2011年08月

2011年08月21日

スペイン体験記  その12

翌日、パスポートコントロールに勤めている、名前は確か…ハッサムさんだったと思います。

が、紹介してくれた宿まで迎えに来てくれて、旧市街を案内してくれました。 流石にハッサムさんと一緒にいると、勧誘してくる人はおらず、怪しい細道も心強く探索することが出来ました。
暫く、街並みを歩いているとハッサムさん、ある店の前で歩を止め、「ここは、私の友人がいる店で、とても良い品揃えの所だよ」
と、私のハッサムさんに対する信頼、心強さがマックス状態の時、実に絶妙なタイミングで勧誘してきました。

私も、買うかどうか、分からないけど、見るだけなら…と、何の抵抗もなくそのお店に入りました。 店内は見事なペルシャ絨毯が大小、様々に展示してあり、本当に色彩も見事でした。すると、奥から見事な髭を蓄えた店主らしき人が顏を出し、二階にある別室に案内されました。

ハッサムさんと別れる事に一抹の不安を感じましたが、彼は、「どんなに時間がかかってもいいから、待ってるよ」と、笑顔で彼もまた、別室に消えていきました。
店主は二階にもある絨毯や民族衣装を誇らしげに紹介してくれ、更に自分の日本人の顧客リストを見せてくれ、とても日本、日本人が好きだとアピールしてきます。そのアピールが逆に怪しさタップリだったのですが、どこか憎めません。
私の中でお土産を購入する予定はなかったのですが、店の雰囲気にやられてしまったのか、フードコートのような民族衣装、ジュラブが欲しくなりました。

昨夜、紹介してくれた宿が500円、食事も100〜200円あればかなり豪勢に食べられたので、私の中の、現地、モロッコでの価値観の感覚で、2000円だったら買おうと、心に決めて店主と交渉に臨みました。
店主は絨毯に座るように薦めてくれ、私が選んだジュラブを15000円だとどうだ?と、ふっかけてきます。こんな交渉は生まれて初めてだったのですが、海外にいると防衛本能が働くのかどうか、警戒心だけは高くなっていたので、ギリギリの所まで自分が買っても良い値段はいうまいと、慎重に話しを進めていきました。

直ぐに5000円まで値が下がったのですが、そこからがとても長い道のりでした。店主さんも一時休憩とばかりに階下からミントティーを持ってきてくれました。
店主は5000円以下では譲らないぞと、私にジャブを放って来ます。まずはこのジュラブが厳選されたラクダの毛で出来ている事やたくさんの写真を見せてくれます。
私は早くも自分で購入を決めた値段を盾にして、自分は貧乏学生でこれ以上出すとスペインに戻る事が出来ないんだと、力説します。
更に微妙に4500円まで下がりました。

ここまで30分ぐらいは経過していたのですが、いつの間にかこの値段交渉に本気で取り組んでいる自分がおり、最初はそこまで欲しいと思っていなかったジュラブがとても、欲しくなっていました。

店主は戦術を変えてきました。このジュラブを作ったのは実は自分の女房と娘だと、写真を見せてきます。高い山の上で作っていてとても大変な作業なんだと。少し、泣きも入ってきました。こう言ってはなんですが、直ぐにウソだとわかりました。
私も負けずに母親を病気にして泣きを入れます。更に父親には死んでもらいました。

この時、一時間は経っており流石に疲れ果ててきました。なかなか折り合いがつかないと判断した私は交渉では最終手段であろう、
「もう、いらない」
を放つと、店主さんは最高に悲しそうな表情で、紙切れに2500円と書いてきました。

ここに来てこの値下げ、私は「勝った!!」と、内心、喜びつつも、極力、表情には出さずに「今日の食事を抜けば買える値段だから、頂きます。」と、苦しい言い訳を吐きながらそのジュラブを身につけました。

下に降りるとハッサムさんは既に姿が見えなかったのですが、初めての値段交渉で、自分の第一印象にかなり近い額で購入出来た喜びと、店主に対する勝利感とで店主に挨拶をして店を出ました。
一歩、外に出るとまた、勧誘の嵐でしたが、気分が良かったので、
「このジュラブ、いくらだと思う?」
と、聞くと
「ん?まず500円以上だったら買わないな」
と、耳を疑う答えが返ってきました。

勧誘される度、質問してみました。
答えは300〜500円でした…。
先程の勝利感は消し飛び、通りすがりの観光客が現地の感覚で買い物は出来ないんだと思い知らされました。

宿に戻る道すがら、更に疑い深くなった私は、ハッサムさんは全てこうなる事を予測した上で、声を掛けてきたのではないだろうかという思いに至り、だとしたらハッサムさんの勧誘方法は実にスマートで、太刀打ち出来ないなぁーと、また、モノを買う時の値段を自分で量るのは何て難しいんだろうと思いました。


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2011年08月20日

ビュッケブルグ歳時記 16

「市民射撃大会」という、物騒な名前のお祭り

 8月末から9月にかけて今年のブッケブルグの町は「市民射撃大会」でお祭り気分です。市民射撃などという物騒な名前ですが、この前身は昔の市民の自衛の形の名残なのです。歴史的なことを簡単に見てみましょう。1500年頃のドイツ市民は銃を取って自分の町を守っていました。100年後にはこれが軍隊としての性格を持つことになり、14−50歳迄の男性は参加が義務付けられ射撃の訓練が行われるようになりました。成績が良いと税金が免除されたそうです。その後,射撃はスポーツと見なされるようになり、1900年になると、守備の他に競技として考えられるようになったのです。当時の射撃人の服装は黒の背広に白のネクタイと決められていました。これは今でもそのまま残っています。そしてドイツでは、第一次世界大戦後には市の区域ごとに、18−21歳迄の有志青年で小隊が編成されました。そしてこの形が2次大戦の後、1952年に、武器は平和のために使おうという主旨の元に、平和小隊が作られたのです。
 要するに昔あった自衛の形の伝統を守り、武器を外敵を阻止するものではなく、皆が仲良く団結することに使おうというポジテイブな考えから作られた町のお祭り騒ぎです。

 この区域小隊は ROTTEと 呼ばれます。ここにもドイツ人の同好会好きが見えます。それぞれのROTTE が2年間(かかる費用が大きすぎるのでお祭り騒ぎは2年ごとです)、準備やその他のことをして楽しむのです。勿論、特定な場所で射撃の練習をして、毎年、各小隊 の射撃王を決めるのです。このとき使われるのは本物の銃です。数年前にエアフルト市で学校惨劇を起こした生徒は,残念ながらこの同好会の会員でした。彼は銃を家に持ち帰っていて惨事を起こしたのです。 

 地方版に載った今年の祭り日程を見てみましょう。24−28日迄の5日間です。一日目は始業式として小隊 の招集が市庁舎で行われた後、戦没者記念塔での記念黙祷会。次の日は有志が近くの森から緑の葉がついた枝を集めてきます。それが、商店街に既に用意されている容器にさされて町に祭り気分が満ちてくるのです。3日目から広場に用意された大きなテントでの射撃競技が始まります。始めは子ども達です。風船や玩具を射止めたい子ども達の笑い声が明るく広場に響きます。そして青年会、一般市民と的を狙うのです。
実弾での競技は町外れの練習所で競争し、ここで専門の射撃王が決まります。
 最後の日は日曜です。寝坊をしたい市民もこの日は10時には起こされます。既述の制服に身を固めたROTTE の隊員が、派手なブラスバンドの伴奏とともにそれぞれの地区を行進してくるのです。時々音楽が消えるのは、友人、知人による街角でのシュナップス(アルコール度の強い火酒)の振る舞いを楽しんで「るからです。
 そして夕方から射撃王の表彰式です。射撃王を出した小隊に、優勝カップと50リットルのビールが賞品として与えられます。このことからも祭りの5日間が酒興酩酊の期間だとお判りいただけると思います。
 本当にドイツ人はお祭り気分のイヴェントが好きな国民です。


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2011年08月19日

今年のお盆休みの過ごし方-1日目

真穂としみok今夏もとっても暑いですね〜。皆さんお盆はどのように過ごされましたか?
我が家では、夫のお盆休みが、8/11〜8/17でしたが、今年は優ちゃん(息子)も小さいから、遠出はしないでのんびりと・・ということになりました。
そこで、今回から何回かに分けてお盆をどのように過ごしたかをお伝えしたいと思います。
あまり興味はないかもしれませんが、どうぞお付き合いください

まずは、初日の8月11日。
ロイヤルパーク汐留パークタワー24Fにある『XENLON GRAND(シェンロングランデ)』へ行きました。
お盆は特に予定がなかったのですがせめて一日くらいはどこかに行きたいねということになり、私が以前からチェックしていた飲茶の食べ放題へ

この食べ放題は、
前菜(サーモンサラダ)
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点心35種類のオーダーバイキング
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麺orご飯もの(ハーフサイズ)
※今回は、坦々麺を食べました
デザート(マンゴープリン)
がついて3800円のコースになります。

点心は、焼きギョウザ、蒸しギョウザ、水ギョウザ、ショウロンポウ、シュウマイ、春巻き、スペアリブ、ちまき、大根もち、にら饅頭、そのほか変わりダネの飲茶がたくさんありました。
オーダーしてから作り始めるので熱々が食べられるのですが、時間が結構かかります。なので、20種類ぐらいを一気に注文。
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お味の方は・・・、おいしいですよ。
おいしいのですが、店員さん(特に外人さん)の対応があまりよろしくなく、それを含めると一度くればいいかなという感じでもったいないなーというお店でした


『シェンロングランデ』
住所:港区東新橋1-6-3
電話:03-5568-6100
ランチ:11:30〜16:30(土日祝11:00〜16:00)
ディナー:17:00〜23:00


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2011年08月18日

【見たり聞いたり】33 「ALT」

アシスタントランゲージティーチャーの訳です。
前はAETと言いました。アシスタントイングリッシュティーチャーの訳です。
賛否両論ありますが小学校でも英語を学ぶと言うか、英語と遊ぶと言うか始まりましたがそこでネイティブの先生が必要でその先生方をALTと言います。前は英語のみでしたからEでしたが今は英語だけではないのでLを使います。
この春オーストラリアからALTの先生方を指導する先生つまりボスが品川区にやってきました。ご承知と思いますが品川区は教育のパイオニアで小中一貫校も初めて取り上げました。
世話役の先生にお聞きしましたが英語もほとんど出来ない小学生を相手に見事な授業をして生徒全員が喜びました。この話を何人かと話したのですが英語の教育方法云々ではなくてこれはコミニケイション力そのものであるとなりました。
その昔オーストラリア駐在中に出張で飛行機に乗ったとき隣の席の女性が国語(英語)の先生で、何故ツデイをツダイと発音するのかと言ったところ猛烈に反論してきたのが懐かしく思い出されました。

aokijuku at 00:00|この記事のみを表示コメント(0)

2011年08月17日

首相の交代

管首相の8月末の辞任が明確になり、政局は後継者選び一色となっている。
民主党の乏しい人材の中の選択であり、世間は、しょせんコップの中の嵐、誰がなっても同じこと、と見ている。あれほど管退陣を迫った自民党も、解散総選挙に追い込むことができずに指をくわえて見ているだけで、まさに三流の野党に成り下がっている。
「国難」という元寇の時のようなものものしい言葉が持ち出されているときに、このような三流の与党と野党にはとうてい国政をまかせられるとは思えない。
これで、選んだのは国民の皆様ですと言われるわけだから、最大不幸は国民である。なぜこうなるのか、もっと強力なリーダーシップを発揮して一気に日本を立て直してくれる人に政治をまかせたい、と思う。
しかし、「民主主義は不完全だが、他にまさるものなし」というチャーチルの言葉を噛み締めなければならない。これは、ヒットラーやムッソリーニの国家主義、日本の軍国主義との戦いの中での言葉であった。
圧倒的な支持を受けたオバマ大統領、英国の期待の星キャメロン首相も苦戦している。現在の各国が抱える難問は、それほど容易には個人の力量で解決できるものではない。難問はだれにとっても難問であり、マジックはない。もし独裁的な政権にその解決をゆだねようとするなら、国民はたちまちのしかかる重圧を覚悟しなければならない。
民主党のマニフェスト政治は無残な結果となったが、これで選んだ国民も甘い言葉の幻影に気がついたことが、最大の教訓である。政治に甘い薬を求めるのではなく、我々も苦い薬を飲む覚悟が無ければ国難には対処できない。


aokijuku at 12:18|この記事のみを表示コメント(0)
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