2011年11月
2011年11月29日
【From America】「感謝祭の次の日は」
アメリカのウインドゲイト緑です。
アメリカ独特の祝日であるサンクス・ギビングは11月の第四木曜日で、今年は11月24日にあたります。そして、次の日の金曜日11月25日は「ブラック・フライデー」と呼ばれ、クリスマス商戦が公式に始まる日です。
この日は一年に一度の「大バーゲン・セール」の日なのです。ブラック・フライデーと名づけられるこの日のバーゲン・セールの始まりは早朝。それも半端な時間ではありません。午前3時、4時といった時間帯から始まり、それはびっくりするようなお買い得商品が出てきます。普通のバーゲン・セールで行われるような元の値段の50%引き、75%引きというバーゲンから、ウェディング・ドレス1万円のような高価な商品がびっくりするような値段になるものまで、それは多種多彩です。
このバーゲン・セールに次の日の朝早く行くために、サンクス・ギビングの集まりは早く解散して早く寝るという人もいるほどです。しかし、お客さんが午前3時、4時にやってくるということは、店の準備をする店員さんたちはきっと眠る時間もなくサンクス・ギビングの七面鳥を食べたら、真っ直ぐお店に出社するのではないか? と思います。
この日のバーゲンを狙う人もいれば、そんな日に買い物に行くのはクレージーだ、とばかりに前日の満腹感の延長戦で、家でゴロゴロしながら昨日の残りのターキーでサンドイッチを作ったり、スープを作ったり、或いはターキー肉の残りと野菜、グレービーを使ってパイを作ったり、という人も多いようです。殆どの会社は金曜日を休みにしてくれますので、ロング・ウィークエンドを家族とゆっくり楽しむ人、遠くから家族に会いにやってきた人たちは祝日を終えて自宅に帰る人。この祝日は日本のお正月休みを思い出させるような「家族が集まる祝日」になっています。
アメリカのバーゲン・セールを経験してみたいなら、一度は朝3時、4時にデパートに行ってみるのも面白いかもしれませんね。
アメリカ独特の祝日であるサンクス・ギビングは11月の第四木曜日で、今年は11月24日にあたります。そして、次の日の金曜日11月25日は「ブラック・フライデー」と呼ばれ、クリスマス商戦が公式に始まる日です。
この日は一年に一度の「大バーゲン・セール」の日なのです。ブラック・フライデーと名づけられるこの日のバーゲン・セールの始まりは早朝。それも半端な時間ではありません。午前3時、4時といった時間帯から始まり、それはびっくりするようなお買い得商品が出てきます。普通のバーゲン・セールで行われるような元の値段の50%引き、75%引きというバーゲンから、ウェディング・ドレス1万円のような高価な商品がびっくりするような値段になるものまで、それは多種多彩です。
このバーゲン・セールに次の日の朝早く行くために、サンクス・ギビングの集まりは早く解散して早く寝るという人もいるほどです。しかし、お客さんが午前3時、4時にやってくるということは、店の準備をする店員さんたちはきっと眠る時間もなくサンクス・ギビングの七面鳥を食べたら、真っ直ぐお店に出社するのではないか? と思います。
この日のバーゲンを狙う人もいれば、そんな日に買い物に行くのはクレージーだ、とばかりに前日の満腹感の延長戦で、家でゴロゴロしながら昨日の残りのターキーでサンドイッチを作ったり、スープを作ったり、或いはターキー肉の残りと野菜、グレービーを使ってパイを作ったり、という人も多いようです。殆どの会社は金曜日を休みにしてくれますので、ロング・ウィークエンドを家族とゆっくり楽しむ人、遠くから家族に会いにやってきた人たちは祝日を終えて自宅に帰る人。この祝日は日本のお正月休みを思い出させるような「家族が集まる祝日」になっています。
アメリカのバーゲン・セールを経験してみたいなら、一度は朝3時、4時にデパートに行ってみるのも面白いかもしれませんね。
2011年11月28日
【明日の世界】No.100 「手妻巡業同行記まとめ」
「手妻のレベルを最高のものにしたいのです。そのためには邦楽の優秀な皆さんと組むことが大切です。」と手妻藤山師匠は先日手妻とのコラボを考えている会社を訪問した時はっきりと言いました。
手妻は日本で藤山新太郎一座しか出来ません。ですから師匠は好きなように出来てそれに対して誰も文句は言えませんがそれでは進歩がありません。最高の邦楽の人たちと組むことによって師匠ももっと上のレベルを目指すことが出来ると言われました。さすが一流の人が言うことは違うと認識しました。
京都府巡業の折、一番太鼓が「ドンと来い、ドンと来い」と打ち始めると会場の外で待っていた生徒さんが期待を膨らませんて入場するのを見ると太鼓があって手妻も生きてくることがわかります。校長先生が15分しかじっとしていられない施設の子供22人(親の虐待を受けて寮生活をしている)が手妻を90分じっとして観ていたがこれは奇跡ですと言われましたがこれも邦楽があって初めて手妻が生きてくることが現場にいると良くわかります。
手妻と邦楽のコラボレイションが日本古来の芸能の維持繁栄にこれからも役立つことを心から期待します。
手妻も邦楽も知らない世界を見ることがこんなにも好奇心をそそることを知りましたがありがたい経験をさせてもらいおました。藤山新太郎師匠に感謝します。
手妻は日本で藤山新太郎一座しか出来ません。ですから師匠は好きなように出来てそれに対して誰も文句は言えませんがそれでは進歩がありません。最高の邦楽の人たちと組むことによって師匠ももっと上のレベルを目指すことが出来ると言われました。さすが一流の人が言うことは違うと認識しました。
京都府巡業の折、一番太鼓が「ドンと来い、ドンと来い」と打ち始めると会場の外で待っていた生徒さんが期待を膨らませんて入場するのを見ると太鼓があって手妻も生きてくることがわかります。校長先生が15分しかじっとしていられない施設の子供22人(親の虐待を受けて寮生活をしている)が手妻を90分じっとして観ていたがこれは奇跡ですと言われましたがこれも邦楽があって初めて手妻が生きてくることが現場にいると良くわかります。
手妻と邦楽のコラボレイションが日本古来の芸能の維持繁栄にこれからも役立つことを心から期待します。
手妻も邦楽も知らない世界を見ることがこんなにも好奇心をそそることを知りましたがありがたい経験をさせてもらいおました。藤山新太郎師匠に感謝します。
2011年11月27日
2011年11月26日
ビュッケブルグ歳時記 22
ドイツの11月は亡き人々を想う月
多くの犠牲を強いた太平洋戦争開戦の日が近くなった。ドイツに長く住んで、紹介したいのが「国民哀悼の日」である。両次大戦の戦死者、特にナチの犠牲者のめい福を祈る日で、その年の降誕節前、11月中の日曜日と決められている。
この日は第一次大戦戦没者墓地を保護することが目的で1922年に制定され、ナチの指揮のもとでは「戦没将兵慰霊の日」であったのが、52年に現在の名称になった。この日の意義は慰霊だけに限らず、国境と民族の垣根を超えて、相互理解と平和を忘れてはならないという国民の誓いの日としていることに注目したい。
今年は11月18日であった。ラウ大統領はベルリンの中央慰霊場で花輪に添えて、現在起こっている世界の戦争、テロなどによる犠牲者に言葉を捧げた。他の都市でも、同様の献花があった。同時に、慰霊塔保護資金募集や、戦争反対礼拝が行われる。
市民に戦争と平和を考えさせる日がドイツにある。今の日本にも参考になるのではないだろうか。
突然の「である」文体に驚かれるかもしれませんが、これは、2001年11月26日の朝日新聞「声」欄に載った私の文なのです。「声」に採用されたことは読者の理解を得ることの出来る文だと思いますので、そのまま書き写しました。
ノイエ・ワッヘと呼ばれる中央慰霊場はベルリン市中心部の有名な大道り、ウンターデンリンデン通りのほとりにあります。プロイセン王によって1818年に建てられ、当時監視所として使われていた建物です。戦争で大破の憂き目にあったものの、再建されて現在のものになっています。
中央には「ピエタ」(この名の源泉は、十字架から降ろされたキリストを抱いて嘆き悲しむ聖母マリアの画像、彫像です)と名付けられた像が置かれています。これは女性彫刻家、
ケーテ・コルウィッツが戦争反対を表明して1937年に発表した母親像です。死んだ子どもを膝に抱えて悲しむ母親のブロンズ像です。コンクリートの壁と床の大きな広間に、この像だけが置かれているのです。
何の装いも無いこの慰霊場に足を踏み入れた人は、そこから静粛と戦争への警告を読み取ることと思います。
今年の国民哀悼日は11月13日でした。
多くの犠牲を強いた太平洋戦争開戦の日が近くなった。ドイツに長く住んで、紹介したいのが「国民哀悼の日」である。両次大戦の戦死者、特にナチの犠牲者のめい福を祈る日で、その年の降誕節前、11月中の日曜日と決められている。
この日は第一次大戦戦没者墓地を保護することが目的で1922年に制定され、ナチの指揮のもとでは「戦没将兵慰霊の日」であったのが、52年に現在の名称になった。この日の意義は慰霊だけに限らず、国境と民族の垣根を超えて、相互理解と平和を忘れてはならないという国民の誓いの日としていることに注目したい。
今年は11月18日であった。ラウ大統領はベルリンの中央慰霊場で花輪に添えて、現在起こっている世界の戦争、テロなどによる犠牲者に言葉を捧げた。他の都市でも、同様の献花があった。同時に、慰霊塔保護資金募集や、戦争反対礼拝が行われる。
市民に戦争と平和を考えさせる日がドイツにある。今の日本にも参考になるのではないだろうか。
突然の「である」文体に驚かれるかもしれませんが、これは、2001年11月26日の朝日新聞「声」欄に載った私の文なのです。「声」に採用されたことは読者の理解を得ることの出来る文だと思いますので、そのまま書き写しました。
ノイエ・ワッヘと呼ばれる中央慰霊場はベルリン市中心部の有名な大道り、ウンターデンリンデン通りのほとりにあります。プロイセン王によって1818年に建てられ、当時監視所として使われていた建物です。戦争で大破の憂き目にあったものの、再建されて現在のものになっています。
中央には「ピエタ」(この名の源泉は、十字架から降ろされたキリストを抱いて嘆き悲しむ聖母マリアの画像、彫像です)と名付けられた像が置かれています。これは女性彫刻家、
ケーテ・コルウィッツが戦争反対を表明して1937年に発表した母親像です。死んだ子どもを膝に抱えて悲しむ母親のブロンズ像です。コンクリートの壁と床の大きな広間に、この像だけが置かれているのです。
何の装いも無いこの慰霊場に足を踏み入れた人は、そこから静粛と戦争への警告を読み取ることと思います。
今年の国民哀悼日は11月13日でした。