26日
【明日の世界 230】 「建白王渋沢栄一」
ネギで有名な下仁田にある渋沢栄一記念館に入ると玄関入り口に実物大152センチの漫画チックな翁が迎えてくれます。
迎えに出てくれた館長がすぐ裏庭に案内するとそこに4.・4メートルの巨大な像がじっと前方500Mぐら先の利根川の土手を見ています。
名物の空っ風がこの日も吹いていて川崎から来た30人のバスツアーを迎えてくれました。
利根川の氾濫が名物下仁田ネギに豊穣な栄養分を与えてくれるのだと館長は説明してくださいました。
今回記念館ツアーに参加する気になった理由は二つあります。一つは城山三郎の渋沢栄一を書いた「雄気堂々」を読んだことですがもう一つは数年前に
下田に行った時、初代アメリカ総領事館が置かれた須崎半島にある玉泉寺(下田駅から約4KM)の住職夫人が言われた言葉が忘れなかったからです。
「この寺は渋沢栄一先生のおかげで生まれ変わり、今日存在しており、先生は命の恩人です・・・と」
初代アメリカ総領事が去ってから玉泉寺がすっかり忘れられて雨漏りもひどくなり廃寺になる寸前でした。そのとき現在の住職の先々代が20歳半ばで住職になりました。歴史上この寺は永久保存するに値すると思いまず地元の有力者に相談しましたが、いいことだ頑張ってくれとの言葉だけでした。そこでいろいろ考えた末当時財界の頂点に立つ渋沢栄一に飛び込みで現状を訴えた手紙を書きました。渋沢は見ず知らずの若き住職に会ったくれ何とかしようと言ってくれました。
しかしその直後に関東大震災がおきて渋沢の家も焼け落ちて関係する多数の会社も大被害をこうむりました。住職はとても何も関係ない寺どころではないだろうと半ばあきらめていました。ところが渋沢はこのようは時にも若い住職の約束をしっかり守って自分も寄付して財界の関係者に寄付の御願いを頼み見事に計画以上の寄付金を集めたそうです。
今日玉泉寺のあるのは渋沢栄一のおかげと現住職夫人の言葉は大変重みがありました。
迎えに出てくれた館長がすぐ裏庭に案内するとそこに4.・4メートルの巨大な像がじっと前方500Mぐら先の利根川の土手を見ています。
名物の空っ風がこの日も吹いていて川崎から来た30人のバスツアーを迎えてくれました。
利根川の氾濫が名物下仁田ネギに豊穣な栄養分を与えてくれるのだと館長は説明してくださいました。
今回記念館ツアーに参加する気になった理由は二つあります。一つは城山三郎の渋沢栄一を書いた「雄気堂々」を読んだことですがもう一つは数年前に
下田に行った時、初代アメリカ総領事館が置かれた須崎半島にある玉泉寺(下田駅から約4KM)の住職夫人が言われた言葉が忘れなかったからです。
「この寺は渋沢栄一先生のおかげで生まれ変わり、今日存在しており、先生は命の恩人です・・・と」
初代アメリカ総領事が去ってから玉泉寺がすっかり忘れられて雨漏りもひどくなり廃寺になる寸前でした。そのとき現在の住職の先々代が20歳半ばで住職になりました。歴史上この寺は永久保存するに値すると思いまず地元の有力者に相談しましたが、いいことだ頑張ってくれとの言葉だけでした。そこでいろいろ考えた末当時財界の頂点に立つ渋沢栄一に飛び込みで現状を訴えた手紙を書きました。渋沢は見ず知らずの若き住職に会ったくれ何とかしようと言ってくれました。
しかしその直後に関東大震災がおきて渋沢の家も焼け落ちて関係する多数の会社も大被害をこうむりました。住職はとても何も関係ない寺どころではないだろうと半ばあきらめていました。ところが渋沢はこのようは時にも若い住職の約束をしっかり守って自分も寄付して財界の関係者に寄付の御願いを頼み見事に計画以上の寄付金を集めたそうです。
今日玉泉寺のあるのは渋沢栄一のおかげと現住職夫人の言葉は大変重みがありました。