2011年02月

2011年02月23日

展覧会のためにイメージで描かれる看板

 私の画廊の看板ほど素敵な看板はない。
004t年間、何回の展覧会が企画されるだろうか,定期的ではないがいろいろな画家や版画家、また、ヨーロツパのマスタープリントの展覧会をしている。そのたびにどんなに忙しくても真理子さんは看板を書きにきてくれる。
 彼女の仕事の合間をぬって、、、そして必ず珍しいお菓子を携えて。いつ彼女との出会いがあったのか忘れてしまうくらい展覧会のたびにもう何十回となく看板をかいてもらっている。

 私も作者の作品のイメージに合いそうな紙を選びに伊東やに買いに行く。紙を選ぶのも楽しい。ミューズコツトンという表面に少し表情のある紙だと色に深みがあっていいようだ。真理子さんは壁に展示されている作品を見ながらイメージをふくらませていろいろな色をお皿の上で作り一気に書く。

 ときどき看板がいいからと6階まで展覧会を見にきてくれる未知の人たちがいる。真理子さんの書く看板は展覧会の内容と一体化してしまうからなんとも不思議なエネルギーがあると思う。
機械や道具からかもしだされる冷たいそらぞらしさがないので歴史ある銀座の街に溶け込んで美しいと思う。


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2011年02月22日

【From America】 「アメリカの朝ごはん」その1

アメリカのウインドゲイト緑です。
皆さんは毎朝どんな朝ごはんを召し上がっていますか?
日本人だからといって、旅館で出してくれるような典型的日本の朝食(味噌汁、ご飯、納豆、のり、漬物、卵、魚、梅干など)を毎朝召し上がっている人は、むしろ少ないと言っても過言ではないでしょう。 コーヒーにトーストなんていう方が多いのでは?

アメリカ人だって同じことだと思います。ホテルのメニューにあるような「アメリカン・ブレックファスト」は確かに典型的なアメリカ式の朝食です。オレンジ・ジュースや牛乳、卵料理にベーコンやソーセージなどは定番の米国式朝食です。しかし共働き夫婦と学校に通う子供という家族構成の米国の平均的家庭では、忙しい平日の朝にこのようなメニューを作っている暇がない、というのが現実でしょう。

cerialそれでは一体、簡単なメニューとしてはどんな朝ごはんを食べているのでしょうか? アメリカの朝食を検証していきたいと思いますが、第一弾はなんといっても「シリアル」でしょう。
日本でシリアルといえば「コーン・フレークス」がおなじみですね。スーパーマーケットにも、コーン・フレークスの売り場がありますが、棚に2−3種類が並んでいるだけのようです。種類もコーン・フレークス、レーズン・ブラン、くらいでしょうか?

一方、アメリカのシリアル売り場の大きさには驚きます。先ず、こんなにも種類があるのか? とびっくりするほどの数の多さです。アメリカのスーパーが大きいことはよくご存知だと思いますが、品物を並べる棚が並ぶ通路を一本全てシリアルに費やし、しかも通路の両側がシリアルばかりです。そこに置いてあるシリアルの数が膨大であることが少しお分かりいただけたでしょうか?
rice crispy驚くのはシリアルの種類の多さばかりではありません。入れ物も度肝を抜くようなものがあります。日本で売っているようなサイズの箱に入ったものから、ファミリーサイズと呼ばれる大箱。更には、セメント袋やドッグ・フードみたいに大きなビニール袋に入ったものまであります。親子4人が毎朝ボールにシリアルを入れ、牛乳をかけて食べていたら、その量は莫大な量になりますから、週に1回或いは2週間に1回くらいしか食料品の買い物をしないアメリカ人にとっては「買いだめ」をしなければいけないのでしょうね。

シリアルは基本的にコーンや米その他の穀物から出来ていますから、日本人がご飯を食べていることと比べれば、何も不思議な食べ物ではないでしょう。そしてシリアルにはたくさんのビタミンがバランスよく加えられているので、朝食としては良い食べ物なのかもしれませんね。
加熱する必要がなく、ボールに入れて牛乳をかければ出来上がり、という手軽さが魅力なのでしょう。子供が一人で朝食の準備をすることが出来ますし、その上にバナナやナッツなどを加えれば、更に栄養の面で充実した食事になるでしょう。

アメリカの手軽な朝ごはんナンバーワンは、やはりこのシリアルではないでしょうか。次回は また別の朝ごはんをご紹介しましょう。お楽しみに。



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2011年02月21日

【明日の世界】No60 注目の「四季山荘」

長野県大町は人口3万人でこれからも人口増は工夫しないかぎり難しいでしょう。今も積雪が1メートルを越すそうです。地方都市の典型かもしれません。
 小生の高校時代のHさんは考えるところあって昨年品川区戸越から大町に引っ越しました。昔友人と共同で購入した山荘が彼の住みかです。
 Hさんはなかなかの方で彼の存在がじわじわと認知されてきましたのでそのお話をさせてください。
 Hさんは早稲田大学出身で。大町市長も同窓です。まず彼は趣味の囲碁が高段者で、市民センターの囲碁会の活性化を始めました。強い人が参加すると活性化が始まること間違いありません、彼の住む四季山荘は駅から数キロ離れていて山道の入り口近くにあります。森と人を育てる運動を始めました、信州大学の先生が賛同して先日も学生10人ほどが泊まりこみで訪れ、「森と人をどう育てるか」のミニシンポジウムを開いたそうです。何しろ森に入ると山菜がたくさん取れて山荘で料理できるので場所は最高です。Hさんは大学卒業後初め旅行会社、出版会社、独立して編集者等様々の経験をしてきましたので話題は豊富ですから学生も情報交換の良い場になっています。一泊すると素泊まり1000円ですから金儲けが目的でもありません。段々口コミで四季山荘の評価を高めてきて、先日は幼稚園生が20人も来て、さすが泊まるには狭すぎることで山菜とって、お話を聞く会になったそうです。今や四季山荘は立派な情報発信基地として認知され、大町市長さんもお知恵拝借となってきているようです。Hさん万歳!


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2011年02月20日

マスク

もうすぐ、花粉が飛散し始める頃のようで、電車の中のニュース掲示板やテレビの気象予報でも「花粉予想」が掲載され始めました。

先日の雨の日、乗車した電車内をふと見渡すとマスクをしている人が10人ほどいました。車両内はちょうど座席が埋まるくらいの人数(50人程度)です。

これからの時期、マスクをしている人をみると「花粉症ですか?」と聞くのが私の中での常識でしたが、最近マスクをする人でも花粉症ではない人も多いとか・・・。

まずは、インフルエンザ対策。少し前までは、インフルエンザは真冬と思われていましたが、ここ数年の挙動によって、春でも夏でも秋でもインフルエンザにかかることを皆が知りました。親や学校からマスクを強要される学生や健康に敏感な女性など人混みに出るときは、常にマスクをする人が増えているそうです。

そして、今話題になっているのが「表情隠し」だそうです。若い女性でマスクを常時している人に聞くと、「顔の表情を他人に知られないから」というのが結構あるそうです。一種の変装による安心感と似ているようです。

きっかけはインフルエンザ対策だったとしても、「マスクをしているほうが何となく楽で落ち着く」という若者が徐々に増えているそうです。

「フェイスブック」は日本でも激増するのか?という疑問の、答えの一つがここにあるような気もします。

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2011年02月19日

「銀行、今は昔の話」

久しぶりにアメリカに送金するため、取引銀行に行った。あまり好い顔をしない。「メガバンクと取引はありませんか?」と言う。聞いてみると手続きが面倒で、そのうえメガバンクに依頼をするため時間がかかるのだそうだ。「先方からのインボイスのコピーも必要です。」と、同情しつつも明らかに迷惑そうだ。自宅の住宅ローンの借り換えを熱心に薦めた隣県の地銀である。親切心に惹かれてその後設立した会社も、ここに口座を開設した。こんなに不便だとは知らなかった。以前は何の問題も無く、送金できたのにと思っていると、「テロ資金のマネーロンダリングを防ぐため、厳重になったのです。」と窓口の女性。海外送金を断って商売になるのだろうか?インターネットバンキングや新しい仕組み導入に熱心な銀行なのに。
そもそも銀行の役割とは何であろうかと改めて思う。受けた預金を他人に貸し付けて、その金利の差額が利益になっているのであろうが、金あまりの世の中では、その貸し出しもままならない。そのためリスクフリーの手数料で儲けようと考えていたはずである。その手数料を稼ぐ機会を閉じてしまっては、国際的な取り決めがあるにしてもと、哀れな感じがした。銀行の存在感も薄れていくのは当然かもしれない。
シアトルにあったR&D会社を、業態転換で販売会社に変えた際、その移転先を中西部ではなくロスアンゼルスにした、嘗ての勤務先の創業者の考え方が思い起こされる。35年前のこと。製造業の大集積地である中西部でなく、北米の南西の端であるロスアンゼルスに全米の拠点を設けた大きな理由は、取引日系銀行の存在にあった。企業にとっての命綱は、お金であり、それを貸してくれる銀行である。その銀行に近いことの大切さである。
10年ほど前に、あわや倒産の憂き目に会ったことから創業者の思いは始まったようだ。不景気からくる業績不振により30円台の株価を記録。いつ破綻してもおかしくない。それでも生き残ったのは、取引銀行のお陰だと創業者は肝に銘じた。そのため、返済を強要して去って行った関西系の銀行とは、業績が好転した後も取引の再開をせず、苦しい時の取引銀行こそが本当の銀行であると思い続けた。
そんな創業者の元で学んだことは、取引銀行は親も同然との論理。一人前になるまでは、親の側でアドバイスを受けた方が安全、かつ効率的である。資金繰りに窮した際の借金はもとより、労務や経理などの管理上の問題、それに販売や資金回収法等々、何でも判らないことは、まず始めに相談する。勿論、担当者の知識では不充分であるので、銀行の親密取引先や弁護士、会計士などを紹介してくれるだけである。とは言え、問題解決の糸口を見つけ出してくれる頼もしい存在であり続けた。
とりわけ、高額商品の販売に苦労した際設立したリース会社は、取引銀行の手助けなしには機能しなかった。スムーズな運営のため、日本より行員を派遣。レーガンの減税策と相まって、売上は大幅に向上。リース会社への銀行からの貸付金も大きく増加。事業会社の成長をあらゆる側面から手助けする。今は昔の話になったようだ。


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